六章 十四丁 万劫獄苦
本当ならば、あの時共に死する身だった。
だがこうして命尽きず、仇討ちの機を得られたのは、村人の懸命な介抱と、弟子の情けを受けたから。
血溜まりに倒れる師を生かそうと、最期の力を尽くした二人の弟子。
剣術に荒さは目立ったが、最も意欲に満ちた三郎。そして、面倒見がよく、弟達に慕われていた麻丸。
今際の身を引き摺って、毒を遠ざけるため師の頭に覆い被さった弟子の 命脈 が、未だこの身体に残されている。
『生…きて……くだされ………』
それを最期に、三郎の身体から力が抜けた。
『…仇を……』
耳元で、そう願う麻丸の息が止まったのがわかった。
背中越しに伝わる、弟子の息絶えた感触を忘れぬ時はない。
かけがえのない人々、愛する者を奪われたあの地獄から、湧き上がる怒りは静まらず、鬼を殺すまで死んでなるものかと、左手の血を握り潰し、無き眼差しに殺怨を込めて、窟を睨む。
鞘を握る指先に、力が籠もったその時、背後に気配を感じた。
「……何故戻られた? …ここを去れと――、申した筈」
夜が明けたと、湿り気の匂いで分かる。
白々と空が明らむであろう刻に、昨の旅人が息を潜めて歩んでくる。
「もう…その身体では……、ろくに剣を振るえない……」
ネイは静かに歩み、鍛え抜かれた卜部の背へ声掛けた。
「……いらぬ情けです」
衰弱 する身体を顧みず、卜部は洞へ意識を戻す。
その後ろ姿を、ネイは悲哀を浮かべて見詰め、暫しの時を要して心を決めた。
「貴方を慕い、留まる人のために…――貴方はここを去るべきです」
命を重んじるがゆえに、ネイは真実を打ち明けた。
瞬時に意味を察した卜部は、泰然とした様相を一変させて振り返り、信ずる者に欺かれた驚愕を露わにする。
「鳥什丸殿……ッ、嘘を……?」
復讐に囚われようと、樋造たちの思いやりを感じ取れる心が卜部にはまだあった。それに希望を見出し、ネイは説得を続ける。
「今なら、まだ間に合う。 村に戻りましょう」
卜部の心は僅かに揺れた。
しかし、それを許さぬとばかりに、窟に蠢く気配がある。
卜部は速やかに立ち上がり、耳を澄ます。
唇は空気の揺らぎを、足裏は微動を捉え――、憎き怪物は、紛う方なく洞内を這いずって出所を探している。
だが千載の機は、待ち侘びる者の前に現れるとは限らなかった。
同じくして空が白む頃、御鈴姫はふと目が覚めた。
囲炉裏の薪は足され、程よく暖まった室内には、微かに寝息を立てる黒桜丸と、自分の掛布の中で腹を上にして眠る狛和丸の姿がある。
黒桜丸は八乎が付け替えた髪留めを結んだまま、横向きに昏々と熟睡しており、昨晩から何処か気怠そうな様子を見せていただけに、ぐったりと同じ姿勢で眠り込むその後ろ姿が少し心配になった。
「ネイ…?」
目を擦りながら寝惚けた調子で室内を見渡せども、こっそり抜け出したネイの姿は当然ない。
外にいるのかと思い、音を立てずに上掛けから這い出したつもりであったが、黒桜丸はぱちりと覚醒した。
起き抜けに刀を取り、瞳を左右に彷徨わせて五感を研ぎ澄ます姿に面食らい、訳を尋ねようと御鈴姫が口を開きかけた時、山が割れるような地鳴りがした。
「な、なにっ!!? 狛ちゃん何の音っ!!?」
「ふが? 何じゃぁぁ……心地よく寝て……」
鼓膜を圧するほどの爆音を聞いても、楽寝に興ずる狛和丸を御鈴姫は揺さぶる。
鳴り止まぬ地鳴りに、流石の犬神も恐れを感じて飛び起き、急速に迫りくる何かから逃れようと御鈴姫の袖を引っ張った、まさにその矢先だった。
凄まじい衝撃を受け、家は半壊し、大風に攫われるように板壁や屋根の一部が空へ打ちあがった。
木っ端微塵に砕け散る家屋の残骸を浴び、悲鳴を上げながら身を伏せて凌ぐ御鈴姫の腰を、巨大な手が掴み取った。
「小鬼ぃいいーーッ!!! 小鬼だぁああッ!!! うまそうだぁああーーッ!!!」
疫鬼は、御鈴姫を口元へ引き寄せ、頭からその小さな身体を噛み砕かんとしていた。
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