15. 気に入らない者同士
「ごめんね、アニエス! 弟のアーサーが」
ダンスを終えた二人のもとに、アニエスの友人であるジュリアがやって来た。ジュリアは、いつまでもアニエスの隣から去らないキリアンを不思議そうに見ている。
「ちょっと……」
アニエスの袖を引き、ジュリアはキリアンに背を向けてアニエスに顔を近づけた。
「いつから、そんなにベッタリと過ごすようになったのよ?」
「ん? キリアンのこと?」
「だって、キリアン様とあなたって……」
「キリアン。良いものを見せて貰ったよ」
そこへ、酒に酔って赤い顔をしたワレンまでもが加わった。アニエスもジュリアも、夜会の主催者であるワレンに礼をする。
「踊ったら喉が渇いちゃったわ」
「ああ、俺もだ」
「キリアンたちのダンスは、ダンスというか格闘だったな。よければ休憩室に行かないか。あちらに果実酒を準備させよう」
そういうとワレンは、ジュリアにチラリと視線を向けた。そして、ジュリアにしか聞こえないように言った。
「ああ。僕の友人の悪口を言いそうな君も、よければ一緒に」
ジュリアが顔を赤くする。
「ジュリアも行きましょう。私も一度、キリアンのご友人とお話してみたかったのよ」
「そうだな。なぜか最近、お前の友人とは縁がある」
そう言うと、アニエスとキリアンは先に歩き出した。
断るタイミングを逃してしまったジュリアがふと隣を見る。そこには、ジュリアを見下ろしニヤリと笑っているワレンがいた。
ジュリアはワレンが苦手であった。直接話したことはない。もちろん、未亡人との噂は知っている。が、それ以上に、いつもキリアンと一緒になって、アニエスを嘲笑している姿が気に入らないのだ。
ジュリアは考えた。ここで自分が帰ってしまったら、休憩室でアニエスは冷たい婚約者とその意地悪な友人に嫌な思いをさせられるのではないか、と。
今夜の夜会にはシルヴィもベアトリスもいない。アニエスを守れるのは自分だけだ。
武勲の家に生まれ、正義感の強いジュリアの心は決まった。
「ええ。もちろん」
笑顔とは反対に、決して笑ってはいない濃紺の瞳を真っ直ぐにワレンに向け、ジュリアは頷いた。
休憩室のソファーセットに、キリアンとワレン、アニエスとジュリアが隣同士で座った。
「ワレン様とキリアンは学園で知り合ったのね。一度も紹介されないから、お顔とお名前しか知らなかったわ」
言いながらもアニエスの興味は、テーブルの上のケーキに向いている。アニエスが刺したフルーツの果汁が、向かいに座るキリアンの方に飛んだ。
「おいっ、気をつけろよ」
大袈裟に仰け反るキリアンに、隣のワレンが意地悪そうに言った。
「このジャケット、第三王女から届いたものなんだよ。嫁ぐ前に、恋焦がれた男に最後のプレゼント……って痛い!」
キリアンがワレンの足を踏む。アニエスはフルーツを頬張りながら目を丸くした。
「まあ、キリアンったら! そんな貴重なものなら、屋敷の玄関ホールに飾っておくべきよ。あの牡鹿の剥製の隣とかいいじゃない? 私、そんなこと知らないでダンスの時にベタベタと触っちゃったじゃないの」
キリアンがギョッとしながら首を回して背中を見た。
「アニエス嬢は、他の女性に贈られたジャケットでエスコートする婚約者が嫌ではないのかい?」
ワレンが面白そうに聞く。アニエスは首を傾げた。
「嫌っていうか、なぜ着てきたのか理解に苦しむわね。せっかく家宝になるかもしれない品なのに、汚れちゃったら勿体無い」
「へぇ」
ワレンが笑いながらキリアンを見た。キリアンは複雑そうな顔をしている。まるで嫉妬でもさせたかったようだ。
「ところで、ジュリア嬢のお兄様はみんな近衛に入隊されているのだろう。すごいね」
