二章 七丁 焼耗の果て
「ひっ!! 起きて――…!!」
声に驚いた賊は、伸ばした腕を引っ込め尻餅を付いた。
まさか物盗りの途中で意識が回復するとは思いもよらず、相手が刀を携えているため、賊達は生唾を飲み込んで出方を窺った。
しかし、いくら待とうが碧眼の男は、上向きに倒れたまま動かない。
賊達は空耳だったのかと、次第に胸を撫で下ろし始めた。
そして、再び荷を探ろうと一歩を踏み出した、まさにその時――。
襟巻であった筈の犬の毛皮が開眼し、その 鮮緑 色の瞳は敵意を剥き出しに賊を睨み付けた。
突如動き出した犬の毛皮に驚いて、奇声を上げる賊を横目に白犬は身を起こすと、月白色の体毛から淡い光を発し、宙を蹴って夜空に飛び上がった。
高く一回転、弧を描いた犬が、再び地に降り立った際には、前足で人を踏み潰せるほどの大きさに変貌していた。
碧眼の男を跨ぎ立ち、二股の尻尾を逆立て威嚇する巨体に、いつの間にか大半の賊達が腰を抜かしている。
「近付くな !! 人間共ぉお !! 貴様ら全員喰い殺してくれる…ッ!!」
犬は滔々と人語を話し、巨大な身体を前方に傾け激しく吠えた。
その獣の迫力に、大口を何度も開閉させていた賊達は、一斉に蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。
「い…犬神だぁあああーーーッ!!!」
「ひぃいいっ!! 逃げろぉおお !!」
犬神の方へ少女を突き飛ばし、大慌てで森の奥へと逃げ帰り、我先にと逃げ惑う賊達は、腕を組んだまま木に背を預ける親玉の横を擦り抜けていった。
鼠色の襤褸を纏った気の弱い子分が一人、逃げる様子も見せない親玉の元へ慌てて引き返す。
「なっ何してんです兄貴 !! 逃げましょうよっ!!」
盛大な身振りで危険を表現し、逃亡を急かす子分を鼻で笑い、上空を覆う犬神の半透明の身体を、親玉は野良犬を見る目で見上げた。
「はっ! 馬鹿言うな! 俺たちは鬼を狩るんだぞ。 犬っころ如きに怖じけてどーすんだ」
怖じる事なく雑に刀を抜いた親玉の姿に、逃げる子分達は足を止め、安全な木陰から両者の様子を窺う。
「っくはははは !! 貴様ら如きがッ!? 鬼を狩るだとッ!? 笑わせるな下衆共が !! ここが貴様等の墓――…」
二股の尻尾を振り乱し、牙を剥き出しに大笑していた犬神の身体は突如、煙を立てて巨大な獣の姿から、従来の大きさへと回帰した。
戻る事は本意ではなかったのか、犬神はつぶらな瞳を二三度瞬かせる。
対する賊も、その変化に追い付けずに犬神を前のめりに見下ろし、辺りには 珍妙 な沈黙が流れた。
「しまった…っ! 今日は…望月か…!?」
身体が縮んだ原因を察して月を見上げると、満月には一日及ばないが夜空には美しい小望月が淡い光を放ち浮かんでいる。
月には浄化の力が宿ると云う俗説もあり、祟り神であった犬神には、欠けた月であっても十分な影響を受けるものなのだろう。
「ワンッ!!」
足下に飛来する二本の矢を、犬神は軽く身を跳ねて躱す。
喉から低い唸り声を発し、弓を放った賊を睨め付けるが、凡俗な犬に怯える者は誰一人としていない。
四散していた賊達は、続々と親玉の元へ集まり全員刀を抜いている。
「おら、さっきの威勢はどうした? 餌でもやろうか犬っころ」
「グルルルッ!!」
形勢が逆転し、下卑た笑みを浮かべる親玉へ、犬神は主人を護るよう吠え立てる。
男から決して離れぬ犬神を射殺そうと、親玉の両脇にいる二人の手下が力一杯弓を引いた。
「やめてっ!!」
犬神が痛めつけられるのを見ていられず、少女は賊に飛び掛かると、その細腕で相手の弓柄を握り、弓を取り上げようと力の限り引っ張った。
「何しやがる餓鬼ッ!!」
揉み合いの末、力の弱い少女を弓から引き剥がし、賊は邪魔をされた腹立たしさから、少女の柔らかい頬を殴った。
音が鳴るほど強くぶたれた少女は後ろに転び、涙を浮かべながらも直ぐに立ち上がると、犬神を庇い立つ形で両腕を広げ、まだ抵抗の意志を示した。
恐怖に身体を震わせながらも抗う姿を、眉を吊り上げ不快な面持ちで眺めていた親玉は、木に凭れていた背をようやく離し、刀を棒切れのように引き摺り、少女の元へ気怠げに歩く。
「気に入らねぇ…! 汚ねぇ餓鬼が !!」
親玉は吐き捨て、少女の右肩を容赦なく蹴り飛ばした。
小さな身体は、犬神を巻き込んで傾斜を転がり、断崖の暗闇へと放り出された。
「肥溜めで仲良くしてろ! ひゃははははは !!!」
続けて碧眼の男を蹴り落とし、闇へ消えゆく三人を見下ろしながら、歯を剥き出しに 哄笑 する男の声は、縦穴にいつまでも木霊した。
©️2025 嵬動新九
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