五章 三十丁 呱々ゆりの後会
若者は容易く片腕で受け流す。が、いなした際に隙を生み、胸倉を掴まれたその身体は踏ん張りきれず、引き寄せられた。
『 むかつく面だ! てめぇ…!! 』
互いの額が触れ合う寸前の距離でドスを利かせれば、若者はきょとんと瞼を瞬かせる。そして、じっと黒桜丸の顔を凝視していたが、いきなり大声で笑い始めた。
『 …っ!? 何がおかしい…!? 』
黒桜丸は予想だにしない反応に毒気を抜かれ、襟を掴む指先が緩んだ。
それを見て若者は更に大笑い、開けた着物を直しながら目尻を拭った。
『 …己の面も知らんのか? お前は 』
呼吸を整えた若者は、困惑に陥る黒桜丸の肩を強引に組むと、近場の池へ引き摺ってゆく。
『 ほれ、面白いものが見えるぞ 』
『 放せ! この…ッ 』
丘を少し下った場所にある小池へ着くなり、若者は嫌がる黒桜丸と共に 水鏡 に顔を突き出した。
水面には桜の浮き花が波間に揺らぎ、夕暮れに染め上げられたそこには――、同じ顔の男が並び合っている。
垢抜けた男はにこにこと楽しげで、十分寝食のとれた健康的な顔立ちをしており、それに引き替え隣の男は、やせ細るくたびれた顔に、墨色の襤褸着はまるで雑巾、束ねた髪は縺れて見窄らしく頬にこぼれ掛かっていた。
風采の良い方を己とは言うまいが、鏡を見たことがない為、これがまことの姿なのかと疑ってしまう。しかし、葛藤するのはそこではない。
何故、――同じ顔をしているのか。
口が半開きのまま黒桜丸はゆっくりと首を動かし、肉眼で改めて隣の男を見た。
『 のぅ?』
白影は瞳を躍らせて笑いかけてくる。
それがまた受け入れられず、相手を撥ね除けた黒桜丸はふらふらと坂を下り、人家の方へ歩き出す。
『 何処へ行く? ああ、帰るのか 』
返事をせず、黒桜丸は馴染んだ動作で茅葺きの民家へ入った。
白影も続くが、目前でぴしゃりと戸を締め切られ、瞬きを数回繰り返した後、懲りずに自分で入り口を開けた。
黒桜丸はすでに土間から板間へ上がっており、屋内をざっと眺めると隅に寝転がる。戸口に背を向け、ごろんと横に寝そべる格好は、語らずも関わりを拒んでいた。
二人分の履物を揃えて白影は板間に入ると、囲炉裏の前に腰掛け、興味深く室内を見渡す。
『 お前の家か。 中々良い住まいではないか 』
小屋は独り住まいにしては十分な広さがあり、竈や使い込まれた調理道具などが揃っている事から、自炊の習慣が見える。
隙間風が通る古家だが、しっかり掃除は行き届き、編みかけの笊は売りに出すのか、意外にも身の回りをきちんと熟す男だと見直した。
暮らしぶりに目を通した程度だが、人となりを知れた気がした白影は嬉々として、囲炉裏の向こう側から身を乗り出し、話し掛ける。
『 主… 』
声を発した直後、立て付けの悪い戸板が開き、咄嗟に口を噤んだ。
『 はぁ~…草臥れたぁ~くたびれたぁ~…、腰がぁぁもう動かぁぁ~ん… 』
『 わっちもぉ、もう眼が見えんよー 』
農作業を終えたであろう老夫婦が、疲れた様子で土間へ入って来た。
当然二人の姿に気が付き、ぽかんと立ち尽くす。
『 …あれまぁ、どなた様やろかぁ 』
驚いて背筋を伸ばす白影と、片腕を枕に寝たふりを決め込む黒桜丸を、夫婦は腰を摩りながら知り合いの子だったかと心当たりを探る。が、まぁいいかと急に吹っ切れ、手荷物を片付け始めた。
老爺は足を洗って上がると、てきぱき囲炉裏に火を付け、老婆が夕食の支度をする姿に、本来の家主を悟った白影は、のびのびと場所を占領する男を呆れて眺める。
紅炉の火に当たりながら、老爺は背を向ける黒桜丸の容姿を覗き込み、白影と見比べた。
『 ほぉわぁ! おめぇ等よう似とるのぉー、兄弟かぁ!』
兄弟と言われ、やはりそうなのかと黒桜丸は薄目を開く。
『 鍋やで、すぐできるよぉ 』
老夫婦は二人を追い出すことはせず、四人前の大鍋を囲炉裏に用意する。
『 どうしたぁどうしたぁ? 素手で餅でもついたかぁ?』
黒桜丸が何気なく頭を掻いた際、その腕の怪我を見付けた老爺は憐れみ、甲を摩る。
『 あれ可哀相にぃ 』
『 冷やして、唾つけたろうにぃ 』
桶に水を汲むと、老爺は腕の傷を綺麗に洗ってやり、本人は空寝をして大人しく施しを受けた。
『 助んとこも似とるがぁ、ほんまによう似とるのぉ 』
『 あそこはみんな同じ鼻しとるからねぇ。 坊や~? 芋すきかぁ?』
老夫婦は気ままに話し、黒桜丸へ芋を渡すと、片身が狭い白影の膝にも焼き芋を置いた。
『 坊やも~、食べみりん 』
ちらりと黒桜丸を盗み見ると、すでに焼き芋を頬張っており、この奇妙な状況が急に堪えきれなくなった白影は口元を緩めた。
そして、夫婦に心を開いてからは 饒舌 になり、夕餉の円居や寝入る刻まで大いに二人を笑わせた。
子に先立たれ、いつもはひっそりとした夫婦の侘び住まいが、この晩はやけに賑やかだったと後に近隣は喜んだ。
©️2025 嵬動新九
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