五章 四十丁 はかなきよるべ
恐ろしく蒼白な顔色で、男が廊下に立ち竦んでいる。
如何にも陰気そうな黒染の装いを見るに、屋敷に仕える用人か何かだろう。が、色の失せた唇を震わせ、瞠目するこの男の取り乱し方は、こちらの正体を完全に見抜いている――そう 直覚 した。
『 ………ぉ…帰りなさいませ。 …白影様 』
頬傷の男は騒ぎ立てず、平静を装った。
『 …ああ 』
そちらが黙認するならこれに乗じ、さっさと脇を通り抜け、男の気が変わらぬうちに、手近な曲がり角へ逃げた。
突き刺さる様な男の視線から解放され、追求を免れた一安心も一時。何がばれないだ、あいつ、と腹の内で愚痴り、廊下が続く限りそのまま突き進んだ。
すると、台所が近いのか、頻りに女中とすれ違う。
召使いの身分の者は、廊下を行くことを許されていないようで、庭を忙しく行き来し、廊下に立つ黒桜丸を見上げるなり、何故こんな場所にいるのかという顔をする。
だがすぐに己の非礼を恥じ、女達は慎ましくお辞儀を揃え、『お帰りなさいませ』と帰家を労った。
返事をするべきか迷ったが、先の失態が頭を過ぎり、どれほど奇異な目で見られようと、ひたすら廊下を驀進する。
いっそこのまま裏口から抜け出したい、されど人目に付いた状況で、廊下を徘徊した末に出て行くなど不審すぎる。そして何より、預かった荷物をまだ返していない。
金は旅費と身繕いに使ってもまだ半分以上が残っており、刀以外やると言っていたが、そう安々と受け取るのは気が進まない。
白影が気楽に寄越した黒鞘の刀は、飾り気のない控え目な外観をしているが、すべてがよい材質で作られ、さして得物に興味がない自分にもかなりの値打ち物だとわかる。
刀を鉄屑へ落とす悪癖を自認しているだけに、早く手放して楽になりたかった。
だが、屋敷内は想定を超えて広く、複雑に組まれた通路は曲がる度に景色が変化し、何処でどんな目があるか、適当な場所へ置いておくことも出来ない。
そうして行き先もままならぬ足取りで、現れる道筋を辿っていると、いつしか大勢の少年が屯う場所へ出ていた。
表の長屋門から始まり、ぐるりと屋敷を囲うよう建てられた長屋は、塀の役割を兼ね、加えて若者達の住まいとなっている。
長屋は障子などの遮蔽物が取り付けられておらず、夜は戸板のみを引くのか、すべての室が奥まで丸見えであった。
個人の秘密など一切尊重されぬ暮らしだが、少年等は当然のことと順応し、仲の良い者同士で小休を楽しみ、一人を選ぶ者は近寄りがたい暗い面持ちで、ひっそりと日影に立っていた。
成人から稚い者まで、かなりの年齢差があっても、若者達は一定の距離を保って接し合い。頬傷の男と同じ、全員統一された黒染めの服を着ているが、それぞれの役割と所属する塊は異なるようで、出入りする室は様々だった。
『 あ…っ! 白影様! お帰りなさいませ!』
汗を掻いた少年が、水桶を抱えて小走りで通り抜けようとした際、廊下の隅に立つ黒桜丸に気付いた。
すぐに桶を地べたへ置いて傅くと、他の者も慌てて作業を中断し、その場で膝を折った。
大勢の若者に、波の如く一斉に頭を下げられ、圧倒された黒桜丸は……踵を回らし逃げる。
若者等はえっと声を漏らし、今日はどうなされた、という困惑のざわめきが背中越しに聞こえるが、もうすべてが嫌になり、聞き流した。
あんなに子供ばかり集めて何になると、足付き荒く角を曲がったその先に、一人の老婆が向かい来るのが見えた。
やっと中庭へ戻り、縁側を真っ直ぐ通り抜けたかったのだが、このまま老婆と行合う事に危うさを感じ、他の分岐へ曲がる。
ところが台所へ向かう道だったと思い留まり、結局行き先を決めかね、きょろきょろと怪しい挙動を見られた上、分岐点で立ち止まる失態を犯した。
俯きながら首を掻いてやり過ごしていれば、老婆は出合拍子にくつくつと笑いかけてきた。
『 まぁふふ。 旦那様のおとどは彼方ですよ、ふふ 』
きぬは行き先を示し、案内するとばかりに廊下を引き返す。
『 相も変わらず、ご冗談がお好きで御座いますね 』
迷子の振りをしていると思い込んだらしく、老婆はごっこ遊びに付き合うように、袖を揺らして楽しそうに廊下を行く。
その道すがらには、坊やは熱心に働く良い子ばかりだと話し、桔梗が綺麗に咲いた、と庭へ視線を向けさせたり、客人のように黒桜丸を扱った。
老婆との穏やかな時間が、逸る気持ちを静め、先まで関心が向かなかった屋敷内を、今一度見渡す気になれた。
©️2025 嵬動新九
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