五章 三十五丁 初々しき遊戯
棒手振が去った頃に湯の用意ができたようで、娘は上機嫌に盆を抱えてやって来た。
『 おっ待たせしまし――…ハッ !!? 』
持ち前の愛くるしい容姿を阿形像の如く歪め、しかし決して湯を溢さずに驚く娘を、白影は満足げに観察する。
『 こういうのを見たかったんじゃ 』
所構わず同じ目に遭い、黒桜丸は飽き飽きと吐息を漏らし、一番手近な花見団子を口へ運ぶ。
『 いやんっ! あなた達そっくりな兄弟ねぇ~っ!! 言われるでしょおぉ?
良いじゃな~いっ!! ねぇっどっちがお兄いなのっ??』
娘は興奮が抑えきれぬ様子で、言葉が次々と口から迸った。
『 さてな、主はどちらだと思う?』
白影は次の串へ手をつけ、団子を噛み、問い返す。
『 えぇっ!? 教えてくれないの !? わからないわよぉ~っ! ちょっと考えさせて! ――はい、あなたが桜湯だったよね!』
娘はちゃんと二人を見分け、黒桜丸の傍へ盆を置くと湯を注いで給仕をする。
『 それほど難はあるまい。 わしの面差しの方が、兄らしいと思わんか?』
自慢げに顔を強調する白影に、娘はえーと難色を示す。
『 同じにしか見えないわよぉ! 見た事ないんだもん~、こんな瓜二つの兄弟!』
言いながら麦湯の盆を腰掛けへ置くと、困った顔で二人を見比べ、どっちも良いと呟きながら屋台へ帰って行った。
娘が離れれば二人は黙って桜を楽しみ、ふと黒桜丸が一向に桜湯を口にしない事を白影は不思議に思った。
『 飲まんのか?』
黒桜丸は湯呑みに視線を落とし、やけに穏やかな表情をしている。その為、白影も乗じて湯呑みを覗き込んだ。
湯の中で、薄紅色の花弁は徐々に花開き、儚く揺れ動いており、二股の桜花が二つ寄り添う姿に、黒桜丸と白影は見惚れた。
『 綺麗でしょお? あの大桜の花をお塩に漬けてちょちょいとね 』
娘は睦まじい兄弟を、離れた位置から陶酔して見詰め、思い出したように言葉を付け加えた。
『 あー誰にも教えちゃダメだよ。 うちのおっかちゃんが、いい男にだけ出しなって……ね♡ 』
調法を広げないでと、媚びを売る娘のあどけない色気を聞き流し、黒桜丸は桜湯に唇をつけた。
『 ……酸っぱ 』
その意外な酸味に、思わずぽつりと呟く。
『 あんれ? 梅酢つらかった? お酒に変えてあげよっか?』
梅酢は漬け物や調味料として使われる事が多く、酸味を好まぬ客もいると見越し、娘は酒を用意していた。
『 ほぉ塩梅か。 わしは好きじゃ、取り替えてやろうか?』
『 いい…、飲める 』
白影の提案を言葉少なに断り、黒桜丸は湯を口に含む。
改めて桜を見上げると、周囲を満たす山桜はそれぞれが異なる花弁や枝をもち、樹によっては白い花を散らすのもまた味わいがあった。
その山桜に交じって若々しい枝垂れ桜が一本、通りの向こう側に根を下ろし、まだ大人を超えたほどの若木だが、あの大桜を残したのだと黒桜丸にはすぐにわかった。
しだれ枝の植樹は難しい為、挿し木はこの一本しか見掛けないが、小さいなりにもきちんと八重の花をつけ、辺りの山桜に勝る紅色が人々を惹き付けている。
枝垂れ桜の傍で、先程の子供らと父親が合流し、独楽を持って抱き付いた童を親はひょいと肩へ負ぶった。
幸せそうに笑い合う親子連れに、白影はふふと笑を誘われるが、その目は何処か寂しそうだった。
思いがけない一面を垣間見て、黒桜丸はその横顔から目を逸らせずにいた。が、慌ただしく二人組が目の前を通過した事で、白影は闊達な眼差しを取り戻す。
一人が息を切らし、足を止めて膝に手を付くと、先を行く男は大急ぎで戻って来た。
『 早くしねぇと、良い席が無くなっちまうぞ!』
『 そんなに急がんでも、まだ始まらんよぉ。 麦湯でも飲もうやぁ 』
男は背を叩いてせっつくが、連れは空いた長椅子に座り込み、上の空で桜を仰いだ。
『 馬鹿野郎! ちょっと弾んででも場所取っとかねぇと、正面が埋まっちまうだろーがっ!! 』
『 猿楽みたさに、そこまでやるかねぇ……。 病が付くほどの好き者やらぁ…… 』
連れの腕を引きながら男は必死に追い立てる。が、連れは立ち上がるどころか、娘へ陽気に手を振った。
『 お嬢ちゃ~ん! 麦湯――… 』
『 あああ! こらっ! 呑気に茶なんかしてられっか! なんてったって日之麻多三郎が出るんだぞっ!! 行くぞ! ほらっ!! 』
男は無理やり連れを立たせ、通りへと引っ張ってゆく。
『 麦ー湯ーー……。あぁー…ごめんやわぁお嬢ちゃん、また来るわ~ 』
名残惜しく麦湯の看板へ腕を伸ばしていたが、連れは観念して走り去って行った。
『 いってらっしゃ~い!』
冷やかしとなったが娘は手を振り、笑顔で男達を見送った。
『 ほぉ、芝居のぅ…… 』
聞き耳を立てていた白影は、腕を組んでなにやら考え込み、はたと顔を上げ、黒桜丸へ向き直る。
『 よし、黒桜! わし等も行くぞっ!』
『 …今度は何だ 』
二本目の串を平らげた黒桜丸はうんざりと白影を見る。
『 折角のこの機を逃しては勿体ない、さぁ行くぞ! 遅れをとってしまう!』
白影は先程の男に倣い、腕ずくで黒桜丸を立たせると、桜湯を飲み終えたかを確かめ、残った団子を笹へ包み直す。
『 美味かった、銭は置いておくぞ 』
そして、忙しく腰掛けに十文を置き、黒桜丸の袖を掴むや通りへ駆け出した。
『 ありがとー♡ 楽しんできてー♡ 』
娘は気持ちの良い笑顔で二人を送り出し、もはや抵抗する気も失せた黒桜丸は、袖を引かれるがまま白影へ付いて行った。
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