第86話 ― 雨の会議室
その日、王都ルシオンは朝から雨だった。
白で統一された建造物は濡れ、街灯の光を鈍く反射している。晴天のときとは違う、冷たい美しさが街を包んでいた。
ユウトは研究室でログ解析に没頭していた。
そこへ、意外な人物から呼び出しが入る。
――レオンCEO。
理由に心当たりはない。
指定された会議室の扉を開けた瞬間、空気の重さを感じた。
レオンのほかに、婚活庁のナディアとフレイがいる。
ユウトの視線は、自然とフレイに向いた。
なぜ彼女がここにいるのか。
「おはよう、ユウト君。忙しいところすまないね」
レオンは穏やかな声で言った。
だが、その目は静かに緊張を帯びている。
「例の事件だがね。レゾナの技術が流用された可能性があるとの理由で、婚活庁から正式照会が来た」
ユウトの背筋が伸びる。
「レゾナの販売は、一旦見送ることになった」
「……見送る?」
製造ラインはすでに動いている。発売日も決定していた。
それが停止する。
「加えて、新型マギボードの出荷も一時凍結だ」
ナディアが淡々と続ける。
「発光事件との関連性が否定できない以上、放置はできません」
企業への圧力。
だが感情ではなく、制度としての決定だ。
レオンは軽く肩をすくめた。
「とんだとばっちりだよ。長年技術支援してきた相手から業務制限とはね」
笑っている。
だが苛立ちは隠していない。
ユウトは静かに言う。
「レゾナは、多くの技術者が年単位で積み上げた成果です。悪用されるためのものではありません」
三人の視線が集まる。
「仮に補正アルゴリズムが流用されたのなら、発光強制固定が可能です。ただし反動は大きい」
フレイが初めて口を開く。
「止める方法はあるのですか」
敬語。
距離はまだある。
だが目は真剣だ。
「あります」
ユウトは即答した。
「レゾナの中核構造を理解している者なら、逆位相補正で固定波形を崩せるはずです」
ナディアが眉をひそめる。
「つまり、技術で抑え込めると」
「はい。ただし時間との勝負になります」
室内に沈黙が落ちる。
レオンがゆっくり言った。
「君はどうしたい?」
試すような問い。
ユウトは一瞬だけ迷った。
だが視線の先に、フレイがいる。
制度側の人間。
それでも今は、同じ危機を見ている。
「止めます」
静かな声だった。
「レゾナの技術が使われたのなら、責任は我々にもある。壊れる人をこれ以上出すわけにはいきません」
レオンはわずかに目を細めた。
「……さすがだ」
先代CEOの名は出さなかった。
だが、その期待は感じ取れる。
会議は形式的に締めくくられた。
婚活庁は監視強化を宣言し、ライオネル社は全面協力を約束する。
廊下に出ると、雨音だけが聞こえた。
「ユウトさん」
フレイが呼び止める。
二人きり。
「あなたは、どちら側ですか」
唐突な問い。
だが避けられない。
「壊れる人を、増やさない側です」
それが本心だった。
制度でも、企業でもない。
人だ。
フレイはわずかに息を吐く。
「……私もです」
短い言葉。
だが確かな意思があった。
雨は強くなっている。
王都は静かだ。
だがその内部で、確実に緊張は高まっていた。
二人は同じ方向を見ている。
だが、その先にいる人物の名を、まだ口には出さなかった。




