二章 燠 十四丁
薄暗がりから発せられた、低く抑えられた碧眼の男の声に関心を抱いた焚火の面々は、灯りにぼんやりと照らされた男の口元に視線を向ける。
「この窟に出るって牛鬼の伝説を信じているんでしょう。
そやつを対治して大金をせしめようって腹でしょうな、どうせ」
溜め息交じりに困り顔で、そう返した中老は焚火に枯れ枝をくべ、微笑んで出来た頬の皺を指先でぽりぽりと掻いた。
「御伽草子信じる賊ってのはやっぱり馬鹿だね。コツコツ働いてこそ 往生 ってもんだ」
胡座を搔いて頬杖を付きながら、旅商人は指で自分の膝を叩き、苛立った調子で焚火に向かって言葉を吐いた。
その旅商人の言葉に同感だとばかりに 立年 の農夫は深く頷くと、よく日に焼けた顔に笑顔を浮かべた。
「ちげぇねぇ。気が済んだら助け出してくれるんじゃねぇか?」
「賊共のやる事だ。あてにしねぇ方がいい」
前のめりに一同を見回して明るく放った 立年 の男の一言を、旅商人はつんと 一蹴 した。そして、思い立った様子で自分の膝を叩くと、暗がりに腰掛ける碧眼の男へ身体を向けた。
「なぁあんた。朝ここから出る抜け道を一緒に探してくれよ!」
碧眼の男へ力強く申し出た旅商人の勢いに、少女は魚を食べるのを中断し、顔を上げて旅商人と碧眼の男を交互に見詰めた。
農夫達も会話の邪魔にならぬよう口を紡ぎ、これから始まる二人のやり取りを、口を挟まず見守る事に決めたようだ。
しかし会話は一同の予想とは異なる展開を迎えた。
碧眼の男は口を開くどころか、ただゆっくりと首を横に振り、無言で否定の意思を示したのだ。
その意外な返答に一同は驚き。 立年 の男は呆れた声を短く漏らした。が、男の返答が気に食わず、何より感情を露わにしたのはやはり旅商人であった。
「一生ここに居る気かい? 商売に影響が出るんで俺ぁ急いでるんだよぉ!」
男に提案を否定され熱が入った旅商人は、乱暴に己の右膝を叩き語気を強めた。だが旅商人の必死の訴えを聞いても、碧眼の男は首を縦には振らず、活力の無い声で己の考えを口にした。
「抜け道は不用だ」
傍聴 していた農夫達は、男が発した言葉の意味がわからず「へ?」っと間の抜けた声を揃えた。そして、ではどうやってここから脱出するのかと、男の説明を待った。
ところが、碧眼の男の足下に、犬神が尻尾を振り乱しやって来た事で、会話は一度途切れる事となった。
犬神は既に魚を一匹平らげていたのだが、碧眼の男の指先に握られた焼き魚を狙っており。大腿に肘を休ませ膝下にだらんと垂れ下がった串を見て、犬神は大量に涎を垂らし、尻尾を更に激しく振った。
男は食欲がなかったのか、一口だけ口を付けた焼き魚を、強請る犬神に差し出し、犬神は即座に串を咥え、男の足下で豪快に音を発しながら、獣らしく焼き魚を貪り始めた。
犬神が食べ進めている姿を見下ろし、朗らかな表情を浮かべているであろう男の口元を見て。先程の会話を再開させる気は、この男にはもうないのだと、一同は察したのだった。
「ここを墓場に決めるとは諦めがいいねぇ…。努力しなよぉ若いんだから」
生じた沈黙を破ったのは立年の農夫で、男が犬神に餌をやる姿を見て、やや呆れた表情をしている。そして、地面に両足を投げ出し、両腕を後ろ手に付けると、のんびり屋の自分でも、もう少し協力的だと言いたげに、口角とは反対に眉を下げた。
農夫の呆れた声色が碧眼の男に伝わったのか。男は視線を一瞬一同へ向けると、やがてゆっくりと正確に言葉を選びながら己の見解を述べた。
「抜け道があれば、奴等は見張っている筈」
未熟な言語を間違えぬよう、丁寧に話す男の語調は、異国の者と知らなければ、訥弁で口重な語りぶりだという印象だけで終わる。異国の者とは、この場の誰も気が付かない程、男の発音はこの国の言語を正確に学んでいた。
「脱出を謀り、しくじれば…。ここへ戻されるか、その場で殺される」
男の緩徐に語る口調と、殺されるという血生臭い言葉が重くのし掛り、一同の顔が強張った。
しかし、そんな一同の様子に気が付かない碧眼の男は、更に言葉を続けた。
「不用に揉めて危険を冒すなら、取引して公然とここを出た方が安全だ。
…――どうせここから…奴等は動かない」
男は賊が見張っているであろう当たりを付けた崖上を見上げ、そう言葉を切ると、次に足下で名残惜しく魚の骨を舐める犬神を見下ろした。それきり男は押し黙り、辺りは一時沈黙に包まれた。
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