五章 四十三丁 鬼襲
一体何をされたのか、大事な何かを掠め取られた、そんな不安に苛まれる。
酷い目眩と動悸に襲われ、眼球を引き抜かれた様な不快感から、右目を押さえずにはいられない。
顔を庇い、取り乱す黒桜丸を捨て置き、 瓢羨 は目を閉じて、涼やかに酒を流し込む。
「……これは…酒の不味い」
知らずのうちに人へ立ち返った色白の娘が、空の盃へ新たに酒を注ぐ。
「かかるものを…よくもわしの前に――……」
瓢羨は恨みがましく言い、未だ倒れ込む相手へ蔑んだ眼差しを向けた。
仰向けに転んだままネイは左目を押さえ、向けられた敵意は、その真っ青な顔色をより白くさせる。
須臾の間に変じた状況に、御鈴姫は頭が追い付いてないが、速やかにネイを助け起こした。
「だ、大丈夫…?」
案じる声にネイは頷いて応え、沸々と込み上げる心情のままに目で瓢羨を非難する。
「てめぇ…ッ!」
立ち直った黒桜丸も目角を立てて詰め寄り、二人は己が受けた苦痛に憤慨していた。
だがその様子を、色白の娘はチリチリと簪を鳴らして楽しみ、頬を突く瓢羨の手から盃を受け取る。
「興はそがれた、が……思わぬ上物を得た。 約した通り、足懸りくらいはやろう」
不興げに申し出た一言で、二人は思わず力みを解いた。
「――だが、それのみでは 心許なかろうて」
そして、瓢羨は扇を真っ直ぐに指し示し、片口を上げた。
「其奴を討ち果たせば、更に土産もくれてやろうぞ」
そのゆるりとした口調は、後方からの殺意を気取る妨げとなり、危機への対処を遅らせた。
「殺れ」
瓢羨が言い放つや、襖は力ずくで破られる。
ネイは御鈴姫を抱えて脇へ逃れ、黒桜丸も身を翻して、背後からの襲撃を回避した。
絢爛な襖障子を穿つ大太刀は、そのまま瓢羨へと迫る。が、ひとりでに閉じた襖が室を分断し、瓢羨の不貞不貞しい笑みは隠された。
「逃がすかァああッ!! 瓢羨 !!!」
襲撃者は、行く手を阻む襖ごと、瓢羨を叩き潰す。
だが取り除かれた襖の奥には、瓢羨の姿どころか、装飾のすべてが引き払われ、がらんどうな空間に埃が漂うのみである。
「くそぉおおッ!! またしても逃した !!! 貴様等の所為だァああッ!!」
「知るか。 何だてめぇは」
当たり散らし、太刀を床へ打ち付ける相手へ、黒桜丸は吐き捨てる。
見上げた襲撃者の形姿は人と見えなくもないが、手足の長さが左右で異なり、くすんだ肌からは鼻を覆いたくなるような屍臭がする。
大きく亀背した体は、目鼻の歪んだ 醜悪な容姿をより目立たせていた。
「瓢羨を亡き者にすればッ!! すべてが己の手に落ちるッ!!」
妖は、更に得物を叩き付けて力を鼓舞し、耳障りに喚く声が室内に満ちる。
側頭部から後ろへ伸びたツノが、鬼の類いであることを示し、骨張った身体を動かす度に、じゃらじゃらと人骨を繋いだ鎧が重なりあって音を出す。
ネイは、その特異性に思い当たる節があった。
邪骨鬼。
邪鬼の一種で、物への 執着 が強く、骨の 拾集 を好むものをそう呼ぶと聞いた事がある。
無念を抱く屍が死肉を集め、身に蓄えるうちに鬼となり、数多の生者を喰らうため、鬼狩りの間では討伐を優先される妖であった。
出くわせば、鬼形へ転ずる前に討ち取ってほしいと、捕物屋にも再三頼まれていた。
「まぁ丁度よいぃ…。 縄目が崩れたのだ、貴様等の骨で継いでくれよぅぞ」
鬼は壊れた鎧の胸を指し、毛髪で編み込んだ大腿骨を目にした狛和丸は毛を逆立てた。
「ぎゃああッ!! ワ、ワシに骨は無いわぁああ !!!」
喚き散らす犬神を抱えた御鈴姫を、ネイは廊下へ誘導すると、戦いに備えて身構える。
「死ぬのはてめぇだ」
黒桜丸は悪態を飛ばし、通じ合わずとも鬼を挟んで囲い立つ。
好戦的な姿勢を受け、鬼は突き出た顎を歪ませて腹を捩った。
「ぐぁはははッ!! 阿呆めッ! ここに足を踏み入れたが最後、館を永劫彷徨うことになるのだッ!! ――ぬははァッ!! 貴様等も、もはや出られぬわァッ!! 瓢羨を為留めるまではなァ!!」
五輪王御劔に触れながら、ネイは生じた疑問を投げ掛ける。
「ならば、他にも…。 瓢羨を狙う妖が、ここに潜んでいるのか?」
そう尋ねれば、鬼は不揃いな歯を見せ付けるように口の端を吊り上げた。
「…――いや? もうおらぬのではないか? ここで差し合うた奴等を、己は片っ端から斬り刻んだッ!!」
室内で 長刀 は不利とみたか、鬼は大太刀を捨てて、身に着ける得物の中から、脇差しを二振り抜き放つ。
「そして貴様等も――ッ己の餌食ぞォッ!!!」
鬼は揚々と叫びながら、ネイへ襲い掛かった。
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