五章 二十九丁 呱々ゆりの後会
拳で殴りつけた男の顔が歪み――、
胸倉を掴まれた身体は仰け反れど、暴力を欲するかの様に戻って来る。
逃れようと男は腕を引っ掻いて抵抗するが、顎を殴ればがくんと膝が落ち、後方へ反り返る血濡れの顔面がより無防備になる。
そこへ躊躇わず一撃をくれ、手、顔に唾液の混じった飛血が付着しようと、何度も拳を見舞い、相手の喉は苦しげに呻吟を発した。
『 や…やめろぉ…!! もうッ……や…めてくれぇ…えぇ…ッ!! 』
もう一発食らわせるところで、男は涙ながらに懇願し、黒桜丸は拳を止めた。
無残に腫れ上がった顔と、出血した鼻口、涕する様を今更目の当たりにして、己の理性が罪悪感を帯びて返ってくる。
冷や水を浴びたように冷めゆく 情動 を拒み、黒桜丸はやけくそに男を突き飛ばした。
胸を押された相手は、地べたに蹲う仲間の上に倒れる。
『 失せろッ!! 』
激しい息遣いが静まらぬうちは、荒ぶる気を制する事が出来ず、発した声は殊のほか辺りに轟いた。
完膚なきまでに痛めつけられた三人の荒くれ者らは、言葉にならぬ悲鳴を上げて、支え合いながら黒桜丸から遠ざかる。
ぼろぼろの身体を引き摺り、無頼者たちが草履を落として逃げ去れば、拳がじんと痛み出し、爪が幾度も食い込んだ皮膚には血が滲み、甲は赤く腫れぼったい。
だがそんな事よりも、顔にこびり付いた血が不快で、腹立ち紛れに拭っている際に、抱き合ってへたり込む姉妹と目が合った。
姉の歳は十六ほどで、妹はまだ七つかそこら。
双方、全身が土塗れなのは、年頃より大人びている 姉娘 が目を付けられ、揉み合った末のもので、藪に連れ込まれるのを捨て置けず、助けに入ったのが喧嘩の発端だった。
それでも娘は救われた礼もなく、涙でやつれた顔を崩したまま妹を連れて逃げ去って行った。
あの姉妹も、まさか三人を相手取り此方が勝るとは思ってもみなかったようだ。
丸腰の自分に容赦なく斬り掛かってきた事に逆上し、刀を奪い反撃したまでは覚えている。が、地に投げ出された三本の折れ刀は、何故こうも悲惨な有様になったのか……。頭から抜け落ちているけれど、全部自分がやったことだろう。
無頼者らを打ちのめす姿は、さぞ鬼の如き 醜態 であったと思い知らされ、溜息を吐いて遠のく姉妹から目を逸らした。
こうして後に残るのはいつも、己への嫌悪の情。
――だがそれも、上を仰げばどうでもよくなる。
空を覆うほどの大桜は満開、しだれ枝に開いた花々は淡い紅色をして、夕暮れ時の紫光を背に圧巻な様で佇んでいる。
一部腐った枝には花が付いておらず、病は木を着実に蝕み、幹にまで進行しており、この大桜が世々を経ることは恐らくない。
しかし、大桜は滅びを悟らせぬよう咲き誇り、丘風に花弁を惜しまず手放す姿は得も言われず美しかった。長途を厭わず、この桜を記憶に留める事は価値があったとしみじみ思う。
己のつまらぬ人生に、欠かさず花開く桜は唯一の慰めであり、桜花を見上げてさえいれば、どんな理不尽があろうとも心は自然と穏やかになれた。
髪を纏めて括り上げている事で、冷風が項をなぞる。
今宵も花冷えると思い、さっきまで腰掛けていた大桜の根元で、日が落ちきるまで休もうとしたその時、視線に気が付いた。
ここは農村で、特に村外れのこの丘は人通りなどあまりない。
乱闘が始まれば、花見客は逃げ去った記憶があるが、今は若者が独りぽつんと棒立ち、此方を見詰めている。
驚いたように呆然と立ち尽くす姿は、頭が悪いからか。もしくは怯えているのか。
いずれにせよ、腰に刀を帯び武家の郎党を匂わせているにも関わらず、何もせず喧嘩を眺めていた事がすべてだった。
それを思い出した瞬間、消えかけていた怒りがまた昂ぶる。
『 なに見てやがる…ッ、失せろッ!! 』
激情のままに怒号を浴びせれば、今紫の羽織の若者は悲しげに唇を噛んだ。
そしてあろう事か、最も気に障る一言を呟いた。
『 ……哀れな… 』
知りもせぬ人間に同情され、かっと血が上り、歩みも荒く、若者の顔面目掛けて殴りかかる。
©️2025 嵬動新九
お休みをいただいて有難う御座いました! お休みの間、執筆に集中ができ、何とか間に合いました。待っていてくださった皆様、誠に有難う御座います!
五章は後半に入り、物語はまだまだ続きます。本日からまたよろしくお願い致します(^^)
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