五章 二十五丁 時ならぬ桜花
狛和丸が大声を発すれば、青年は気怠げに此方へ歩み寄ってくる。
「斬り合うつもりはねぇ」
ネイの袖を握り御鈴姫が身を竦めた事で、青年は刀の届かぬ間合いで足を止め、横柄に腕を突き出した。
「鞘を寄越せ」
斬瞑天月の鞘を欲し、高圧的な態度で要求する青年が気に喰わぬ狛和丸は不服と吼えた。
「何でじゃ!! 久方ぶりの再会で偉そうにっ! 他の鞘で事足りるであろう !!」
吠えるに吠える子犬に、青年は邪魔くさそうに答える。
「それの代わりなどあるか、寄越せ」
さっさとしろと言うように掌を動かして強要する青年へ、ネイは身につけていた斬瞑天月の鞘を投げ渡した。
青年は片腕で受け止めると、その場で朱鍔の刀を帯から抜き取る。
鞘を用いず刀を直接 鞘袋 に納めていた所為か、袋はすでにぼろぼろで、所々穴の開いた革袋は無炎燃焼を起こし、徐々にその穴を広げている。
虫食いの様なそれらは他の穴と繋がり、千切れた革が燃え滓となりながら何処かへ飛んでゆくのが、ずっと目に付いていた。が、とうとう、青年が刀を一思いに引き抜くと、鞘袋は一瞬で燃え尽き、刀身からは黒炎が上がった。
炎漲る刀に群集が騒然となる中、軽やかに刀身が鞘に納まれば黒炎は従って姿を消した。
一連の光景を瞬がず絶句していた民衆は、やがて後ろに仰け反っていた身体を起こし、手を叩いて青年の元へ集まってきた。
大道芸と勘違いしているらしく、群集は口々にすごいすごいと盛り上がり、青年に銭を渡す男らも出た。
そうした交流を煩わしそうにしながら青年は刀を帯へ差し直し、銭だけを目敏く受け取ると、もう一回もう一回と頼み込む野次馬を放って、その場を立ち去った。
「待ってくれ」
ネイは咄嗟に呼び止め、振り返らねど相手は足を止めた。
「あの時……お前のおかげで、戻ってこられた。 ありがとう」
黒装束らに追い詰められ鬼に転じかけ、命がけで静めた青年へ、漸く礼を伝えられた。
しかし、青年は何も応えず、行っちまうのかよぉと惜しむ民衆から遠ざかるように歩き出す。
まだ話し足りないネイは慌てて後を追い、見失わぬうちにその背に尋ねる。
「白影、ではないな? 名は?」
当人であると疑いもしていなかった狛和丸は大口を開け、ではこいつは何だと捲くし立てる。
そんな一同を一切相手にしないつもりなのか、引き離そうと青年は歩調を速めた。
「蔑ろにするな !! この下郎 !! 人気無し !!」
罵詈雑言を受けても青年は無視を決め込んでいたが、人混みを器用に躱し、いつまでも付き纏う一同に嫌気が差したようで、面倒くさそうに首だけを後ろへ捻った。
「はぁ…黒桜丸」
溜息を吐きながらそう名乗ると、これで満足かと物語る態度で黒桜丸は再び歩き去る。
だが名を聞いたことで、より親近感を覚えた一同は食い付くように青年へ絡んだ。
「おい! 黒桜丸待たんか!」
「黒桜丸どこいくの?」
「黒桜丸、白影は息災か?」
青年の関心を引くまで一同は只管にその名を連呼し、思惑通り、次第に痺れを切らした相手は振り返った。
「呼ぶな !! 付いて来るな!」
黒桜丸が怒りを露わにすると、一同は勝負事に勝ったように盛り上がる。
足止めに成功し、隙を逃さず一気に差を縮めたところで、急に周囲が薄暗くなり一同は揃って上空を見上げる。
てっきり巨大な雲が上空を覆った所為だと思ったが、千切れ雲が離ればなれに漂うだけで、原因は空になかった。
異変はそれだけに留まらず。
市場の客らは、何の疑いもなく夕刻が来たと錯覚し、取憑かれたように帰路へ着く。
これからが商い時だが、屋台見世の片付けを始める者もおり、一体どうした、何故帰るんだと、正気を保つが故に、店主や客達へ尋ねる人々も少数だがいた。
黒桜丸も眉を顰め、早く帰らねば親に怒られると目の前を走り去る子供の群れを目で追っていた。
あれほど活気のあった市場は忽ち廃れ、雑踏の絶えた静寂な街に取り残された者同士が、居心地悪そうに顔を見合わせている。と、人々の困惑を払うような太鼓の音色が、何処からか響いてきた。
©️2025 嵬動新九
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