五章 三十九丁 千々の桜にて
手土産の酒を傾け、一面の散り桜と、向こう山の桜景色を見渡していれば、出会った頃に立ち返る心地すらある。
時折、ぽつりぽつりと互いの近況を聞き合うが、言葉足らずな黒桜丸は、やはり詳細は語らない。
だが、以前よりも少し肉付き、襤褸雑巾よりかは小増な格好をしているのを見るに、気ままに金を稼ぎ、地道に努力を重ねたのだと汲み取れた。
白影も己の事は変わりないと言うだけで、労いの会話は早くも桜へと移り変わった。
『 ――ふむ、なるほど。 ここの桜も見事だが、やはりわしの物には劣る 』
花枝を見上げ、熟々と述べる白影の桜とは、どの様なものなのか、口には出さぬが黒桜丸は気が惹かれた。
けれどもそれ以降、白影は相手の酌ばかりで、折角の花見というのに酒を控え、杯を重ねる黒桜丸の横顔をひたすら打ち守る。と思えば藪から棒に、ある提案を持ちかけた。
『 のぅ黒桜。 ……わしと入れ替わらぬか?』
慮外な話をふっかけられ、黒桜丸は口へ運ぶ酒を中途半端に飲み込んだ。
『 あぁ?』
そして顎を引くと、白影へ呆れた眼差しを向ける。
『 奇策であろう? 入れ替わったとて、屋敷の者は気付くまい 』
相手が呆れ返っていようが、白影は良案だと意気込みを押し付ける。
『 愚鈍な者共ばかりぞぉ。 殊に父上など、わしが案山子と入れ替わろうとも言い掛かるであろうなぁ 』
『 おい 』
構わず滔々と話す白影を禁める。が、当人は大真面目とばかりに黒桜丸を見据える。
『 お前の家でもあるのだ、異しからん事ではない 』
白影はさらりと言ってのけ、さも真っ当な事柄のように続ける。
『 時々入れ替はり、主も余沢を蒙るべきぞ 』
『 ふん…、……くだらねぇ… 』
恩恵に預かるのは当然の権利だと主張するが、黒桜丸は相手にせず、首を背けて桜を眺める。
『 そう言うな。 父上を欺くなど面白いではないか。 試さぬ手はない 』
歓心を買うようにどんどん酒を注ぎ、頑なな心を動かそうと白影はあれこれ口を回す。
『 お前が望むならそのまま居着いても構わん。 一番大きなわしの座敷をやるぞ?』
『 いらねぇ!』
どうだどうだと、衣が触れ合うほど躙り寄るそのしつこさに苛ついた黒桜丸は酒を呷った。
とはいえ、こうして改めて向き合わされると、家族への未練が真にないか、言い切れぬものがあった。
だが自分を捨てた父親と今更顔を突き合わせたところで、辛酸を舐めることは目に見えている。
幼き頃から焦がれる母親も、口の端に上らぬ以上、もうこの世にはおらず――。そして、父親と同様に、自分を求めてはいなかったのだろう。
『 どうでもいい……、今更 』
そう考えては塞ぎ込み、溜息と共に言葉を捨てれば、白影は切なげに息を止める。が、気持ちを切り替えて笑みを作り直し、努めて明るく振る舞う。
『 …――興がのらんか。 では桜はどうだ?』
一番の関心事を目の前にぶら下げられ、黒桜丸は伏せた面差しをじっとり上げる。
『 わしの屋敷の桜は四季など構わず、年中咲き誇る。 江戸では遍く知れ渡るほどぞ 』
商人のように 口上を述べるのがあまりに胡散臭く、黒桜丸は眉を吊り上げた。
『 …はぁ?』
思い切り呆れ声を出すが、憂さが紛れ、存外すっきりした顔付きをしているのを、白影は見逃さなかった。
『 まぁ信ぜよ。 この世の旨しきを知らぬは勿体ないぞ 』
聞き覚えのある言葉がここで現れるとは思わず、黒桜丸は虚を突かれる。
その黙り込む姿を手応えと感じ、白影は肩へ腕を回すと、にっこり不敵な笑みを送った。
『 わしの思い付きに乗れ。 わし等が共にあれば、如何様にもなると思わんか?』
こうした白影の他愛の無い言葉に、心が軽くなっているのをこの時始めて自覚した。
だからか、眩しいほどの笑顔と、桜への興味に抗えず、咄嗟に突き放すことが出来なかった。
きっぱり断らぬのを良いことに、白影は別れ際に刀や大金、絶対に使わない小物類などを、羽織に包んで押し付けた。
此方が嫌がる素振りをしても、隙を突いて姿を消し、秋口も見頃だというので不承不承、その通りに動く他ない。
だが、律儀に出向いた己が馬鹿だった。
本命の桜は、艶やかな葉を茂らせども、花など一輪も咲いていない。
少し捻れた幹が、代えがたい 情趣 を生み出しているが、それ以外はごくごく見掛ける有り触れた山桜である。
『 ……ふん。あいつ 』
せめて 冬桜 か四季桜の類かと想像していたが、まんまと一杯食わされた。
けれど、何故か怒りは抱かず、凜と張った新枝を見上げ、晴れやかに笑えた。
絶えず花をつける桜など有り得ぬ事ぐらい、少し考えればわかるものを、こんな所に入り込んでまで何をしているのか。
荷を返せば、後は立ち去るのみだと桜を見納め、廊下へ身体を向けた。
その時、漸く自分が、厄介な者に見付かっていたのだと気が付いた。
©️2025 嵬動新九
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