五章 二十二丁 衣裳榎
年の瀬も間近となった夜風は、少し湿り気の帯びた雪を呼び込みそうな風だった。
だが夜食を摂り、十分に熱がこもった身体には冷たい大気が心地よく、 晩酌 など嗜めば更に寒空の元を快適に行けただろう。
目立たぬよう農村を抜けて江戸入りを目指し、無事に日暮れ前に宿を得たネイ等は、夜の観光参りへ出ていた。
そう思い立ったのは、江戸が目前に迫った余裕もある。が、旅籠屋の亭主が稲荷社の側にある 衣裳榎 に東の狐が寄り合い、それはそれは美しい、晦日の夜に集まる筈が、すでにちらほら見えると言うので、馬と荷を預け、楽しみにしている御鈴姫の手を引いて、王子の社まで散策した。
宿場町を通り抜けると賑わいは薄れるが、自分達以外にも王子稲荷へ向かう人々の 提灯 が点々と蛍のように畑道を照らし寒々しさは一切感じない。
共通の目的をもって足を進める人々は、祭りへ向かうのと同じ高揚感を抱いて見える。
御鈴姫も腕に抱えた狛和丸と鼻歌を歌いながら道中を楽しみ。到着した岸村には噂通り、ざっと三十を超える狐火が集まっていた。
名は体を現わし、狐の顔の側には赤い火の玉が浮かび、身体の大きさと同等の尻尾は炎のように揺らぎ、全身も朧気に光っているため暗闇でもその姿は鮮明に窺えた。
殆どの狐が榎の下へ集うが、その隣りに立つ松の木にも少数の狐が屯し、中には畑の中に座り込み寛ぐ種も何体かいた。
仲間の身体を舐めたり、胴に頭を乗せ合って触れ合う姿は実に愛らしく、人々は誰一人狐には近寄らず遠目で様子を見守った。
「可愛い…! 狛ちゃんがいっぱい!」
御鈴姫は狐火を見て喜び、その一言で狛和丸は怒る。
「一緒にするな! まるで違うであろうがっ!! あれが狐じゃ!!」
鼻先の細い狛和丸は狐と似ており、間違えられる事が多い。が、全く共通点がない、犬の方が凜々しいと犬神は主張を譲らない。
狐を初めて目にする御鈴姫とネイにはまだ違いが判別できず、その言い分に頷けないようだった。榎の真下に腰掛ける純白の狐など、体毛の色が似ているため特に狛和丸と同種に思えた。
その狐は周囲の狐火とは異なり、顔の横に炎を灯してはおらず、榎の半分を超えるほど身体が大きいため、見物人の視線をすべて掻っ攫っていた。
三本の尾を揺らす姿は得も言われず雅で、惚れ惚れと魅了するのは観衆だけでなく、その狐の周囲には輪となって狐火が群がり、身を擦りつけて好意を示している。
だが白狐は関せず夜空を見上げたまま、少し冷気を増した風を鼻先で感じているようだった。
風に靡く艶やかな毛並みと、しなやかな体。動物がもちえる形態の美に引き込まれていれば、白狐は不意に此方を向き視線を通わせた。
その細めた山吹色の目は青瞳に変じ、覆いの奥を見透かされ、ネイは息を呑んだ。
しかし白狐の変化に誰も気が付いていないらしく、腕を組み狐火の数を数えていた農民の一人が大息を吐く。
「今年は狐火が少ないのぉ……。 不作かぁー…、はぁ……勘弁してくんねぇ………」
農夫はここの畑を管理している一人のようで、がっくりと肩を落としていた。
集まる狐火の数で来年の豊凶を占うのが恒例なのか。農夫の傍にいる男も神妙な面持ちで、より正確に狐を指し数える。
「それにしても少ないが過ぎるで……、去年の半らもおらんぞ」
数え終えた二人はすっかり落胆し、それを見かねた商人が強請る子供を抱き上げながら声を掛けた。
「そう急かずとも、これから集まるに違ぇねぇよ」
見知らぬ男の励ましに農夫達は頷いて応えるが、不安面のまま狐の群れを眺める。
「…こりゃ不吉やのぅ……」
農夫が呟いた言葉は、丁度吹き付ける雪風に掻き消えたが、諸人に不穏を染み渡らせた。
小雪が舞う夜空を、深々と見上げる白狐の姿は儚くも孤独に時を待ち明かし、暗雲を嗅ぎ分けているのだろうか。
©️2025 嵬動新九
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