第84話 ― 願いの代償
白い無機質な部屋だった。
壁も床も天井も、光を反射するほどに整えられている。音は吸い込まれ、空気は冷たく静まり返っていた。
中央の椅子に、衰弱した女性が座っている。
視線は虚ろで、焦点が合っていない。まるで抜け殻のようだった。
フレイは、隣に立つナディアとともに、別室の観察窓越しにその様子を見つめていた。
「……ひどいわね」
ナディアが小さく呟く。
フレイは言葉を返せなかった。
女性の指先が微かに震えている。呼吸は浅く、一定ではない。質問を受けてから返答するまでに、わずかな遅れがある。
外見だけで分かる。
典型的な魔力酔いの症状だった。
魔力を過剰に消費したときに起こる身体反応。だが、普通に生活していればまず発症しない。訓練された魔導士でさえ、ここまでの症状になることは稀だ。
取り調べ官が淡々と問いかける。
「あなたは、自ら発光を操作したと証言しましたね」
女性はゆっくりと瞬きをした。
「……はい」
声はかすれている。
「どのように行ったのですか」
数秒の沈黙。
「……条件を、揃えれば……できるって」
「誰に言われましたか」
女性の瞳が揺れた。
「……覚えて、いません」
フレイは息を呑んだ。
記憶の空白。
魔力暴走直前の強制固定による神経負荷。その影響は記憶障害として残ることがある。
「マギボードはあなたのものですね」
「……はい」
「内部基板が差し替えられていました。心当たりは?」
女性はゆっくり首を横に振る。
「……わかりません……」
視線が泳ぎ、焦点が合わない。
フレイの胸が締めつけられる。
(この人は……)
悪意ではない。
罪悪感とも違う。
ただ、疲れきっている。
取り調べ官の声は変わらない。
「なぜ、発光を操作しようとしたのですか」
女性の唇が震えた。
目尻に、わずかな涙が滲む。
「……好きな人と……」
かすれた声。
「……結ばれたかっただけなんです」
別室に、沈黙が落ちた。
ナディアは腕を組み、冷静な表情を崩さない。
「発光操作は重大犯罪よ」
静かな声だった。
「義務婚制度の根幹を揺るがす行為。意図がどうであれ、法は法」
フレイは視線を離せない。
女性は、ただ願っただけだ。
制度を壊そうとしたわけではない。
革命を起こしたいわけでもない。
ただ一人の相手と結ばれたかった。
「彼とは発光したのですか」
取り調べ官の問いに、女性は首を横に振る。
「……私だけ、でした」
発光は成立していない。
共鳴は強制的に引き起こされたが、相手側は正常だった。
片側だけが壊れた。
医療担当から報告が入る。
「魔力強制固定の痕跡あり。暴走一歩手前でした。繰り返せば生命に関わる可能性があります」
ナディアの目が細くなる。
「……やはり」
技術は確実に使われている。
しかも危険な形で。
フレイは窓に映る自分の姿を見た。
婚活庁の制服。
秩序を守る側の人間。
(これは、守ることなのか)
壊れた女性を前にしても、制度は正しいと言い切れるのか。
取り調べ室では、質問が続く。
だが女性の声は次第に弱くなり、医療班が介入した。
「これ以上は危険です」
椅子に崩れ落ちるように、女性は支えられる。
フレイは拳を握りしめた。
制度は国を安定させた。
犯罪率は低い。
孤独は減った。
それは事実だ。
だが。
願いを持つことは、罪なのか。
「……フレイ」
ナディアが呼ぶ。
「感情で判断しないで」
その言葉は責めるものではなかった。
「利用された可能性が高い。黒幕は別にいる」
フレイは小さく頷く。
分かっている。
この女性は、道具にされた。
だが、その道具になろうとした理由は、あまりにも人間的だった。
観察窓の向こう。
担架で運ばれる女性の顔は、穏やかだった。
願いが叶わなかったことを、まだ理解していないのかもしれない。
フレイは静かに目を閉じた。
制度を守る。
それが自分の仕事だ。
だが今、胸に残るのは疑問だった。
(これは犯罪なのか)
それとも――
(ただの願いなのか)
白い部屋の光が、やけに冷たく感じられた。
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