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落貌ノ鬼『劔刀、いく世へ消えにし命さえ』  作者: 嵬動新九
第五章 百鬼夜行/後半 【江戸跋渉篇】

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五章 四十一丁 はかなきよるべ



 中庭は優雅(ゆうが)で、地鳴りに耐えうる堅牢(けんろう)な造りに、(ほこり)一つ無い清潔さ。


 こんな俗世(ぞくせ)離れた屋敷が、まことに自分の生家(せいか)なのかと、自覚の芽生えぬまま、(とみ)に案内は終わった。




 きぬは角部屋(かどべや)(ふすま)を上品に開け、避難場所を得た心地の黒桜丸は、さして室内を覗かずに中へ飛び込む。だが一歩踏み入り、見下ろした先には、三つ指を付いた娘がいる。



『 お帰りなさいませ。 お前様(まえさま)


 娘は深々と座礼(ざれい)をして迎え、すっと(おもて)を上げる。



 視線が交わったその瞬間、黒桜丸の心拍は跳ね上がった。



 主張の強い花柄の小袖(こそで) 遜色 (そんしょく)なく(まと)い、少し(くせ)のある髪質を活かした()わえ方が、この(あで)やかな娘によく似合う。


女の事にはいまいち(うと)いが、嫌みのない無垢(むく)な表情は、清らかな内面すら覗かせるようで、これまで出会った異性の中で、最も好感がもてた。



 嫁がいるなど知らされておらず、さらにその(うるわ)しい見た目を前にして、黒桜丸は雷に打たれたように、ただ立ち尽くすしかなかった。




『 ふふふふふふ―― 』


 きぬが微笑ましく戸を引いた事で、はっと我に返り、振り向けば、ぴたりと襖は閉め切られた。



 まだ状況が飲み込めないうちに、見知らぬ女子(おなご)と水入らずにされ、どうすればいいのか。おどおど視線を戻せば、娘の顔はすぐ目の前にあった。



如何(いかが)なされました? 少し…、()せられましたか?』


 心配そうに此方(こちら)を窺い、綺麗な指先を近付けてくるので、黒桜丸は慌てて和室の中央へ逃げ込んだ。



 鼓動(こどう)が異常にうるさい所為(せい)か、日和(ひより)が良い所為か、室内が蒸し暑く感じる。

よい生まれの娘は、こんなに可愛いものなのかくそと、半ば八つ当たりながら羽織(はおり)を脱いだ。



『 お()()えのお手伝いを致します。 あ…… 』


 伸ばした八乎(やを)の手に上着は渡らず、(たたみ)に投げ捨てられた。



 片袖(かたそで)はひっくり返り、(さら)け出た裏地を見下ろす二人の間には、気まずい沈黙が流れる。



嫁に差し出すのが正解だったと痛感するが、過ぎた行いは取り戻せず、上座に敷いてある座布団(ざぶとん)へそそくさ腰を下ろす。



 羽織を拾い上げ、八乎は不思議がって小首を傾げている。しかし、あまり深くは考えず、すぐに目の前の仕事に取り掛かった。


 畳に広げた上着を、ああでもない、こうでもない、と幾度(いくど)も折り返し、不器用さを悟られぬよう一生懸命に励む。その姿に、何故(なぜ)かやり場のない 窮屈(きゅうくつ)さを感じる。




 娘を見ていると、言い得ぬ不安がして落ち着かず、窓辺(まどべ)にあった煙草(たばこ)を手に取り、見様見真似(みようみまね)で火をつけてみた。


うまそうに(くゆ)らせる白影(あきかげ)を思い出しながら煙管(きせる)(くわ)えた途端、かつてないほど激しく咳き込んだ。



『 お珍しい。 …お煙草はいつも外で()まれるのに 』


 きょとんとする娘に、じゃあなんで置いてあると血が上りそうになるが堪え、煙管を(ぼん)へ突き返し、丁度良い窓枠に(ひじ)を突く。


そのまま望んだ窓外(そうがい)には、この座敷の為だけに坪庭(つぼにわ)が配され、花も木も手抜かず整えてあった。



 石鉢(いしばち)に植え付けられた小振りな青紅葉(あおもみじ)は、(こけ)と調和して風流にそよぎ、青葉(あおば)の匂いを風へ乗せて、格子越(こうしご)しまで吹き込んでくる。


そして水鉢に、ぴちゃん――…ぽちゃり――…と、(かけひ)から(しずく)(したた)り落ちる音は心が洗われる。




 どのくらい(ほう)けていたか、知らぬ間に 焦燥 (しょうそう)は消え、初めて訪れたとは思えぬほど、この部屋だけは気が休まった。



 そうなると意図(いと)せずに、目線は円窓(えんそう)から離れて室内へ向き。

綺麗に片付いてはいるが、詰め込まれた物の多さに少々(まゆ)が寄る。


手土産に貰ったのか自分で集めたのかは知らないが、子供が持つ魔除けの小物や、遊び物(あそびもの)が棚には並べられ、とても女房持ちの部屋には見えない。


どことなく幼さが漂っているかと思えば、やたらと難解(なんかい)な書物や、和歌集などが窓際(まどぎわ)に積み重なり、年寄りかとこれもまた呆れる。

座敷内を改めるほど、やはり変わり者という白影への認識は深まるばかりだった。




 室からは白影の気配を感じ、窓外には日常を切り離したような、あらぬ世の()やしがある。


 この屋敷内に唯一の温かみを見付け、自分のものではないというのに、黒桜丸はまた時を忘れ、ぼうと庭へ心を預けていた。




『 やはり何事(なにごと)かあられたのですか? この八乎でよければ、(なん)なりとお申しください 』


 いつの間にか、娘は近くに座り込み、心配そうに黒桜丸を(うかが)い見ていた。




 そんなに(そば)へ寄られては、また緊張が走る。…………が、もはや疲れた。




 構われずに一息つきたい。その思いからすべてを投げ()りに、ごろんと八乎の(ひざ)を枕に寝転がる。


これが夫婦の(つね)だと本に書いてあるのだから、こうなっては疑われぬ筈だと、幼い頃の知識を活かし、両目を閉じてそのまま誤魔化(ごまか)した。



 その様な 安直 (あんちょく)な考えなど知らぬ八乎は、膝に頭が触れれば(たちま)ち顔を真っ赤に染め、天井へ両手を伸ばしきった。



 手を触れ合った事すらないのに何事か。と目を見開いて、(しばら)くその体勢を維持(いじ)していたが、ぐったりふて寝する横顔を見るうちに、遊び疲れて甘える子供のように思え、面持(おもも)ちに慈愛(じあい)が満ちてくる。




『 ふふ。 やはりお草臥(くたび)れでしたか 』



 目を閉じて只管(ひたすら)やり過ごす黒桜丸の頭を柔らかく撫で、八乎は(ほほ)を染めながらそっと耳打つ。



何故(なにゆえ)、お母上様にお会いになられないのですか?』



 そう(ささや)かれた瞬間、黒桜丸は眼を開いた。



『 いつもは()ず、お母上様の元へゆかれますのに 』



 身体が勝手に飛び起き、八乎の顔を覗き込む。

母が生きている――、その現実が信じられぬ一方、未曾有(みぞう)の喜びに身体が震える。



 一心に瞬きもせず見詰め返す黒桜丸へ、未だ夫と信じる八乎は小首を傾げつつも、陽だまりのような笑みを送り続けた。






©️2025 嵬動新九

※盗作・転載・無断使用厳禁

※コピーペースト・スクリーンショット禁止

※ご観覧以外でのPDFの利用禁止

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