二章 二丁 鬼逐う男
碧眼の男は、刀の縁由を尋ねる坂田へ応じず、蟒蛇の死骸へと歩むと、黒炎立ち込めるその骸を、眼を細めて正視した。
――蟒蛇の額に浮き出た、紅い血の手形。
右腕で擦り付けられたその手形は、太鼓橋の橋板に付けられていた左腕の手形と酷似しており。炎に炙られようと鬼の手形は赤々と形を保ち、未だ黒炎に抗いその姿を浮かび上がらせている。
碧眼の男は、黒炎に腕を伸ばし、手形に突き立てられた己の刀を掴んだ。
刀柄にまで立ち上っていた黒炎は、男の腕を瞬く間に這い広がり、炎が燃え移ろうとも碧眼の男は怖じる事なく、死骸から刀を引き抜いた。
蟒蛇の死骸に纏う炎は、激しくうねるとその姿を消し、燃え尽きた骸は風に吹かれ、一瞬にして塵となった。
男の腕に握られた刀は、まだ暴れたいと言わんがばかりに、名残惜しく黒炎を荒ぶらせ、鞘へ収まるのを拒むように思える。鞘に入れた剣先が黒炎に押し返され、碧眼の男は顔を顰めた。
そして息を整える間もなく男は呼吸を止め口を結ぶと、一気に刀身を鞘へと押し込んだ。
鞘へと完璧に刃が納まれば、忽然と黒炎は消え去り、男の左腕には再び一筋の煙が立ち昇った。
「既にこの国に無かったとは…、見付からん筈だ」
坂田は碧眼の男が刀を鞘へと納める始終を静観した後に、男を見据えたまま半ば独り言を溢した。そしてその呟きには、まだ続きがある。
「外つ国人の来航は禁じられている筈…。 まさか海を渡り、今一度舞い戻るとは…――厄災を連れて……」
これから起こる未来を危惧し、 渋面 を浮かべ呟いた坂田を、男は青い瞳でじっと見詰め返した。
坂田は絶えず何かを思い悩んでいた様子であったが、やがて顔を引き締めると一歩を踏み出し、自身の右掌を上に向けて、男へ腕を差し出した。
「刀をこちらに貰おう。 それは我等、儺斬の者しか扱う事は許されておらん」
相手へ一方的に物を差し出せなど、無遠慮で非礼だとの自覚はある。しかし坂田には、そうせざるを得ない理由があり、己の欲を満たす為に、男へと申している訳ではなかった。
真面目に諭すように申し出た坂田の表情には、騙し取ろうなどという狡猾さや陋劣を微塵も浮かべてはいない。
坂田が一切の悪意なく腕を差し出している事は、碧眼の男へ確かに伝わっていた。が、男は坂田から目を逸らすと、その要求を拒むかのように俯き、そっと目を閉じた。
「履違えるな。 それが貴く、得難いものであるから言っているのではない。 既に幾度とその刀を抜いたお前なら、この意味が分かる筈だ!」
瞼と口を頑なに閉ざす男へ、坂田はつい説得に熱が入り語気が強まった。
それでも碧眼の男の瞼は一向に開かず。俯き瞳を閉じて、ただじっと坂田の言葉を 傾聴 している。
「この国に足を踏み入れたなら、こちらの報に従え」
根気強く、折れず放った坂田の言葉に、漸く男の瞼が開いた。
熱心に呼び掛けた坂田の説得に男がどう応えるのか、一同は緊張の面持ちで、碧眼の男が口を開くのを待ったが、沈黙の果てに男が発した一言は、一同の予想を覆すものであった。
「人を人たらしめる為に、報いはあるのだったな。 公時」
坂田一同は驚愕し狼狽えた。
公時という名は、坂田の祖父の名であり、異国から渡来したであろうこの男が知っている筈はない。既に他界している先代の名を口にし、先程とは別人の雰囲気を纏う碧眼の男に、一同の不安と混乱は更に入り乱れた。
しかし坂田には、男の奇行に思い当たる節があり、男が此方へ言い放った際の表情やその語り癖は、紛れもなく古き知人を思い出させる顔付きだった。
言葉を詰まらせそれ以上を発する事が出来ない坂田を見て、碧眼の男は話が 結了 したと思い込み、卒然と坂田へ背を向け村の出口へ歩き出した。
「待たんか !! ――鳥什丸 !!」
去り行く男の背に万雷は吼えると、傍らに並び立つ少年、鳥什丸を焚き付けた。
「若。ご命令を」
鳥什丸は刀柄に手を掛け、静かに前に歩み、視線は男の遠ざかる背を、まるで狩人のように見詰めている。その眼光は相手が刀を抜かずとも、容赦なく刃を振り下ろせる非情さと忠誠を宿しており、坂田が刀を奪えと一言命じれば、忠実にその命を果たすだろう。
抜刀の立ち姿で主の指示を仰ぐ少年の胸を、坂田はそっと腕で遮った。
「はっ」
身振りのみで退がれと命じられ、鳥什丸は従順に頭を下げると、背を屈めた姿勢のまま2歩後ろへと退がった。
「若! 見逃すのですか !? 我等も咎に処されますぞ !!」
主である坂田へ躍起に進言する万雷を、坂田は首を振って制すると、気疲れた顔で深く息を吐いた。
「構わん。……もう会う事はない」
そして己の記憶に男の残影を残さぬよう、去り行く碧眼の男へ同じく背を向けると、坂田は男へ最後の情けの言葉を投げ掛けた。
「忠告はしたぞ、稀人」
囁く坂田の低語は、傍らに立つ鳥什丸の耳に消残り、憐れみを浮かべる坂田の横顔を、鳥什丸もまた憂いを帯びた眼差しで見詰めた。
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