五章 二丁 大井川徒歩渡し
「わぶ…っ!つめてぇ!おっとと!」
水滴は御鈴姫を越えて人足の顔面を濡らし、冷や水に注意を取られた男は足元を滑らせ、台は大きく揺れた。
連台に腰掛ける者達の身体は左右に激しく振られ、御鈴姫は悲鳴を上げてネイへしがみつき。五人の人足がすかさず立て直し、連台が横転する事はなかった。
「あっぶねぇな! 客落っことしたらどーすんだ! うっかりしてんじゃねぇぞ!吾助!」
「すまねぇすまねぇ」
先頭を行く人足の一人が、足を滑らせた後方の担ぎ手を叱り付け、吾助という男は苦笑を浮べて素直に詫びる。
その光景を見ていた御鈴姫は、新たな悪戯を目論む狛和丸を、慌てて腕の中に抱えた。
「ご、ごめんなさい!だいじょうぶ?」
吾助へ謝罪し、しょぼくれて反省する御鈴姫を元気付けるように、人足達は豪快に笑う。
「わはは!これぐらい平ちゃらでぃ!」
男達は年の瀬半ばに差し掛かる極寒の川水に、褌一丁の胸まで浸っているが、言葉通り寒気を吹き飛ばすほどの活力に満ちている。
川越しを身一つでこなすだけでも難があるものだが、連台を担いでこれだけの深みを行き、人を運搬するとは感服せざるを得ない。
しかし、素直に感心する一同へ、人足の一人が冷や水を掛けるような一言を放った。
「そうじゃ!平ちゃらでぃ!俺らぁ態と深みを行ってんだからよ!」
「あっ!馬鹿野郎!ばらしてんじゃねぇ!!」
台の中心を担ぎ上げる男がうっかり口を滑らせ、仲間は大慌てで真後ろの男を制する。
徒歩渡しの料金は、川幅と水位に応じて変わり、胸元まで深さがあるというので、ネイは純粋に相当する代金を支払った。
しかし、川渡る周囲の人々を見晴らしてみると、水深の異なる箇所があり、最も浅い場所では股下までの水嵩を 飄々 と渡る人足の姿があった。
代金を納める前からネイは騙し取られる事に気が付いていたが、体を張る仕事なだけに上乗せしても妥当な額だと納得のうちである。
だが犬神は、ぼったくりにあったと察した瞬時に激高し、かっと目を見開くと、御鈴姫の腕から飛び降り、怒り任せに尻尾を水面に叩き付けた。
「なんじゃと貴様らぁあああ !! 銭を巻き上げよったなぁああ !! くらえっ!くらえぇえ !!」
「つめてぇええ!! だからやめろぉ!わんころ!」
暴れ狂う尾は全員に猛威を振るい、冷水を浴びる度に身を跳ねる人足達の動きで再び台は盛大に揺れる。連台から振り落とされぬよう御鈴姫とネイは互いに支え合いながら、その状況を笑い合った。
このまま犬神を自由にさせていては、いつまでも陸へ辿り着けないと判断したネイは狛和丸を拾い上げ、御鈴姫が暴れる子犬をしっかり胸に仕舞い込めば、人足達はやいやいと仲間内で揉めながらも漸く前進を始めた。
揺れが治まった事で、二人は改めて風景を愉しめ、青々とした碧空を映した水面は波立つごとにきらきらと輝き、御鈴姫は思わず嘆声を発した。
「わぁー…! 水ってきれい…!」
感動のあまり御鈴姫は川面に手を伸ばし、少量の水を掬い上げる。
「ネイ様の瞳と同じ色!みてみて!」
御鈴姫は掌に溜めた水を差し出し、気恥ずかしくはあったがネイは促されるまま水を覗き込んだ。しかし、水は肌の色を透かし見せるのみで、青色はすっかり失われていた。
「あれ?消えちゃった…。お空の色だったんだぁ…!」
水面が空の色を反映している事を悟った御鈴姫は、水を川へ戻して首を捻り、どうして空は青いのかと不思議そうに考え込む。
そうして自然と触れ合い、遊びを交えて学びを深めていると、前方から勇ましい娘の声が、一直線に川を突き抜けるように響き渡った。
©️2025 嵬動新九
大井川では、お金が無い方はタダで渡らせてくれたそうです(^^)
ですが、勝手に渡ったり、人足を雇わないのは処罰の対象となるので、
溺れないよう丸太に掴まらせて、人足さんが無料で向こう岸まで、
一緒に渡ってくれたらしいです。優しいぃぃ……!
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