五章 四十九丁 褒美
音に注目すると、何処から出したか定かではないが、 瓢羨 の掌の下には和紙が敷かれており、その中心に染み付いた血手形は、まだ赤々と濁る気配をみせていない。
「それは――…!」
「わしに届いたものだ。 この手形に覚えがあろう」
肌を粟立てるネイへ瓢羨は緩やかに言い、肘掛けに戻る。
「……奴の手形だ…」
前へ乗り出して注意深く手形を確認し、ネイは 悄然 と姿勢を戻す。
「くく…古き手よ。 かような年月を経て、戯れに興ずる愚物がまたと出でるとは」
瓢羨は手形を小馬鹿にして見下ろす。が、化け猫たちは一斉に毛を逆立て、手形へ威嚇し、袖で牙を隠している。可愛らしく阿る顔は、すっかり獣へと変わり果てた。
「それに何の役割がある?」
周囲の殺気立つ様を意に返さず、黒桜丸は尋ねる。
その問いに、瓢羨は他愛ない事のように言い捨てた。
「服従か、合戦の意」
そう述べた途端、身を寄せ合っていた化け猫たちは目を吊り上げ、爪を立てて荒ぶる。
「わしのみとは限るまい」
瓢羨は宣戦布告を受けたと涼しげに言いながら、目を血走らせる化け猫へ煙草を催促する。
その不動心ともいえる落ち着き振りを見習い、ネイは波立つ心を静め、今一度持ちうる情報を整理した。
これまでの旅路において、無貌鬼の手掛かりはあまりに少なかった。
その事を踏まえるに、行動を起こしているのは手先となる何者かであり、より戦力を募るのは順当な事運びに思える。
「つまり…その手形を配る使者……。 そいつから無貌鬼の居所を…聞き出せばいい……、そういう事だろうか?」
ネイが尋ねると、瓢羨はほうと顎を上げる。
「それだけ察しが良ければもう帰れ。 飽き飽きよ」
あっちへ行けと言うように手で追い返し、気怠げに煙草を喫む。
「斑気がすぎるわっ! まだ肝心な事を何も聞いとらん!」
その言い種に、狛和丸は短い手足をばたつかせて抗議する。
「同士を得んがため…力を求むるが故にこの地に流れたならば――…もう遅かろう。 時至れり、奴と相対する日はおのずと来よう」
頬杖を突き、今にも瞼を下ろしそうな瓢羨へ、ネイは断として首を振った。
「ただ待ってなどいられない。 教えてほしい。 この国に仇なす妖の在処を…」
鬼の 謀略 に先手を打つ事ができれば、戦力を削ぎ、あわよくば無貌の元へ辿り着ける。それが尽くせる唯一の事ならば、座視は許されない。
覚悟を改めるネイを、瓢羨は興ざめた眼差しで見定めていたが、やがてふぅと呆れを溢す。
「どうでもよいが――……無貌を逐った事を、主は必ずや悔いるぞ」
そう深意ありげに伝え、訝るネイを等閑に、やはり面倒という所作で語り出す。
「鬼がいずれば、また鬼狩りもいずる――…いつの世も相滅し、我等あやかしはここまで零落せしめた……。 故に、選り取る輩が…如何ほど残るか………」
煙草の灰を替えさせ、相手を待たせることも構わずに、瓢羨は気楽に煙を味わう。そして何を思うのか、まだ一服味わえるというのに、二服程度で灰を落とす。
「まずは疫鬼」
そう口を切り、皮肉めいた笑みを面に浮かべる。
「上野の山内……然る岩屋に今も身を潜めておる。 二十余年の空しき時を、彼奴が死すとも知らずにのぅ。 おのずと悟れば、…くく……人を喰らいに這い出るであろうなぁ」
おどろしい語り口に、御鈴姫と狛和丸は戦慄いて身を寄せ合う。
「上野……ここから近い…。 他には?」
ネイは臆さず、街道の地図を脳内で辿りつつその鬼を目的の一つに定めた。
©️2025 嵬動新九
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