二章 五丁 焼耗の果て
男の背に転落したため少女に怪我は無いが、弾力のある子供の身体は、男の背を弾み、地を転がり、その勢いを殺し切れず断崖の口へみるみる吸い寄せられる。
落ちまいと必死に動かした腕は低木の幹を掴み、少女は何とか断崖の一歩手前で身を保ち、崖へと落ちずに済んだ。暗闇の断崖には、小石や枯れ葉が無力に落ち、少女は先の見えぬ穴を少し覗き込むと、転落を免れた安堵に胸を撫で下ろした。
倒れた碧眼の男の身体も斜面を少し滑ったが、それなりの重みがあるため独りでに少女の目の前で停止し、少女は身を起こすと慌てて男の身体を揺すった。
しかし、少女が揺さぶりどれだけ声を掛けようと、男は俯せに倒れ伏したまま、ぴくりとも動かず一切反応を示さない。
覆いで顔を隠された状態では、男が生きているのかすら判別が難しく、少女の心は不安に苛まれたが、よく目を凝らすと俯せに倒れる男の背は微かに上下し、呼吸をしてはいるようだ。
少女は男の生存を確認すると、男が何故急に倒れたのか、忙しなく辺りを見回し、その原因を探した。
まず少女の目に留まったのは、男が転落した段差のほぼ真下にある巨石。
落下した拍子に岩に頭を打ち付けたばかりに、男は意識を失ったのだろうかとも少女は考えたが、岩の上にこびり付いている苔は綺麗に形を保ち、この岩には一切何も触れていない事が窺われる。
他に原因があると確信した少女は再度辺りを見渡し、ふと高々と生立った杉の幹に、矢が一本突き刺さっている事に気が付いた。
矢が刺し通ったであろうその場所は、紛れもなく碧眼の男が立っていた位置であり、矢に血は付着していないが、少女にはこの弓矢が男の倒れ伏した一因に思えてならなかった。
一体何処から穿たれたものなのか、少女が矢の軌跡を追おうと背後を振り返った次の瞬間。
数人の男達が森に簇生する木々から姿を現わし、忽ち少女は十を超える男達に取り巻かれた。
男達の装いは揃って汚く、泥だらけで所々着衣は破れているが、誰一人己の衣を繕っている者はいない。襤褸としか言い表しようのない程、着潰した衣服に身を包み、刃毀れをした 錆刀 を持って威張るその様は、山賊の類と見て間違いはない。
「はっ!いい腕じゃねぇか、吉!」
腕と額に古傷のある一際人相の悪い一人の賊が、足元の邪魔な雑草を刀で乱暴に切り払い仲間に近付くと、矢を穿った男の肩を叩いて上機嫌で褒め称えた。物言いと態度から、この人相の悪い男が荒くれ者らの長なのだろう。
親玉に肩を叩かれた痩せ形の鉢巻きをした男、利吉は弓を構えたまま放心していたが、青ざめた顔で取り乱し、必死に仲間達へ己の身の潔白を叫んだ。
「ちっ違う !! 殺してねぇ !!! 当たってねぇよぉ !!」
弓を投げ捨て、狼狽するこの男を、賊達はうんざりと呆れ顔で見詰めた。
人を殺め金品をせびる賊に、人を傷付ける事への躊躇いや、命を重んじる道徳意識など、持ち合わせていないのが当然であるからだ。
だが利吉は、見知らぬ男を殺めたやも知れぬ自負の念から、すっかり気が動転している。
倒れ伏す碧眼の男の身体には、弓が掠った形跡すらないが、冷静な判断が出来ぬほど惑乱する利吉を、親玉は煩わしそうに舌打ちした。
「うるせぇぞ !! 別に死のうが構いやしねぇよ」
利吉の上擦った声が鬱陶しいとばかりに、親玉は己の片耳を掌で塞ぎ、利吉を怒鳴りつけると、今度は少女とその傍らに倒れる碧眼の男を一瞥し、簡単に顎をしゃくり上げて手下に邪魔くさそうに合図を出した。
親玉の合図を見た手下達は、待ってましたと嬉々として草木を掻き分け、少女達の元へぞろぞろと歩み。背に断崖があり逃げ場のない少女は、どんな目に遭わされるのか恐怖と不安が混じる表情で身を竦み上がらせた。
©️2025 嵬動新九
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