13. 記憶の結末
「でね、ここにシルヴィが蹲っていて、リラでは立たせることができなかったの」
「こう見えて華奢ですので」
「そうしたら偶然キリアンの馬車が通りかかったのよ」
「約束してたからな」
昼も遅い時間。教会の前ではアニエスによる当時の再現が、都合良く行われていた。
教会まではアニエスたち四人が一台の馬車に乗り、その後ろにシルヴィの侍女たちが乗った馬車がついて来た。
馬車では薄くなってもかろうじてキリアンの後ろにいるのが見えていた青年は、外に出ると完全に見えなくなってしまった。逆に、あの騎士は馬車にはついて来なかった。屋敷から出られないのかとも考えたが、教会に着くとどこからともなく姿を現して、少し離れたところからシルヴィをじっと見ていた。
「思っていたより迷惑かけちゃっていたわね」
シルヴィが教会の周辺を見渡しながら言った。確かに、悪い人に拾われていたら大変だっただろう。アニエスは身震いする。
しばらく外から教会を見ていたシルヴィが、教会の庭へと足を進めた。皆、黙ってそれについて行く。
庭は小さく、木とベンチぐらいしかなかったが、手入れされていて居心地が良い。アニエスはスッと息を吸った。
少し冷たい風が頬を撫でる。アニエスは何だか走りたくなる。
「あ、お前、前を見ろっ!」
急に早足で駆け出したアニエスの後ろで、キリアンの慌てる声がする。しかし、それは少し遅かった。気がついた時には、アニエスは目の前の大きな木にぶつかっていた。
「痛い!」
「なんで木に向かって体当たりするんだよ、バカっ」
額を摩るアニエスに、キリアンが早足で近づく。そしてその額を覗き込むと、指でピンと弾いた。
「痛い、痛い!」
「赤くもなってねえよ。頑丈だな」
少し遅れてシルヴィとリラもやって来た。シルヴィは額を摩るアニエスに呆れ顔で言う。
「アニエスは本当にその木と相性が悪いのね。確かそれ、幼いあなたが枝を折った木よ」
「……何だか、重ね重ねごめんなさい」
アニエスは深々と木に頭を下げた。下げた視界には雑草と落ち葉と木の根っこ。そして、その根っこの向こう側に、小さな靴先が見える。
(ん?)
アニエスがゆっくりと視線を上げた。木、その向こうに共同墓地。そしてその間には、小さな老年の女性が立っていた。老婆というには若いが、丸くなった背中には人としての年季が見える。平民の服装をしているその女性は、ニコニコとこちらを見ていた。
アニエスは目を擦った。
最近、よく見える。見えすぎて、これが現実のものか違うものか区別がつきにくくなっている。ずっと目を擦るアニエスを心配したリラがアニエスの側に来た。
「泣き真似ですか。泣いても許されませんよ」
「違うわよ。ねぇ、木の向こうには何があるの? 誰かいる?」
リラはアニエスが言わんとすることを理解したように、黙って視線を木の先に向けた。
「共同墓地、でしょうか。私が木の向こうに見えるものは、それだけです」
アニエスは黙って頷いた。女性はこちらを見て、ニコニコしたままだ。
「大丈夫か? 怪我はしていないようだが、頭は打っているからな」
キリアンの声がする。振り返るとキリアンとシルヴィ、その少し後ろにあの騎士が立っている。
「ねぇ、シルヴィはあの墓地に行ったことがある?」
「うん。遊んでいる時に、教会のシスターと一緒に摘んだお花を手向けたことがあったわ。一度だけね」
「ここは平民の墓地だから、あまり訪れる機会はないな」
そんな話をしていると、女性は曲がった背中を向け、ゆっくりと墓地の方へと歩いていく。なんとなく、アニエスもその後ろについて行った。
庭と墓地に塀などの仕切りはない。アニエスは墓地との境界で立ち止まると、膝をつき両手を組んで祈りを捧げた。後ろで衣擦れの音が聞こえる。シルヴィたちも同じように祈っているのだろう。
祈り終えたアニエスが目を開ける。
「!!」
アニエスは目を疑った。目の前にある墓地の中でも、ひときわ粗末な石の前。その傍らに女性がいた。ニコニコと微笑んだままの女性の隣には、寄り添うようにあの騎士が立っている。それまで無表情だった騎士は、女性の背中に手を回し、とても嬉しそうに笑っている。虚ろだった暗い目には涙が浮かんでいるが、それが悲しい涙ではないことはアニエスにも分かった。
いつの間にかシルヴィがアニエスの隣に来ていた。
「手紙を預かった話をしたでしょう。たった今、思い出したわ。その人、遠くに行くからお母様に手紙を出したかったんだって」
アニエスは何も言えないまま、ただ目の前の二人を見ていた。
「手紙、あの人のお母様は受け取ったかしら。きっと、とっくの昔に戻って来て会えているわよね。ふふふ」
シルヴィは二人は会えたと信じて疑っていない。二人は会えたのだ。年老いた母の命が尽きてからやっと、ずっと待っていた騎士と、ここで。
騎士は再会できた母と共に、シルヴィに礼をしたかったのかもしれない。シルヴィには悪い形で伝わってしまっていたが。
「そうね」
アニエスはそれだけ呟いた。
目の前の騎士は、女性の耳元で何かを囁く。女性は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに笑顔に戻るとシルヴィに向かって頭を下げた。騎士もシルヴィに最敬礼をした。アニエスは動けなかった。少しでも動くと、何かが溢れそうだったから。
やがてシルヴィの侍女たちが迎えに来た。シルヴィは侍女と少し話すと、アニエスとキリアンに礼を言った。
「わがままに付き合ってくれてありがとう。何だか今夜は眠れるような気がするわ」
「それは良かったわ」
「きちんと食べてから寝てくれ」
日が暮れ始めていた。シルヴィは体を心配した侍女たちに連れられて、一足先に帰ることになった。
シルヴィを見送ったアニエスは、まだ動けないでいた。
「寒っ。俺たちも帰るか」
「そうですね。さすがのお嬢様もお風邪をひきますよ」
キリアンたちに促されて、アニエスもゆっくりと歩き出した。ぶつかった木まで戻って来た時、アニエスはなんとなく後ろを振り返った。
「う、うっく……」
振り返ったアニエスを、女性と騎士が優しく見送っていたのだ。女性が微笑んだまま、アニエスに頭を下げた。その瞬間、アニエスは涙を堪えることができなくなった。涙で滲んだ視界には、もう女性と騎士の姿はなかった。
「おい、何して……えっ、泣いてる!? そんなにデコが痛いのか? 馬車に戻ったら薬を塗ってやろう!」
「う、うえっ、ふぐっ、えぐっ」
「何があったか存じませんが、泣き方が見苦しゅうございますよ」
アニエスの不格好な嗚咽は、夕暮れの教会の庭にいつまでも響き渡った。




