五章 三丁 大井川徒歩渡し
「進めぇーーい! 進めぇーーーい !!」
向かい側からやって来る一人乗りの連台の上には、ぴんと背筋を伸ばした娘が進行方向へ扇を指し、戦場の武将のように人足を進ませていた。
娘が乗る連台には手摺りが取り付けられており、隙間なく板が組まれた台は値が張りそうだが、連台を利用する客は裕福な者が多く。成熟間近な年頃のこの娘も、旅装束ではあるが、身分の高さを思わせる上物の衣服を身に着けている。
後ろで一つに束ねた髪は、背の上をころころと跳ね。癖毛でくるりと巻き上がる毛先と、猪の子に似た明るい髪色はより娘を活発でおてんばに見せた。
娘が声高らかに意気込み、連台を進ませる様を、周囲の人々は口を開いたまま呆然と注目しており、御鈴姫らも同様に、天真爛漫な娘に釘付けとなった。
「ぐわっ!! 足が嵌まった!」
此方とのすれ違い様に、娘の台を担ぐ人足の一人が、水底の深みに足を取られた。
前方が役割であるその男は肩まで水に沈み込み、仲間達が咄嗟に傾きを調節して連台の平衡を保った機転は、まさしく熟練の技である。
見事な連携により、端座する娘の身体はさほど揺るがず。連台が突然進行を止めた事で、娘はぱちくりと二度瞬いた。
「それぇ!進めぇーい!行進あるのみです!」
娘は状況を飲み込めていないのか、人足達を鼓舞するように再び声を張り上げる。
「ちょ…ちょっと待って!ですから足が…っ」
「いけるか 十蔵 ッ!?」
十蔵という人足は仲間に案じられる中、川石の隙間に入り込んだ片足を抜け出そうと尽くす。が、しっかり嵌まり込んだ足は、誰かに手伝ってもらわねば抜ける気配はない。
御鈴姫らを運ぶ人足達はその変事を、事の初めは気遣わしげに眺めていたものだが、娘の無邪気さも相まって次第に声を揃えて笑い出した。
「はぁーあ、おかしれぇ!これしきで情けねぇなぁ! 弥介ー!足ぃ抜いてやれー!」
人足達は相手側の失態を気の済むまで笑うと、年者の者が仲間を促した。
御鈴姫らが乗る連台には、六人の運び手がいるため中央の者が一人抜けようと支障はなく。指名された人足、弥介は台を手放し、水を掻き分けて娘の連台へ向かった。
だが笑いものにされ面目を潰された人足達は、助っ人に水を掛けて追い払い。抗議の意思を示した。
「うるせぇー!! てめぇらの手なんか借りるか!こちとらなぁ!お前等より長くこの為事やってんだ !!」
「そうだー!とっとと失せろー!」
助けに向かった筈の弥介は、冷水の 応酬 に堪らず退散し、一刻も早く状況を脱したい十蔵は嘆きをあげた。
「て、てめぇら…! 人事だと思ってよ…!どーすんだこれっ!」
斯くして、台を押し上げて支える十蔵の腕は、限界を告げるように震え始め。救い手に見限られた哀れな男は、右足をなんとか引き上げようとするが、台の均衡が損なわれる事を怖れ、これ以上の無理は出来なかった。
「負けじと足を上げてぇー!それっ!」
「無茶言わんでくだせぇ!そんなすぐには…っ」
事情を察せぬ娘は、扇子を豪快に振って十蔵を激励する。
「わはははっ!威勢のいい女子じゃねぇか!負けじと意気地みせてやれー!」
居合わせた六人の人足達は拒まれた以上、手は貸さず声援に精を出した。
「て…てめぇら…っお…覚えてろ…!」
十蔵は冷水に体温を奪われ、紫に変色した唇を震わせながら恨み言を溢す。
見るからに衰弱してゆく十蔵の異変を漸く察した娘は、由々しき事態であると意気込んだ。
「なんと!このままでは死に入ります!よーしっ!任せなさい!私が抜いて差し上げます!」
「へっ!?」
娘は上着を脱ぐと、勇ましく袖と裾をたくし上げ、連台の上を素早く移動する。
「ちょちょ!! お客さん! 最中を動いたら…っ!!」
裾から覗く娘の 脹脛 を見て十蔵は鼻の下を伸ばし、他の人足達は台の端へ寄った娘を慌てて制止する。
だが警告虚しくも、重量の偏った連台は傾き。娘の身体は川へ放り出された。
すかさず連台を降りたネイは、台を支え。腹部まで水に浸る事となったが、ネイの肩に手を付いた娘は、川へ落ちずに済んだ。
「……――なんと危ふし!かたじけのう御座います!旅の――…」
礼を言おうと顔を上げた娘は、鼻先が触れんばかりにネイと見つめ合い。包み隠さぬ青い瞳に、娘はじっと吸い込まれ――。
「きゃああぁあああ !!! 河童ッ!!」
気を動転させた娘は、強烈な平手打ちを見舞い。
水面に叩き付けられたネイは、盛大に水柱を上げて川底へ沈んだ。
連台を飛び降りた際に落としたネイの笠は、河童が溺れたと騒ぎ立てる十蔵らの側を流れゆき。
娘の暴挙に驚愕する御鈴姫と狛和丸の悲鳴は、人足達の 狂騒 に雑じって大いに周囲を騒がせた。
「……何だあれ?」
遠目に騒動を見遣る人々は、一様に小首を傾げ。ある人足が自身の肩に跨がる女へ尋ねた。
「さぁ?河童が出たって…」
女は寝不足がたたり欠伸をしながら答えると、雑に束ねた髪を指先で整える。
「はぁ?こんな荒くれ川に出てたまるかよぉ」
人足は苦々しく顔を引き攣らせると、上流から流れてきた編笠を拾い上げた。
「おーい!誰だぁー? 笠落としてっぞーー!」
笠の持ち主が、未だ水に沈んでいる事も知らぬ人足は、周辺の客らに笠を振って呼び掛けるが、人々は上流の騒ぎに夢中で応える者は誰もいなかった。
©️2025 嵬動新九
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