二章 燠 三丁
碧眼の男が去り、訪れた暫しの平静に身を浸していた一同であったが、突として坂田は顔を上げると、忙しなく辺りを見回し何かを探し始めた。
落ち着かない主の様子に、鳥什丸は首を傾げ、他の配下達は落とし物でもしたのかという顔で坂田を見詰める。
「…あの童は何処へ行った?」
「あ…。さっきまで…」
坂田の足元にいた少女はいつの間にか姿を消し、配下の者達も一斉に自身の足下を確認して少女の姿を探した。
しかし荒廃した村を幾度も見渡そうと、少女の姿はなく。銀杏の幹に素早く身を隠したあの時のように、少女は華麗に姿を晦ませていた。
「若ー!!」
西北の耕地のある方角から坂田を呼ぶ声が反響し、その馴染みある声に、坂田一同は揃って勢い良く、首を声の主へと向けた。
息を切らせて崩れた家屋を滑り降り、遠方から駆け足で此方へ向かって来る3人の男達は、紛れもなく西北の調査に向かい野衾に襲われ命を落としたと思われていた戌亥隊であった。
顔色の悪い者が一名おり、全員着衣は少し汚れてはいるが大怪我はなく。身軽に此方へやって来る姿は、坂田一行の暗い面持ちを一瞬にして明るく一変させた。
「お前達 !! 無事であったか! よくぞ戻った !!」
全員で一目散に戌亥隊へ駈け寄り、坂田は3人の顔を一人一人確認すると、晴れやかな充足に満ちた笑みを浮かべ、合流した一番手近な男の肩を力強く叩いた。
いつもより手厚い歓迎に戌亥隊の男達は、何故こんなにも仲間が喜び弾んでいるのかと理解が及ばず、3人で顔を見合わせる。
「ええいノロマ共 !! 今まで何処に隠れていた !!」
小鳥の様にきょとんと並ぶ3人の男達を、万雷は立腹し怒鳴りつけた。合流に遅れ、主の危機に参ぜぬ己の不面目を恥じる様子もない男達が気に喰わず、どうしても叱り付けねば気が済まないのだろう。
しかし叱責されているにも関わらず、戌亥隊はへらっと笑顔を作ると悪びれずに万雷の怒声に答えた。
「野衾に襲われて目舞ひを起こしまして! 危ないから仏閣に隠れていたんです」
「いやー怖かった! 皆様ご無事で何よりです!」
仲間の無事を信じていたからこそ、己の身の安全を優先したと言いたいのだろうが、武士が台頭するこの時代では、この男達の行動は忠義を持って仕える臣下として、あるまじき行為だと非難を受けるのは当然である。
だが坂田は良くやったと満足げに頷き、咎める様子は一切ない。
そんな主の配下への甘さと、戌亥隊の反省のない態度に、万雷の怒りは余計に煽られた。
「貴様等それでも鬼狩りか !! 恥を知れい !!」
「霧が晴れました故、思い切って馳せ参じましたぞ!」
万雷の怒声を物ともせずに戌亥隊は意気込むと、一人は腕を上げて力瘤を作り、残り二人はまだ敵が潜んでいるのかと、手で庇を作り目を細めては、執拗に辺りを見渡した。
「若! 無礼られておりますぞ !!」
「お前が言うな」
妖を退治したとは露知らず、的外れな言動を取る3人を指差しながら、万雷は坂田へ抗議したが、坂田は普段の万雷の態度に思う所があるため肩を持たず、すぐさま万雷へ吐き捨てた。
「ガツンと一言申し致すべきです!」
未だ抗議し怒りに滾る万雷を見て、坂田は又もや苦言を溢すかに思われたが、意外にもその顔は綻んでいる。
「良いではないか。 皆 無事であったのだ。 命あることが何よりも肝要ぞ」
坂田は穏やかな笑みを浮かべ万雷を軽く諫め、幸福に包まれた晴れやかなその顔には、深く眉間に刻まれていた皺の痕すら残ってはいない。これまでの険しい面相と一転して、この穏やかな顔立ちこそが、本来の坂田の姿なのだろう。
全員の無事を噛み締め、心から喜ぶ主を見て、万雷は自身の頭をぼりぼりと掻き。その顔は未だ顰め面だが、すっかり怒気を削がれた様子で口を紡ぎ、譴責は胸に納めたようだ。
坂田の柔和な調子が場に安らぎを与え、配下達は張り詰めていた緊張を解き、肩の力を抜いて漸く一同は顔を微笑ませた。
「わ…若 !!」
戦いを終え安堵に胸を撫で下ろしていた一行だったが、突然配下の一人が上擦った声で坂田を呼んだ。
しかし配下が名を叫ばずとも、坂田は自分達を取り囲む大勢の人々の気配に、仲間よりも寸秒早く気が付いていた。
坂田達を取り囲む人の群れは、枚挙に遑がない程の群衆であり、村の風景は人々によって遮蔽され、辺りを一望する事は叶わない。
その群れは老人から子供まで齢も性別も様々だが、全員瞬きも行わず、坂田一同を食い入るように見詰め、その眼差しは何かを訴えかけているようであった。
此方を凝視するその姿に生気が感じられないのは、この者達が命尽きた霊魂であり、生活の営みが垣間見える服装から見て、蟒蛇に食まれ犠牲になった村の人々であろう。人々の脚は膝下から透き通り、そこからなら微かに村の風景が透けて見える。
無念を残した魂が供養されずに彷徨い、憐れにもこうして面前に現れたのだと、察した坂田の表情には新たに影が差した。
そして坂田は、刀柄を握り困惑の様子で主を庇い立つ配下達の列をそっと掻き分け、村人へと歩み寄った。
「…先程寺があると言ったな?」
「は…はい !?」
「案内致せ」
坂田は戌亥隊の一人に命じると、当然であるかの様に、村人達へ深く頭を下げた。
「此度は我ら儺斬が御供養 仕ります。 その後、必ずや僧徒を招き執り行う故、今は曲げてお許されを…」
至誠の心を以て申し出た坂田に続き、配下達も揃って深く頭を下げる。
時の程、頭を垂れる坂田一行を、亡魂たちは虚ろに見詰めていたが、一行が顔を上げる僅かな間に、数多の霊魂達は全て姿を消していた。
応諾してくれたのだろうと、受け止めた坂田一行の視線の先には村の出口があり、怪異が解決した今ならば、もう村里へと戻される事はないだろう。
しかし坂田は出口を目指さず、村人との約束を果たす為、――その魂を弔う為に、配下達を連れて再び村の奥へと歩み出す。
残照 満ちる夕空に広がる最後の光芒が消えゆき――
辺りには舞い散る銀杏の葉と追風のみが、坂田一行の旅路を見送るかの様に吹き抜けた。
©️2025 嵬動新九
※盗作・転載・無断使用厳禁
※コピーペースト・スクリーンショット禁止
※ご観覧以外でのPDF、TXTの利用禁止




