9. 第二の事件
「お嬢様、なぜ待ち合わせ場所をこんなところにされたのですか」
裕福な平民と貴族が暮らす地区にある古い空き家。アニエスは花束を持って、この家の前に立っていた。ここは、ミラン夫妻が生前住んでいた家だ。
親友ベアトリスとその婚約者ダヴィの背後から、ミラン夫妻の姿が消えてから三ヶ月。
ベアトリスとダヴィは、今までのように喧嘩ひとつしない仲の良い婚約者同士に戻った。いや、それ以上に仲が深まっている。二人に会う度に胸焼けを起こすアニエスは、ミランの館が取り壊されるという話を小耳に挟んだ。
アニエスは、不思議な縁があった家を最後に見てみたいと思った。そして万が一、まだ夫婦喧嘩しているようなら奥様の方に憑いてもらおうとも考えていた。そして、ベアトリスの結婚の日取りが決まったこの日に、ミランの館を訪れたのだ。
「知らない。ミランの館に行くって言ったら、キリアンが勝手に迎えに行くって言い出した」
「キリアン様もご一緒したかったのでは?」
「何で?」
リラはそれ以上何も言わず、館の前に花を手向けた。取り壊しが決まった館の前には、様々な花が手向けられている。生前、親交のあった人からなのか、それとも願いが叶った人たちからか。
迎えの馬車が来る通りまで、アニエスとリラは歩いた。通りには店も多く、二人は菓子店や文具店を覗きながらゆっくりと歩いていた。
「お嬢様、あれは」
突然、リラが立ち止まった。リラの視線の先、通りの向こうにある教会の前に、しゃがみ込んでいる女性の姿が見えた。具合でも悪いのだろうか。アニエスが目を細めてじっと見る。そして、顔色を変えた。
「シルヴィ!?」
しゃがみ込む女性が苦しそうに顔を上げた時、それがアニエスの従姉妹のシルヴィだと気づいたのだ。二人は早足でシルヴィに駆け寄った。
「ちょっと、どうしたのよシルヴィ!」
「……アニエ……ス?」
虚ろな薄い茶色の瞳がアニエスを捉えた。リラがシルヴィを立たせようとするが、シルヴィは足に力が入らないのかなかなか立てない。その時。
「おい、何をやっているんだ」
すぐ隣で馬車が止まる。アニエスが見上げると、馬車の窓からキリアンが不審そうにこちらを見ていた。
「キリアン」
「待ち合わせ場所はもう少しあちらだろう……どうした、人でも殺めたのか」
「バカなこと言ってないで手伝って! シルヴィが倒れているのよ」
キリアンは馬車から降りると、アニエスの元まで走ってきた。何か言おうとしたキリアンだったが、シルヴィの様子を見るなり上着を脱いでシルヴィに掛けると、そのままシルヴィを抱き上げた。
「家まで馬車で運ぼう。案内を頼む」
そう言うと馬車に向かうキリアンを、アニエスは慌てて追いかけた。リラが御者に行き先を告げると、馬車は丁寧だがいつもより速く走り出した。
シルヴィが住むサンファル伯爵家に到着する頃には、シルヴィは眠りについてしまったようだ。
キリアンが再びシルヴィを抱きかかえて馬車から降りると、伯爵家から侍女や使用人たちが飛び出して来た。
「シルヴィ様!」
「教会の前で倒れていたの。一人だった。このまま、シルヴィの部屋まで運ぶわ」
アニエスが年配の執事に声を掛ける。幼い頃からシルヴィの家に入り浸っているアニエスの言うことに、一度は頷いた執事だったが、シルヴィを抱きかかえるキリアンを見て眉間に皺を寄せた。
「彼はキリアン。私の婚約者よ。大丈夫じゃないけど、大丈夫よ」
「キリアン・バートランドだ。大丈夫寄りの大丈夫だ」
「これは失礼しました」
執事がさっとキリアンの前に立つと、シルヴィの部屋まで案内する。キリアンはギロリとアニエスを睨んでから、執事の後ろを早足でついて行った。アニエスもその後を追い、リラはシルヴィの侍女に事情を説明するためその場に残った。
シルヴィの部屋は、昼間にもかかわらず厚いカーテンが引かれていた。まるで病人の部屋のような薄暗さに、アニエスはギョッとした。暗いところが苦手なシルヴィの部屋は、いつも明るくしてあったからだ。
ベッドに寝かされたシルヴィの顔を見て、アニエスはハッと息を呑んだ。先ほどは気づかなかったが、その目の下には、見たことがないほど濃いくまができている。頬も痩けているように感じる。
キリアンはベッドから離れた場所に立つ。キリアンも何か思うところがあるのか一言も話さない。
最後にシルヴィに会ったのはひと月ほど前。
その時は元気そうに見えたシルヴィに、一体何があったのだろうか。
アニエスはベッドの横に跪き、シルヴィの額にかかる薄茶色の髪をそっと払う。
すうっと弱い呼吸の音が聞こえる。アニエスはシルヴィが息をしていることに安心して顔を上げた。
——いる!
顔を上げた先。ベッドを挟んでアニエスの反対側に、若い騎士がぼんやりと立ち尽くしているのだ。
「わー……お」
思わず声を上げてしまったアニエスは、キリアンの方を振り返る。昼間の外では薄く見えなかった影の青年も、はっきりと姿を現していた。青年も目を見開いて、アニエスと騎士を交互に見ている。
「なんだ、お前の従姉妹は病人なんだろう。静かにしろよ」
「こんな時にあれなんだけど、暗いところだと、より素敵に見えるのはなぜかしらね」
「ばっ……こんな時に、やめろよ!」
やはり、影のある線の細い青年は薄暗い場所がよく似合う。照れているキリアンを無視して、アニエスはそんなことを考えていた。その時、そっと部屋の扉が開いて執事が顔を覗かせた。
「どうぞ、こちらに」
アニエスとキリアンは顔を見合わせてから、部屋とは対照的に明るい廊下へと歩いて行った。




