五章 二十一丁 月夜に語らふ
謝意を受け取ってしまえば、義娘を失う事となる。その為、佳は何も応えなかった。
八乎を追い込んでしまった心苦しさから句が継げない所為もあるが、同時に我が子の不可解な言動が気に掛かってもいた。
「…――何か事情が…あるのですね……夜白丸…。 ……申し訳ありません…。 私の身体が…思うように動けば…、あの子ともっと……」
己を責める佳に心を痛め、八乎は大きく首を振る。
「離縁致されましたのは、きっと私の…っ」
不徳の致すところだと喉まで出かかったが留まり、これ以上の弱音を吐きたくない八乎は話題を変えた。
「……白影様とは、お会いになられましたか?」
佳は首を振って答え、その心中を口にする。
「いつか…こんな日が…来るのではないかと……怖れておりました……。 あの子が怒りを感じるのも…当然です。 私は母として何一つ……至らず……、それどころか………っ」
声は段々と震え、涙している事を襖越しに感じた八乎は佳を力付ける。
「そのような事は断じてありません!」
大声を発してしまい、八乎は口を覆ってあたふた辺りを見回したが、家の者を呼び覚ましてはいないようだった。
ほっと胸を撫で下ろし、今度は声を落としつつ佳を励ます。
「私は…! お母上様の義娘として暮らした日々は、この上なき喜びに御座いました! 一日でも早くご壮健になられるために、その様な悲しき事を…申してはなりません!」
ひたむきに力付けられ佳は少し笑みをつくるが、眦からは涙が止め処なく溢れた。
「…ありがとう。 貴女は幾度…思い屈す私の心を……晴るかせてくださったか……」
佳が日々悲しみに暮れ、時折独り泣く、その理由に心当たりすらないが、今宵だけは寄り添おうと側にあった。
だが佳は、気を静める術を心得ているようで、涙を飲むと八乎の身を案じる。
「これから……どうなさるのですか…? ……貴女の望みを…聞かせてください…」
思わぬ問いに八乎はたじろぎ、漸く固まった別れの決意が揺らいだ。
「私は……」
武家に生まれ落ちた以上、子はすべて家のため、親が決めた通りにあらねばならない。――そんな身の上の自分が情けに甘えてよいものか、悩む八乎の心には、父の声が楔の様に打ち込まれている。
――よいか、八乎。お前を呼び戻したのは、許したからでは決してない。
――えぇ!!?
幼き頃に家を追い出され、ようやく帰省を許した父が放った言葉と、驚愕に裏返る己の声は、今でもはっきり覚えている。
――綱影を探り、奴の企てを暴け。 これが最後の機ぞ、八乎。
密偵の役割をもって輿入れ、役半ば追い出されたとあれば酷く咎められ、父との縁切りも覚悟せねばならないだろう。
佳を利用してでも、この家にしがみつけば父は喜び、それが己の為すことだとわかってはいるが、ずっと親身に接してくれる人々を欺くのが疲れたという本音もある。
このまま離縁を受け入れれば、やりきれぬ疚しさと肩身の狭い生き方から解放され、この家の為にも己にとってもそれが最善と思えた。
しかし八乎には、断ち切れぬ心残りがあった。
家を去れば病床に苦しむ佳を見捨てねばならぬ事。それと、白影が去り際に見せた顔だった。
苦悩があるなら何故打ち明けてくれなかったのか。それが無理でも、何か自分にも役立てることはあったかもしれない。
一年を夫婦として共にあったが、白影は一度も心を開かず、果てには一方的に別れを告げられ、なんと手前勝手なのか。
病に倒れる母を捨てて悲しませるなど人道にもとるではないか――。
次第に悩みが怒りに転じた八乎はそれ以上の考えを止め、くよくよ思い悩むなど自分らしくないと、両手を強く床板に付き、佳が尋ねた問いに心のまま答える。
「まだお家の、白影様のお役に立ちとう御座います!」
八乎自身、この主張は意外であったが、その心意気に佳は安堵したようだった。
「…ありがとう。 貴女と語らうと…いつも胸がすく心地が致します。
心愛しく、力の限り励む貴女のお姿…、私は好ましゅう御座いました」
心から八乎を慈しみ、感謝を伝えるように、佳は病身でありながら頭を下げる。
「どうかあの子の事をよろしくお頼み致します」
少し明るさがともった佳の声色を聞いて、自分が選んだ決断は間違いではないと確信した八乎は、血気盛んに意気込んだ。
「はい! 必ずや白影様を捕らえっ!! 連れ帰ります !!」
袖を捲りながら腕で何かを押さえ込む身振りで言い切ると、八乎は床に額を付けて佳へ礼を払う。
そして、猪の如く廊下を駆けた。
素早く旅の身支度を済ませた八乎は、理由を付けて裏口からこっそり抜け出せば良いものを。
表口の見張りに立つ鳥什丸達の制止を振り切り、大いに騒ぎを起こして屋敷を抜け出した。
©️2025 嵬動新九
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