キリアンが、黙って果実酒に口をつけていたジュリアに話題を振った。ジュリアは慌ててグラスを置いた。
「はい。うちの伯爵家は代々、どこかのお屋敷に騎士として仕えていました。兄たちは特に出来が良かったみたいです」
「ここの家にお泊まりに行ったら大変なのよ。朝は暗いうちからお庭を走っていらっしゃるのだもの。ジュリアまで走っているのを見た時は、悪い夢でも見ているかと思ったわ」
アニエスが笑うと、キリアンもワレンもジュリアに興味を持ったようだ。話題はそのまま、ジュリアの家の話になった。
近衛は男性なら一度は憧れたことのある職業だ。兄二人とも近衛に入隊したという事実は、女性が思っているよりすごいことのようだ。
「失礼だが、ジュリア嬢は婚約者は?」
キリアンが聞くと、アニエスとジュリアは顔を見合わせた。
「まぁ、こればっかりはご縁だからね」
アニエスが言う。ジュリアは気まずそうに微笑んでいた。これ以上は聞かない方がいいなと、キリアンは目の前のフルーツの皿をアニエスの方に差し出した。
「悪口を言うような性格だから、男性が近づかないんじゃないのか?」
ワレンが発した言葉は、和やかだった空気を一瞬で変えた。
「おい! 弱いのに飲み過ぎだ。酔ったようだな」
キリアンが慌ててワレンを止める。なぜだ、とワレンは悪びれた様子がない。アニエスはジュリアの顔を見た。
(まずい……)
友人の中では一番華奢で小さいジュリアだが、お家柄か、とても気が強い。女性騎士を目指していた期間もあったジュリアは、友人たちの中では一番怒らせてはいけない人物だった。
「悪口? 私がいつそんなことを? あら、自己紹介ですのね」
普通の令嬢なら泣き出してもおかしくない言葉を吐かれたのに、ジュリアは泣くどころか交戦的に微笑みながらワレンを見据える。キリアンはアニエスを見た。アニエスは黙って首を横に振ると、フルーツの皿に手を伸ばした。
「僕が? ……では、婚約者ができないのは、その短い髪が原因かな? 令嬢でそんなに短い髪は珍しいからね。男が物怖じしてしまうのかな」
「うわぁ……キリアンより器の小さい男ね」
アニエスが思わず口を滑らせる。キリアンはその口にイチゴを突っ込んだ。ジュリアは動じない。
「すぐに他人の容姿を貶すのは自分に自信がないからと、王太子殿下が仰っていた……と兄が」
「ぐぬぬ。殿下の名前を出すなんて、なんて姑息な……」
いつもは女性に穏やかなワレンが、いくら酔っているからとこんなに失礼な態度を取るなんて……。キリアンは焦っていた。このままでは、ラミー伯爵家からワレンに抗議が来るかもしれない。
キリアンはアニエスに目配せをする。アニエスは現実から逃避しているのか、ずっとフルーツを食べている。ワレンが手を出さないか、出してもジュリアが返り討ちに遭わせるとでも思っているのだろう。
キリアンはテーブルの下の長い足で、アニエスのヒールの先をつついた。
驚いたアニエスがキリアンを睨みつける。キリアンは、隣で喧嘩する二人とアニエスを交互に見て必死で訴えた。
アニエスは面倒臭そうに頷いた。そして、なぜか、そのままキリアンの方をじっと見つめた。
(バカっ。こんな時に、そんな熱い目で見つめてくる奴があるか。……後にしろ)
キリアンがそう思った瞬間、バルコニーに繋がる大きな窓のカーテンがシャーっと音を立てて開いた。
「え?」
アニエス以外、皆呆然と窓を見る。アニエスは黙々とフルーツを食べていた。
「か、風が吹いたのかな?」
「そのようだ……な?」
キリアンとワレンが、恐る恐る窓に近づく。窓の外は真っ暗で、当然、窓も開いていない。二人は顔を見合わせた。腑に落ちない様子で、窓の辺りを点検しているキリアンとワレン。
その時、ジュリアが壁を指差し、突然声を上げた。
「あれ!」




