二章 十六丁 同穴の不遇者ら
不快感を露わに振り返った旅商人の肩を、碧眼の男は少し後ろへ引いて、行くなと言いたげに首を横へ振った。
「何だよっ! 寝坊助野郎はここでのんびりしていればいいだろう!」
男の左腕を、旅商人は乱暴に払い除けると、強く踏み付けるような足取りで滝へと向かう。払われた腕が痛み、男は顔を顰めたが、諦めきれずもう一度、旅商人の背を追い掛けた。
「あぁ…っ待たんか! ――平助! 連れ戻して来い!」
「…はぁ……しょうがねぇなぁ……」
足腰が丈夫でない己の代わりに旅商人を引き留めるよう、中老は左隣に座る 立年 の男、平助を急かした。
頼まれずとも旅商人の後を追うつもりであった平助は、焚火から枝を一本取り出し、気怠そうに立ち上がる。
その動作は 鈍重 ではあるが、一度腰を上げれば、軽快な身の熟しで小山を下り、平助はすぐに碧眼の男へ追い付いた。そして追い抜き様に、自分が行くからいいよと目配せで伝え、滝へと更に足を速めた。
言葉が拙い己より、人当たりが良い平助の方が、上手く旅商人を説得出来るだろう。そう考えた碧眼の男は、薄暗がりの岩の上に再び腰を下ろした。しかし、任せるとは決めたものの、視線はどうにも滝裏の洞窟へと向いてしまう。
月明かりが煌々と照りつけ、暗闇の中で輝く滝水は幻想的だった。
その滝裏の側に、二つの火が揺れ並び、暫くして――。
一本の松明が消えた。
旅商人が説得を聞かず、洞窟へ入って行ったのだろう。
そして残った松明は、数秒、静かにその場に留まると、同じく暗がりの中へ消えていった。独りで行かせるのは危険だと考えた末の、面倒見が良い平助らしい行動である。
穴に消えゆく灯りを見て、ぽっかりと開いた巨大な口の中に、人が呑み込まれるようだと、少女の心には一抹の不安が過ぎった。
「急いても仕方がないものを……」
深い溜め息を吐いた中老は、消えかけた焚火に新たな枯れ枝を投げ込んだ。
残された者達は、平助が旅商人と共に戻って来るのを、このまま待つしかないだろう。
静寂 な時が過ぎゆくかに思えたが、不意に頭上から、微かに数人の話し声が聞こえた。
音に引かれ、全員首を揃えて見上げると朧気ではあるが、確かに、人声が滝音に混ざって穴底にまで響いてくる。それは話し声と言い表わすには、何処か早口で 焦燥 を含み、叫ぶと表現するに近い声量だ。
懸崖の上には、黒い複数の人影らしきものが、せかせか動いており、声を発しているのは間違いなくその中の誰かである。
顔すらも判別出来ない人影達を、この巨大な穴に貶めた元凶であると断定した上で、碧眼の男はその動向を注視した。
©️2025 嵬動新九
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