六章 八丁 在りし日の面影
老人の名は樋造というらしく、其処彼処の空き家を自由に使って良いと言うので、厚意に甘えて井戸に程近い家屋を選び、そこで旅の荷を解いた。
この家は住人がいなくなって随分経つと聞いたが、中は綺麗に掃除が行き届き、雨漏りの跡も修繕されていた。
使えそうな雑器はないものの、寝泊まりするだけなら十分すぎる広さがある。
枯れ枝を拾いに行く間に、樋造とは別の村人が薪を運び入れてくれ、鉢合わせた際、ばっちり外つ国の者だと知られてしまった。が、男はそれほど驚かず、目立って大変だねと言い残されたのには、少々絶句してしまった。
樋造もそうだが、この村の者は余程気が滅入っているのか、何処か悶々と暗く、笑んでも形ばかりに見える。未知のものに動ずる余裕もないようだった。
男が去り、開いたままの戸口から姿を見せた樋造も、ネイの外見を目にして、ぱちくりと瞬きはしたが、何も触れずに土間へ入ってきた。
腕には熾した炭を持ち、ちょっとした漬け物が付いた握り飯、煮物まで、人数分持ってきてくれた。
「良きもてなしも出来ませんで…」
自分の身なりも裕福でないのにそう言いながら囲炉裏へ炭を移す。
「助かります。 ありがとう」
感謝を伝え、ネイは集めた枯れ枝と貰った薪を囲炉裏に並べる。そして、老人の顔色を窺って遠慮がちに切り出した。
「……貴方は…、この地を離れないのですか?」
そう尋ねられる事が多々あるのか、樋造は自嘲的に微笑んで炭を弄る。
「そうしろと先生――…卜部様と約したのですが……、あの方を置いてはどうも………」
ぎこちなく頭を掻いた後、ゆっくり目線を戸口に向ける。
「…あと四人ほど、村にはおります」
言い終えると樋造は気を落ち着かせるように、冷え切った自分の膝を撫でた。
「何故そこまで…?」
深く踏み込まれる事は予想していたであろうが、樋造は未だ踏ん切りが付かない様子だった。しかし、これではいけないと思い直したのか、眼差しを伏せたまま長い長い息を吐いた。
「そうですな……夜は長い…。 あの日から…これまでも……、とこしえに思える――……」
ひっそり呟くと一同を見渡して、その優しい目元を細める。
「あのお方との出会いから、お話し致すとしましょうか…」
重い口を開いた樋造は、当時の情景が思い起こされるような語り口で、昔日を偲んだ。
「ここは元より、樵が拓いた村でして…。 今ではこの有様ですが……、昔は大勢で、乏しい飯を分け合い暮らしておりました」
依頼を受けて樹木を伐採するのが主な仕事だが、樋造の先祖達にとって、それは苦汁を嘗める時代だったと云う。
常に命を張る仕事であっても報酬は安く、雇い主が悪かったのか、山の中で飼い殺され、賤しい者と扱われるのが一番の屈辱であった。
やがて反撥は起こり、先祖は流れに流れ、この地で暮らし始めたまでは良かったのだが、樵達のみでは中々仕事が成り立たず。自由を得ても生活は苦しいままで、そのツケは自分の代にも降りかかってきたと、樋造は苦笑する。
「ある時、見知らぬ若者が一人。 村にふらっと現れて…――村長、この儂と話したいと。 …… 霊妙 な気を纏う……何処か寂しげな若者でした」
樋造は今でも、若き日の卜部の姿を思い出せるようだった。
©️2025 嵬動新九
※盗作・転載・無断使用厳禁
※コピーペースト・スクリーンショット禁止
※ご観覧以外でのPDF、TXTの利用禁止




