五章 四十四丁 鬼襲
叩き下ろされる一撃を難なく躱し、ネイは相手の脇腹へ刀を振るうが、もう片腕で、それは敢え無く防がれる。
「隻腕か? ならば受け切れまい」
長い右腕を鞭のように撓らせて斬り付け、それを避ければ、別の腕がネイを追い込む。
鬼の予告通り、片腕では二刀遣いの手数を捌けず、ネイは逃亡に転じた。そして、いち早く逃げ出す御鈴姫を拾い上げると、脱兎の如く廊下をひた走る。
だが鬼は、これでもかと得物を投げ付け、逃げるネイを何処までも追い掛けた。
「ぬぁああッ!! 何じゃ彼奴はぁあッ!! 何本得物があるのだぁーッ!!!」
半数の武器を手放し、身軽くなった鬼はどんどんと差を縮め、遂に背後まで迫った。
無限に続く廊下を駆けずり回るネイへ、鬼は何度も刃を振り下ろし、定めた相手を 執念深く追い詰めてゆく。
「おォ! 良い得物を持っておるなァ!! 近こうッこっちへ来いッ!! 己のなまくらと取り替えてやろう !!」
背に担う五輪王御劔を見て、鬼はいっそう熱気を高め、刀で板壁を粉砕すると、その破片をネイへ浴びせる。
鋭利な木片が凶器となって降りかかり、御鈴姫に当たらぬようネイは精一杯屈み込んだ。
それが幸いして、折れた柱の一部はネイの頭部を掠めて廊下へ投げ出され、九死に一生を得た。
然るに一難を脱したとて更なる追撃は止まず、鬼は逃げ場のないネイへ強烈な一撃を叩き込む。――つもりであったが踏みとどまり、背後からの斬撃を受け止めた。
片腕で凌げず、 両刀 を使って鍔迫り合い、それでも押し負ける鬼は、信じられぬと 瞠若 する。
「何だッ、その刀はァッ!?」
刃から放たれる黒炎が鼻先を炙り、鬼は反射的に斬瞑天月を弾き返した。
その際、脇差しが破損し、慌てて他の武器を選び取る鬼へ、黒桜丸は次々と剣戟を浴びせる。
鬼は引け腰でそれを受け流すが、じりじりと後退り、守勢に立たされた。
「グッ…ゥウッ! 腕が立つなぁ貴様ァ…ッ!!」
黒桜丸が突きを放てば、黒炎はその軌道を追って鋭く前方を貫き、鬼は紙一重でそれを躱した。
炎は床に散らばった壁の残骸を吹き飛ばし、至る所に火の粉が燃え移る。
鬼は力の差を思い知ったのか、近場の障子戸を突き破り、室を次々と乗り換えて姿を眩ました。
「ち…」
黒桜丸は歯痒く舌を鳴らし、炎を鎮めるため一度刀を納める。
散乱した炎は、息を吹き掛けたように一斉に掻き消え、嘗て己の命を焼き尽くした刀を、意のままに扱う光景にネイは圧倒された。そして、刀身に纏わる炎を涼しげに鞘へ還す姿に、鬼宿る刀に選ばれた者の真髄をみた。
「逃げよったぞ! 早う追えっ黒桜 !!」
指図された黒桜丸は、犬神を睨み付けた。かに見えたが、突然、御鈴姫の帯を鷲掴む。
「えぇ!!? きゃああっ!!」
そのまま乱暴に引き寄せられ、着物を脱がされてしまうと大慌てな御鈴姫は、子犬を地に落とし、ネイへ縋り付いて助けを求めた。
相手が嫌がっていようとも、黒桜丸はしつこく帯を弄くり、帯締めの結び目が解ければ、あっさり御鈴姫を手放した。
奪い取った帯紐で、雑に髪を結ぶ姿を目で追いながら、何故貸してと言えないのか、ネイは呆れた。
金糸が編み込まれた今様色の紐は、旋毛辺りできらきらと輝き、顔立ちが 明瞭 に現れたことで、物乞いとまで思えた外見は、ぐっと印象が変わった。
適当に首を振って結び目を確かめると、黒桜丸はネイ等を放って、鬼が突き破った戸口へ向かう。
「待て。 別れない方がいい」
ネイが呼び止めれば、邪魔するなと言いたげに、黒桜丸は睨み返す。
「一度見失うと、二度と落ち合えぬやも…」
「だから何だ」
黒桜丸は忠告を無下にし、鬼を追跡しようと一歩を踏み出したが、鼻が異臭を捉えた。
「利はある」
苦笑気味にそう告げたネイの背後には、刀を振りかぶる鬼の影が、はっきりと障子に映り込んでいた。
振り向きもせずにネイは奇襲を避け、戸を両断した刀が床板を深く割る。
姿を現わした瞬間に、反撃に掛かる黒桜丸を見るや、鬼は引っ込み、壁を突き破って再びこの場から逃げ去った。
「ち!」
苛々と刀を仕舞う黒桜丸を見通すように、鬼の 嘲弄 が館に響き渡る。
「ぐァはははッ!! 貴様らの負けだァ!! 人間など脆い脆いッ!!」
挑発に乗り、追おうと駆け出す黒桜丸の肩をネイは引き留めた。
しかし、それはすぐに払われる。
「こうやって隙あらば打ち、疲れさせる狙いだろう」
黒桜丸は碌に耳を貸さず、やはり一人で鬼の後を追う。
「そして、劣る者から為留める」
だが、そう付言した直後、黒桜丸は足を止めた。
何を言わんとしているか、理解したその見返り顔へ歩み寄るなり、ネイは肩へ腕を回す。
「策がある」
何処で聞き耳を立てるか知れぬ鬼を意識し、可能な限り声を潜める。
「…!」
戦法を伝えれば、黒桜丸は眉間に皺を寄せ、あからさまに嫌な表情でネイを見詰め返した。
©️2025 嵬動新九
※盗作・転載・無断使用厳禁
※コピーペースト・スクリーンショット禁止
※ご観覧以外でのPDFの利用禁止




