14. 噛み合わない者同士
「キリアン。お前、最近おかしくないか」
ワレンがシャンパングラスを持ってバルコニーにやって来た。
今夜はワレンのルメートル伯爵家の別荘で夜会が行われていた。参加者がほぼ同世代というカジュアルな夜会でも、やはりホスト役のワレンは忙しいらしい。落ち着いた頃、ワレンはようやくキリアンを見つけた。
「こんな肌寒いところに隠れやがって。それに、なぜアニエス嬢と来るんだよ」
ワレンは乱暴にグラスをキリアンに渡す。シャンパンが揺れて溢れそうになる。キリアンは嫌な顔をした。
「これは失礼。第三王女様から賜った、そのジャケットを汚してしまったら大変だ」
キリアンはワレンを見てため息を吐いた。今日のワレンは荒れている。招待客の中でそれに気づいているのは、参加者の中でキリアンだけだろう。ワレンは人懐っこい笑顔の裏に、静かな怒りを隠していた。
「パートナーに婚約者を連れてきて何が悪い」
キリアンが吐き捨てるように言うと、ワレンは信じられないような顔をした。
「婚約者って……。お前、アニエス嬢のことが嫌いだから婚約を解消するって言っていなかったか」
「嫌いとは言っていない。その辺は事情が変わった。俺にもわからん」
ワレンは首を振った。
「お前、俺が今夜の夜会に掛けていたのを知っているだろう? 今夜こそ、俺に相応しい婚約者を探すつもりで何ヶ月も前から準備していたんだ。婚約解消して一人になったお前を餌に、集まってきたご令嬢たちをじっくりと吟味しようと思っていたのに……」
「それ、虚しくないのか?」
呆れるキリアンに、ワレンは噛みついた。
「隣国に嫁ぐ直前の第三王女から、ジャケットを贈られるほどモテるお前なんかに、俺の気持ちなんてわからないだろうよ! 俺だって伯爵家の後継なのに、なぜか婚約者ができない。最近では親まで呆れて、もう自分で相手を探せって言い出す始末だ。なぜだ!」
ワレンはグラスを一気に煽った。
「それは、お前が件の未亡人に魂を抜かれたって噂のせいだろう。大体、お前が悪い。火のないところに煙は立たない」
キリアンが言い切ると、ワレンは頭を抱えた。
「……キリアンまでやめてくれよ。本当に、とっくに終わった出来事なんだ」
「しかし、ご令嬢だけでなくご婦人方にも衝撃的だったみたいだからな。男たちは皆、ロマンだとか羨ましがっていたが」
たまたま恋が実った相手が未亡人。ワレンからすればそれだけのことだが、相手が恋多き女性としての噂が絶えない人物だったのが悪かった。
ワレンを敬遠したご令嬢たちは、ルメートル伯爵家からの縁談を辞退した。ルメートル家に力があれば何とかなっただろうが、残念ながらそこまで有力な家でもない。未亡人と付き合っていた期間が長かっただけに、別れた時にはワレンを婚約者にと考えるのは訳ありな家しかなかったのだ。
「ところで、婚約解消を撤回した事情って何だ? まさか、金で頬でも殴られたか」
ガバッと顔を上げたワレンの顔は、アルコールで赤く染まっている。ワレンは酒が弱かった。
「いや、なんか。うーん……」
「何だよ。あいつは俺を誉めないとか、愛想がない、可愛げがないって言っていたのに。可愛く褒めてもらえるようにでもなったのか? おい」
急に歯切れの悪くなったキリアンにワレンが絡む。せっかくダンスをねだる令嬢たちから隠れたのに、ワレンがこうだと気分が悪い。キリアンはワレンをおいて、ホールに戻ることにした。
実のところ、最近のキリアンは、アニエスに対する気持ちが変わったと自覚していた。
急に褒めてくるのに否定するし、熱い眼差しを向けてきたかと思うと、次の瞬間には冷たい目線を投げつけてくる。それを腹立たしく思う反面、少し楽しく感じていた。
(最近、色々なことに巻き込まれて一緒に過ごす時間が長かったからな。情でも移ったのだろうか)
