二章 八丁 淵へ入りて
墜下する少女の身体は、まだ淵に辿り着かない。
岸壁の隙間に根を張る木々の枝を掴んで、これ以上の落下を防ごうとも考えたが勇気が出ず、落ち行く重力に身を任せる事を選択した。
それが幸いして、少女達は無事に断崖の底へ到着し、堆積した落ち葉を派手に散らして身を埋めた。
「けほ…! 枯葉が…こんなに…!」
やっとの思いで、落ち葉の山から顔を覗かせた少女は、口に入った数枚の葉を吐き出して辺りを見回した。
崖上 からは真っ暗闇であったが、満ちる間際の月の輝きで、意外にも自分の周囲程度なら視認ができる。
「は! お侍さま !!」
少女は音の記憶を頼りに男が転落した場所を探し、犬が穴を掘るように必死で枯葉を掻き分けた。
男の上半身をどうにか掘り起こし、その安否を確かめようとしたが、肌はすでに土気色で、今に息絶えそうなほど弱り果てていた。
触れた頬の体温は見る間に冷え切ってゆき、著しく衰弱した容態に少女は死を連想する。
辛うじて保っていた少女の精神は折れ、丸みを帯びた頬を止め処なく涙が伝った。
「やだぁ…死な…死なないで…っ! お侍さまぁぁ…!! うえぇえーーんっ!!」
碧眼の男の胸に縋り少女は泣き崩れ、その号哭は岸壁に反響し、この縦穴に棲まう鼠や猪などの動物が、揃って逃げ出してしまうほどであった。
「おい…」
盛り上がった枯葉の山から犬神は首を出し、声量に顔を顰めながら声を掛けた。
「死んじゃやだぁあ !! 目を覚ましてぇええ !!」
だが少女は背後にいる犬神には気が付かず、大粒の涙を流しては男の身体を揺すった。
「やかましぃわぁああ !! 死んどらんじゃろうがぁああ !!」
枯葉の山から一気に這い出て、犬神は負けじと声を張り上げたが、少女は男の胸に顔を埋め、更に大声で泣き始める。
「黙れぇええ !! 喰らうぞ童 !!」
遂に犬神は少女の目の前で牙を剥き出し、頭に乗った落ち葉を散らしながら怒鳴り散らす。
「うぇえーーん !!」
しかし、少女は見向きもせず、犬神の怒声はいとも簡単に掻き消された。
「泣いておれ」
一向に泣き止まぬ少女の相手をする事が、急に馬鹿馬鹿しくなった犬神はそっぽを向き、落ち葉の上で丸く身を伏せた。
だがすぐに、柔らかい手足に置いた顎を上げると、耳をぴんと角立て、木々が生い茂る暗闇を凝視する。
持ち前の夜目を利かせるが、辺りには木々と岸壁から剥がれ落ちたであろう巌や岩石ばかりで、視界を遮るものが多く奥を見通す事は出来ない。
それでも何かが此方へ向かって来ると、獣の直感が犬神を掻き立て、落ち葉に休ませていた身を起こし、闇の奥から感じる気配に身構えた。
©️2025 嵬動新九
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