二章 燠 四丁
鬱蒼とした森林を歩く三人の男。
空を覆って密生した木々が日の光を遮り、時の移り変わりを狂わせる。
――間もなく日が暮れ 今日は野宿となるか
枯れ枝を踏み、軽く滑った足下を立て直す何気ない所作に、一抹の疲労を感じる。
――己も年老いた
この枯れ枝のように……この老体も朽ち、いずれ折れ伏す……
踏み付けた枯れ枝が音を立てて折れ曲がり、斜面に積もる枯葉の上を、小石と共に滑り落ちるその姿に、度々己を重ねてしまう。
考えが見透かされたか、将又 同じ考えを巡らせていたのか。後方から深く息を吐いた男に気が引かれ、つい己は振り返った。
後ろを歩く二人の若者は、共に笠を目深に被り、己の左後方を歩く男は体格が良く。対し右の男は、逞しいその者よりも体格は華奢である。
体躯で劣り、加えて手先は不器用な男だが、刀の腕だけは一流だと言える。どれ程足場の悪い山道であろうと、躓いた所など見た事がない。
『今宵も見えるのか? 格兵衛 』
黙々と長き間を歩いていた気晴らしを兼ねて、先程深く息を吐いた右後方の男へと、他愛なく戯言を尋ねてしまった。くだらぬ問いだが、後ろを歩く二人の屈強な者共は律儀にも、暇を潰す相手をしてくれるだろう。
一部綻びのある使い古した角笠を被り、俯いて凜然と歩いていた二人の旅の道連れは予想通り足を止め、そして名を呼ばれた男は面を上げた。
顔を覆い隠していた角笠のつばが首の動きに合わせ持ち上がり、若者の固く閉ざされた口元を漸く覗かせた――。
――不意に色褪せていた足場の植物たちが鮮やかに映る。
色だけではない。木々も土の色も、草木の香りすら、先程男達が歩いていたあの鬱蒼とした森とは別の山粧うに変化している。
しかし、突如 色鮮やかに映えた風景よりも、誰かが自分の腕を握っている、その感覚が碧眼の男を混乱させた。
男は即座に後ろを振り向き、自分の左腕を掴む者が何者なのか、その正体を見た。
両腕で包み込むように碧眼の男の左手を握っているのは、紫陽花柄の頭巾を被った、年端のいかないあの少女。
先の村で男が命を救ったその少女は、身を後ろに倒し男の腕を引くと、気遣わしげに男を見上げた。
「…危のう…ございます……」
恐る恐る上目遣いで言った少女の言葉が理解出来ず、碧眼の男は茫然と自身の前方の山道に視線を戻した。
男の眼下の足場は途切れ、前方の地面が1mほど沈下しており、少女の言う通り後一歩でその低地に転落し、男はその真下の岩に頭を打ち付けていた恐れがあった。
その上、危険はそれだけではない。
もし男が転落していたならば、落下の勢いで傾斜を滑り、その先の断崖へと落ちる事こそが最も恐ろしい危難であり、本来少女が言いたかった警句は、この断崖絶壁を指すのだろう。
地盤沈下で出来たであろうこの断崖は深く、時分が夜である事も相まって、断崖の底は漆黒の暗闇で満たされている。故に、どの様な光景が広がっているのか、穴の底を覗き見る事は出来ない。
ここは何処なのか。どれ程時が経ったのか。
夢を見ていたような…己は半ば無意識でこれほど森深くまで辿り着いたのかと――崖底の闇を覗く碧眼の男の思考は、自身への疑いと 焦燥 が激しく行き交い、その瞳を泳がせた。
静止したまま一向に動きを見せない碧眼の男に少女は戸惑い、覆いに隠れた男の顔を覗き見ようと首を傾けた。
その時、俯き足元を見下ろしていた碧眼の男の身体が、ゆっくりと前面へ傾いた。
「え……――きゃあ !!」
重心が前に傾いた碧眼の男の身体を支えようと、少女は持てる有りっ丈の力で男の左腕を後方に引っ張ったが、その奮闘虚しく。少女は男の手を放さなかったばかりに、共に前方の低地へ転落してしまった。
©️2025 嵬動新九
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