五章 二十八丁 先つ夜行日
これ以上近付きたくはなかったが、座敷へ上がる他なく。
襖を閉めた娘は、男の膝元へ辿り着くまでに白猫へ変じ、御鈴姫と狛和丸は声なく大口を開ける。
「…あなたは?」
ネイが尋ねると、男は権高に顎を上げる。
「わしはこの館の主、ぬらりひょん。 百鬼夜行の大王とそやす 輩者 もいる――…がどうでもよい」
風格をもって男は名乗るが、次第に語尾は気怠げに落ちてゆく。
「ぬらりくらりと気の向くままにゆきたい。 それのみよ」
この一帯を統べるにしては、この 瓢羨 という者から剛健な勇ましさや野心は見受けられず、宙を舞う紙のように掴みどころがない。
その意外性に内心当惑しながらも名乗り返そうとするネイを、瓢羨は遮った。
「よいよい。 主等の名などどうでもよい。 興が乗らねば、すぐに主等など摘まみ出す故な」
ネイと黒桜丸を順に指しながら、瓢羨は退屈を吐く。
「喰われる訳ではないのか…」
いい加減に扱われているにも関わらず、犬神は胸を撫で下ろす。
「まぁ座すがよい。 我等のもてなしは、ちと高く付くがのう。 ――して、どのような面白き語りをするのだ?」
感情の抑揚があまりない男だが、促されるまま一同が素直に腰掛けると気分を改め、陽気さをみせた。
蛇の道は蛇に――、鬼と同類といえる存在ならば妖物に通じていると読み、こうして無鉄砲にも押しかけた。が、いざ機会を得ると慎重になる。
相手の気を損なわぬようネイが言葉を選ぶ中、黒桜丸は怖めず臆せず切り出した。
「鬼を探してる」
その一言で御鈴姫は身を跳ね、脇に置いておいた笠を慌てて被り直した。
市場で出会ったのは、百鬼夜行を待ち伏せていたからだと察してはいたが、鬼を探すその真意を測りかね、ネイは黒桜丸の横顔を見詰める。
「ほぉ、妖狩りか。 人間は血腥い土産話しか持ってこぬ。 まったく以て興のない」
瓢羨は途端に興味が失せた様子で、酒を呷った。
「知らんなら他をあたる。 どっちだ?」
横柄な黒桜丸の態度に呆れ、瓢羨は肘掛けに更に寄り掛かる。
「然しも無しに手に入ると思うな。 まったく以て人間は…」
文句を呟きながら相応の対価を要求する瓢羨へ、ネイはすかさず尋ねた。
「何が望みに?」
自ら言い出しておきながら、すっかり飽きがきた瓢羨は、盃を灯りに照らし見ている。
「ふぅん。 年果つは 徒話 でも肴に、深酒がしとうなる……。 つまり無聊の慰めに主等を入れた」
思い付きの退屈凌ぎと扱われ、黒桜丸はあからさまに不快感を示す。
「くだらねぇ…、付き合ってられるか」
瓢羨はそんな黒桜丸に構わず、扇子を差し出した。
「なら舞え」
「猶更できるか」
うんざりと言い返した黒桜丸の顔には、見るからに鬱憤が蓄積されている。
「貴方たち百鬼夜行にとっても…、無貌の鬼は危険だ」
埒が明かず割って入ったネイを、今度は黒桜丸が見る。その目は聞き慣れぬ鬼の名に、関心を示していた。
「くくく…人間如きに情けを掛けられるとはな」
笑みをつくってはいるが、不和を招く物言いで瓢羨は眉根を寄せる。
「あなたは…無貌鬼とは違う」
事の重みを理解させようと、ネイは真情を打ち明ける。
「……奴は…、この世のすべてを仇み…。 人を殺め…歩むすべてを灰にしようと……、奴の怒り…業は……常しえに尽きない…」
胸の古傷を押さえ重い口を開けたが、その言葉は瓢羨には響かぬようだった。
「――くく…。それは主等が生く世の無常であろう」
そして、ことさら無関心に、寄りつく白猫を撫でる。
「気まぐれに生きるが我ら妖よ。
群れ居れば争ひ、果ては所狭し生き様に甘んずる――…力に容易く伏する人間に、我等の身の上を案じられとうないわ」
けんもほろろに遇われ、我慢ならぬ黒桜丸は立ち上がる。
「話す気がないならお前に用はない」
それだけ言い残し去ろうとすれば、瓢羨は肘掛けに軽く扇子を叩き付けた。
「小童。 機嫌を損ね命を散らすのは、お前達か無貌鬼。 どちらかと言うておるのだ」
明確に殺意を滲ませる瓢羨に、黒桜丸は劣らぬ敵意を返す。
その反応を面白がり、ぬらりひょんは紅色の瞼を持ち上げた。
「言ノ葉は偽りにまみる…が、心を表す眼は嘯けぬ。 お前達が口ばかりの愚物か。 どれ、――見てやろう」
背筋が凍り、挑発に応じたことを悔やむが抗えず、瞳は瓢羨へ吸い寄せられた。
此方を見詰める黄昏色の双眸は、内に深く刻まれた記憶を、魂ごと引き剥がすようだった――。
©️2025 嵬動新九
次回はお休みをいただきます。
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