五章 三十六丁 こととひのゆふけ
気乗りせず見物した芝居は存外に面白いもので、上方の名優が帰郷し、特別に開かれた舞台は傑作だった。
沸き返る舞台の熱気が冷めやらぬまま、二人は町中の出店で遊び呆け、日が暮れる頃に宿へ飛び込んだ。
遊興 の心地よい疲労と空腹で食欲が増し、宿が提供する夕飯を向かい合って食べる頃には、黒桜丸の捻くれた態度は少しマシになっていた。
『 狂言 も面白いものじゃな。 能と違い語りも気近しい、民が好むのもわかる 』
酒を注いでやろうと白影が徳利を出せば、黒桜丸は自分の器を差し出し素直に応じる。
旬の野菜が入った 蛤鍋 は、生姜が旨みを引き立て酒と良く合う。料理人の腕がよいのか、これほど美味しい食事は初めてだった。
『 主がいれば…、この様な暮らしも毎日楽しめそうじゃ 』
白影は穏やかに微笑みながら頭の手拭いを整え、己の器にも酒を入れた。
軽口で言っているのかと白影を見たが、冗談や揶揄いで発せられた言葉ではなさそうだった。
『 主は、何か好んで嗜む事はあるか? 明日は主が好む遊びを共にしたい 』
歩み寄ろうと向こうは積極的に誘い掛けてくるが、どうしてよいかわからず、黒桜丸はぶっきら棒に撥ね除ける。
『 …別にねぇよ 』
茶碗の飯をつつきながらそう答えると、白影は悲しげに眉を下げる。
『 ……ないのか? でんでんむしむしで誰よりも早う笑うたのに… 』
『 それは…っ関係ねぇだろうが…!』
芝居の一幕につい笑いが堪え切れなかった事を恥じ、ムキになる姿を白影はくつくつ笑い、今度は気遣うように空の椀を覗き込んだ。
『 …あまり食わんのぉ、主は。 ――ほれ、入れてやる 』
鍋の蛤を掬い上げ椀を催促されるが、黒桜丸は俯いたまま飯を口へ放り込む。
『 いい。 ……食い過ぎると…腹が減りやすくなる 』
屋台を食い歩き、これ以上腹に溜め込むと次の日が堪えることを知っているだけに、黒桜丸は椀一杯で鍋を止めていた。
腹持ちの良い米ばかりをじっくり噛む姿を見て、白影はつい節介をしたくなる。
『 食い過ぎなものか。 その様な暮らしをしておるから悴くのだ、それ 』
椀へ勝手に一掬い具材をよそうと不満げに睨み付けられるが、白影は知らぬ振りで忙しく働く 飯盛女 へ声掛けた。
『 すまぬ、飯をくれ 』
空の茶碗を指差すと女はすぐに察し、畳み拭きを止めて立ち上がる。
『 あぁ、かて飯やね。 待っとって~ 』
女は他の客を器用に躱し、てきぱき台所へ向かう。
酒を持ち込んでわいわい騒ぐ酔っ払い達の戯言を聞きながら、二人は静かに飯を味わい。酔いが回った客らがそのまま雑魚寝を始めると、夜に見合う密やかさがこの大部屋にも訪れた。
そんな空騒ぎが止んだ頃に、白影は箸を休め、沈黙を破った。
『 …――今の暮らしを……、堪え難くは思わぬか?』
境遇を心から憂い、申し訳が無いような声色で矢庭に尋ねられ、黒桜丸は言い淀む。
『 ……別に 』
素っ気なく返すと、白影はより不安が増した表情で覗き込んでくる。
『 では、主は日頃どの様に銭を儲けるのだ?』
いつもの調子をやめて直向きに接せられると、此方まで心を乱されそうだが、考えなしに突っ放すのも何故か気が引け、きちんと問いには答えた。
『 ………腕を買われる事は、偶にある… 』
国越えに付いて来いと、浪人や商人に雇われた過去があるのは事実で、長く仕える事はなかったが、それらで幾度か飢えを凌げた。
それを聞いた白影は少し安心したのか、柔らかく目尻を下げる。
『 なるほど、用心棒か。 確かに…喧嘩は大した腕前だった 』
そう言ったきり黙り込み、箸を使う音だけが二人の間に気まずく流れた。
『 ……のぅ 』
白影は弱々しく開口し、真意を汲み取れぬ黒桜丸は上目遣いで相手を窺い見る。
『 ……家や親の事を、何も聞かんのか?』
濃い影を落とし、俯くその表情には恐れと悲哀が入り交じってみえた。
ずっと話す機会を伺っていたのだろうが、黒桜丸にとって親など他人以上に薄っぺらく、疾うの昔に期待など捨てた。目を伏せたまますべての飯を呑み、そして発した己の声は思いがけぬほど乾いたものだった。
『 ――……いらねぇから、捨てたんだろ。 …それだけだ 』
その言葉に白影はひどく傷ついた顔をして、ぐっと唇を結んだ。
目を合わせたくない黒桜丸は茶碗を置いて、椀の具をただ黙々と腹へ入れる。
その間、白影は返す言葉も出ず、深く思い詰めていた。
『 待たせてまったなぁ~。 たんと食べて~ 』
そこへお櫃を抱えた女がやって来て、二人の飯を手早くよそう。
『 うむ、有難う 』
白影が礼を言うと、女は 愛嬌 とお辞儀を怠らず飯櫃を置いて仕事へ戻った。
再び山盛りになった飯を、辟易して見下ろす黒桜丸の隙を付いて蛤を掬い入れれば、また鋭く睨み返すので白影はくすくすと頬を緩めた。
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