五章 四十五丁 鬼襲
何かしらの 計略 を練り、纏まって移動する獲物の気配を、邪骨鬼は敏感に感じ取っていた。
分散した者を一人ずつ葬る、その段取りは狂ったが、人間如きが一時手を携えたとて、鬼を逸することなど決してない。
そう侮り、己の勝利を疑わず、のたりと一同の足取りを追う。
だがネイ達は、とある広座敷へ入り込んでからというもの、妙に静かで、そこを立ち去る動きはなかった。
広々とした室で待ち構え、中へ踏み入ったところを 挟撃 する。目論見を容易に見抜いた邪鬼は、気配を殺し、慎重に座敷へ忍び寄った。
そして内部を覗おうと、障子戸を目幅だけ引く。すると異なことに、白い煙が一筋、戸口から流れ出てきた。
火事か。そう考え一瞬肝が縮んだが、煙には燻した匂いも、目や喉を苦しめる刺激もない。
室内には、先が見通せぬほど煙が充満し、巡る気流によく目を凝らせば、霞みの出所は子犬であった。
「おえ…っ! おえぇっ!!」
涙を流しながら犬神は口から煙を出し、それを少女が扇いで、全域に行き渡らせている。
「狛ちゃん頑張って!」
白目を剥いて、ぐったりと伏せる子犬の背を撫で、御鈴姫は懸命に扇を動かした。
「狛ちゃんがたいへーん! もういいかーい?」
犬神の限界を悟り、御鈴姫が濃煙へ呼び掛けると、室の中心から山彦のように声は返ってきた。
「もう、いいよー!」
ネイの声を聞けば、少女は瀕死の犬神を抱え、手際よく押し入れに籠った。
この奇異な光景を覗き見ていた鬼には、獲物共が戯れているように思えた。
だが何か企みがあるはずだと、天井から薄れゆく煙に目を凝らせば、ぼんやりと人影を認めた。
室のど真ん中に、覆いを被り、 狐面 をつけた男が一人佇んでいる。
濃煙は男の胸辺りにまで下がり、そんな視界の悪い中、何故容姿を隠しているのか、鬼は思慮が及ばなかった。が、覚えのある隙だらけの立ち姿から、ネイが囮を買って出たのだと見抜いた。
囮へ急襲すれば、潜んでいたもう一人が背後を襲ってくるだろう。
これほど煙が充満しては、上背のない人間共が不利だというのに、なんと愚かなのかと、鬼は込み上げる笑いを必死に殺す。
煙が消える前に囮を始末し、そして視界に手間取るもう一人をじっくり片付ければ良い。
鎧を脱げばさらに加速するとも知らずに、阿呆め、とすでに快勝の味を噛み締めながら、草摺と脛当てを外す。
そして愈々と決まれば、戸を破り、隻手である獲物の死角から躍り掛かった。
「ぎゃははァッ!! 阿呆めェッ!! 死ねェええッ!!!」
狐面が視界を狭めている所為か、男は一拍遅れて振り返り、鬼が間近に迫ろうとも刀すら構えられなかった。
そんな男の頭上へすでに太刀を下ろした鬼は、取った、と快哉を叫んだ。
――のも呆気なく、男は右腕の短刀で一撃を止めた。
「な…ッ!! う、腕が生えたッ!?」
合羽から現れた腕を見て、鬼はぎょっと身を竦める。
すかさず男は太刀を押し返し、忍ばせていた朱鍔の刀に指を掛けた。
「生えるか、阿呆」
身を翻した瞬間、鬼の両腕は斬り落とされ、宙に放り出た腕は黒炎に包まれる。
「貴…様ッ!! 入れ替わって…ッ!!?」
捲れ上がるフードから、激しく躍動する黒髪を目にし、漸く鬼は過ちに気付いた。となれば、更なる追撃を恐れ、戸口へ駆け出す。
鬼の逃走を隅で待ち伏せていたネイは、煙を突き抜けて、邪鬼の脚を横凪ぎに斬る。
一溜りもなく膝を付いたところを、黒桜丸は尚も袈裟切り、傷口を割るように燃え広がる炎に鬼は苦しみ、悶え狂った。
「な…んだとォ…ッ!! 己が…ッ己が…こんなッくだらん――ッ!!」
炎に全身を呑まれ、倒れ込みながらも喰らい付いてくる鬼の首を、黒桜丸は落とした。
「ひっ!!」
丁度、押し入れを開けた御鈴姫は、その残酷な光景を目撃してしまい顔を覆う。
鬼の首は、畳を汚しながら戸口まで転がり、やがて物言わぬ灰となった。
黒桜丸が斬瞑天月を収めれば、炎は一瞬荒々しく燃え上がるが、横へ揺らいで忽ち掻き消え、黒く焼け焦げた死骸だけが残る。
だがそれも、炭が燃え尽きるように寂しく音を立てて、畳へ焦げ跡を刻み消えていった。
©️2025 嵬動新九
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