五章 三十一丁 呱々ゆりの後会
まだ夜の抜けきらぬ暁の刻。
人家を少しばかり外れた雑木林に、斧音が谺する。
村人がまだ床から出でぬ頃より、黒桜丸は斧を振るい、老爺が乾かしてあった枝や丸太を次々と叩き割った。
薪が足りないと老婆が夫へ頼んでいたのを小耳に挟み、こうして大粒の汗を土に落としながら、代わりに斧を打ち込む。そして漸く、柔らかい杉の丸太を最後と決め、薪割りを終えた。
木を両断し、背筋を伸ばした途端、全身に凝った様なだるさを感じる。
くっきり痣の浮き出た甲は振り下ろす度に疼き、思ったより薪割りに支障をきたした。が、身体の使い方が良いため掌に豆はできていなかった。
乱れた衣を直しながら、高々と山積む己の成果を見詰め返し、この割り木の数ならば夏までは足りると見極め、斧を置く。
片付けまで終える予定だったが、すっかり夜明けを迎えた今もたついていれば、夫婦と鉢合わせてしまう。
経験上、老人は気立ての良い者が多く、追い出される事が殆どないため狙い目だが、その温かさに当惑するのが嫌だった。
老年ともなれば、心細さや孤独を抱えるもので、共に暮らそうと気遣われた例しもあり、そうした事から居心地の良い場所ほど、二晩世話にはならない。
一宿一飯 の恩は行動で返し、黙して立ち去るのがいつしか自分なりの決め事になっていた。
汗で纏わり付く髪を拭って払い除け、黒桜丸はまた当てもなく町へ出掛けた。
桜が散るまで村へ留まるつもりだったが、まだ見ぬ名桜を求めて旅立つのも良いだろう。
ややこしい奴が追い付くまでに、――と考えていれば、向かう小道の先に、待ち遠しそうに首を長くする白影があった。
先回りをされ思わず立ち止まったが、一筋道なら仕方なく、知らぬ顔で通り過ぎる。しかし、何事もなかったかの様に後を追ってきた。
『 付いて来るな 』
突き放すように言うと、白影は眉を下げ、やれやれといった調子で言い返す。
『 折角 巡り合うた兄に対して随分だのぅ。 根無し草のお前の渡らひを覗くのは楽しい。 しばらく見守ってやろう 』
『 ふん 』
口の減らぬ言い様を鼻で笑ったその時、後方から老夫婦の声が聞こえた。
『 薪 ありがとね~! また来やあよ~っ!』
老夫婦は手を振り、心からの感謝を込めて二人を見送る。が、黒桜丸は決して振り返らなかった。
それでも此方の姿が見えなくなるまで、老夫婦は手を振り続け、白影は気の毒なような申し訳ない気持ちになる。
『 お前に言っておるのだぞ。 まさか生き別れた兄弟が、これほど 仏頂 だとは 』
白影は嘆き、すっかり小粒に見える夫婦へ、満面の笑みで手を振り返した。
そうしたうちに、黒桜丸はさっさと遠ざかり、それを読んでいた白影は、追い付くなり帯の結び目を掴んで足止めする。
黒桜丸は舌打ち、払い除けようと揉み合う最中、急に声を掛けられた。
『 もし!』
二人は動きを止め、振り返った白影の元に、出で立ちの良い 旅衣 の姉妹が走ってきた。そして、バツが悪そうに口籠もる。
『 昨夜はその……大変無礼致しました 』
娘は白影へ深く頭を下げる。が、詫びる相手を間違えている。
黒桜丸の姿が白影に隠れて見えぬのか、姉娘は当人と信じ切った様子で泣き腫らした目を向けてくる。
清楚な佇まいと礼儀を弁えている事から、良家の出だと大方見当は付き、どことなく危なげで世俗に疎い姉が、幼い妹を連れて山越えなど並々ならぬ事情が窺えた。
『 お救いいただいた身で…、私は…なでふことを…… 』
『 ん? 主等など知らんぞ。 人違いではないか?』
白影があっけらかんと答えれば、娘は知らぬ振りをされたと思い込み、血相を変える。
『 ま…紛れもなくそのお顔です! 無頼な輩に捕らえられ…っ貴方様がお助けくださったではありませぬかっ!』
臍を曲げて嘘を吐くのだと、勘違いを続ける姉が居た堪れなくなり、妹は真実を突き付けた。
『 ねね様、人違いだよ!』
それを聞いた姉は、妹にまで揶揄われたと決めつけ、顔を真っ赤にする。
『 お前まで何を言ひ出すの! ねねに戯れ事ばかり申して!』
『 えぇ…だってぇ… 』
話をろくに聞かず叱り付けられ、妹はしょんぼり項垂れた。
そのやり取りを見て、これは面白い予感がすると白影はほくそ笑み、態とらしく顎に指を当てる。
『 あぁ…、あの時のかのぅ 』
何かを思い出した白影の演技に、娘はぱっと表情を晴れやかにする。
『 思ひ許していただけたのですね! あのっ…心ばかりですが…、どうぞお受け取り―― 』
姉娘はもたもたと銭袋を取り出し、白影に差し出した。
その頃合いに合わせて、白影は黒桜丸の首に腕を絡め、無理やり娘へ向き直らせる。
『 それは恐らくこっちじゃ。 礼ならこちらに頼む 』
強引に引っ張られ不機嫌な黒桜丸の頭に、こつんと頭を揃えて言うと、姉娘はさっと青ざめた。
『 ひゃあああーっ!!? 同じ顔っ!? 』
派手に飛び上がって驚く様は、白影にとっては期待以上だったが、黒桜丸は物憂げに目を伏せた。
『 感謝は素直に受け取るものぞぉ。 然らば、わしが代わりに賜ろう 』
説教を述べながら、白影は片手を差し出すが、銭袋は指先すら掠めず地へ落ちた。
石のように固まった姉娘に、白影が小首を傾げていると、妹は黒桜丸へにっこり微笑んだ。
『 ありがとう! 綺麗な兄さま!』
その声で我に返った姉は、妹の腕を引き、まずまずの脚力で逃げ去って行く。
笑顔で手を振る妹の姿は瞬く間に離れ、微かに物の怪と怖れる声を発しながら逃げる姉娘に、二人は少し面食らった。
しかし、姉妹の姿がなくなると、白影は突然、堰が切れたように棒腹する。
『 面白いのぅ! もっと驚かせたいのぅ!』
白ける黒桜丸とは対蹠的に、白影はけらけら笑い、銭袋を摘まみ上げる。
『 そうだ。 こうして銭が入ったのだ、わしが遊びのイロハを教えてやる 』
白影は楽しそうに自顔の側で銭袋を揺らすと、がっちり黒桜丸の肩を組んだまま、人出の多い町中へ引き摺っていった。
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