キリアンはそう思いながら、視線は無意識にアニエスを探していた。
「!」
キリアンは思わず声を上げそうになった。
てっきり、いつも通り何かを食べているものだとばかり思っていたアニエスが、男性客に話し掛けられていた。男性はアニエスをダンスに誘っているのだろう、アニエスが持っていた皿を取り上げると近くにいた給仕係に渡して、アニエスをホールの中央に連れて行こうと手を引く。
しかし、キリアンを驚かせたのはアニエスの表情だ。少し困ったように眉を下げて、弱々しく笑っている。そんな下がった眉なんて見たことがない。キリアンはカッと頭に血が上った。
キリアンはツカツカと、アニエスと男性の元へと向かった。いつの間にか追いついていたワレンが、キリアンの後ろで「ヒュー」っと野次を飛ばす。
「アニエスッ」
キリアンが、男性に引かれていたアニエスの手首を掴む。
「え、キリアン?」
急に手首を掴まれ、アニエスは戸惑いの声を上げた。キリアンは一瞬、男性に鋭い視線を投げると、戸惑うアニエスをそのままホールの中央へと連れて行く。ホールでは多くのカップルがダンスを楽しんでいる。キリアンはアニエスの手を取ると、強引にダンスを踊り始めた。
「ねえ、どうしたの?」
いつも偉そうなキリアンだが、こんなに強引なのは初めてだ。アニエスは困惑しながら、キリアンの右後ろに視線を向けた。後ろの青年も困ったような笑顔で首を横に振る。
「俺は今日、誰ともダンスを踊っていない。なのに、お前は何だ」
「そんなにダンスが踊りたかったの? いつも、たくさんのお相手がいるじゃない。今日、皆さんはどうしたの?」
「それなのに、お前はあんな顔を他の男に見せているんだな」
「あんな顔?」
アニエスはじっと考えた。キリアンの後ろでは青年が、アニエスがさっきいた場所を指さしている。アニエスはハッとした。
「そりゃ、あんな顔にもなるわよ!」
「何でだよ!」
キリアンの声が大きくなる。隣で踊っていたカップルが、驚いて二人を見た。
「ジュリアの弟のアーサー。あの子、昔っから私の食べるものにケチをつけるのよ」
「ん? ジュリア? 弟?」
気の抜けた声を出すキリアンを無視して、アニエスは続けた。
「さっきもね、『甘いものばかり食べていないで肉を食べろ。食べたか。食べたらダンスでもいいから運動しろ。さもないと筋肉は付かないぞ』だって。私はジュリアやアーサーみたいな騎士の家で育っていないんだから」
アニエスはプリプリと怒っている。その頬は柔らかそうに膨らみ、怒っている形のいい眉は、いつものように上がっている。キリアンは力が抜けて、アニエスの右肩に顔を埋めた。
「ひゃっ!?」
突然のことに、アニエスから可愛く小さな悲鳴が上がる。その声を聞き、キリアンの機嫌は完全に直った。
「随分と可愛い声を……」
ニヤッとしながら顔を上げたキリアンは、自分ではなく、後ろの方を見て頬を真っ赤に染めるアニエスを見て不思議そうな顔をした。
「後ろがどうした?」
「え、いや。美しいお顔が急に近づいてきたから、お互い驚いちゃって……」
「お互い?」
アニエスの胸はドキドキしていた。キリアンが急にアニエスの腰を引き、肩に顔を埋めた。その時、後ろの青年の顔がアニエスの目の真ん前に現れたのだ。アニエス以上に青年も驚いたのだろう。今、とうの青年はいつもより半歩後ろに下がって、顔を両手で覆っていた。
「ま、役得ね」
キリアンを見てにっこりと微笑むアニエスに、キリアンは緩みそうになる口元を引き締めた。もう、キリアンにはアニエスの不可解な行動なんてどうでもいい。もう一度、アニエスの手を取り直すと、さっきより複雑なステップのダンスを、「下手だ」「そちらこそ」と言いながら楽しむことに夢中になっていった。
しかし、穏やかな時間は長くは続かなかった。




