第81話 ― 戻れない夜
王都ルシオンの夜は、昼とはまるで違う顔を見せていた。
白く整えられた建造物はネオンの光を受けて淡く色を変え、通りには音楽と笑い声が溢れている。休日前の繁華街は、人々の幸福感で満ちていた。
その流れを少し離れたベンチから眺めながら、ユイ・レイヴァンは静かに座っていた。
賑やかな場所が好きだった。
誰かが笑い、誰かが肩を並べて歩く。
その光景を見ていると、自分もその幸福の一部になれた気がする。
――紛れることができる。
そう思える時間が、好きだった。
不意に、隣に影が落ちる。
「お嬢さん、こんなとこで一人か?」
軽い声。
ユイが振り向くと、黒いスーツ姿の男が微笑んでいた。
カイだった。
彼はわざとらしく肩をすくめる。
「遅くなってほんまにすまん。待ったか?」
ユイは首を横に振る。
カイはその仕草を見て、ふっと息を抜いた。
「よかった」
自然な動作で、ユイの手を取る。
その温もりは、いつも通りだ。
だが今夜のカイには、わずかな緊張が混じっている。
ユイはタブレットを取り出し、文字を打つ。
『研修中、連絡がつきませんでした』
カイは苦笑する。
「ああ。少し動きがあった」
曖昧な言い方だった。
ユイは、間を置かずに続ける。
『止められます』
カイの指先が、ほんの一瞬だけ止まる。
「……何をや」
分かっているくせに、そう返す。
『まだ小さいうちに』
『今なら』
夜のざわめきが、二人の間を通り抜ける。
カイは、街の光を見つめたまま言った。
「内部で調査が始まった」
静かな声音。
ユイの胸が、強く打つ。
『……気づかれたのですか』
「いずれはな」
カイは、驚きも焦りも見せない。
「ログの動きが増えとる。レゾナの波形に近い部分まで掘り始めとる」
ユイは、息を呑む。
『内通者を疑われています』
「せやろな」
あっさりと肯定した。
ユイは思わず、彼の横顔を見つめる。
焦っていない。
むしろ――
「想定の範囲や」
カイは穏やかに言う。
「どこかで調査は入ると思っとった」
「気づかれんまま終わる計画やない」
ユイの指が止まる。
『……では』
「内通者が見つかったとしても」
カイは視線をユイへ向けた。
「その頃には、もう流れは止まらん」
確信だった。
「“発光は操作できる”と世間が知った瞬間からな」
ユイの胸が締めつけられる。
彼は追い詰められているのではない。
進んでいる。
止まらないと決めている。
『戻れます』
それでも、打つ。
願うように。
カイは、微かに笑った。
「俺は壊したいわけやない」
「制度を潰したいわけでもない」
一拍置く。
「ただ、問いを閉じさせたくないだけや」
夜風が、ユイの髪を揺らす。
遠くで誰かが笑う。
この国は幸福だ。
孤独を減らす制度があり、秩序があり、安定がある。
だが――
「問いを投げた以上、誰かが答えを探す」
「止められる段階は、もう過ぎた」
その声に焦りはなかった。
ただ、覚悟だけがあった。
そのとき、カイのマギボードが震える。
彼は視線を落とし、通知を確認する。
――内部調査、正式開始。
カイは、わずかに目を細めた。
「やっぱりな」
それだけを言う。
ユイは、言葉を失う。
調査が始まった。
内通者を探す目が、すでに開いている。
それでもカイは落ち着いている。
「いずれ分かる」
静かな声。
「でもな」
「気づいた時には、もう遅い」
ユイは、彼の手を強く握る。
止めたい。
それでも、理解してしまう。
彼が覚悟していることを。
ネオンの光が、二人の影を長く引き伸ばす。
幸福な街の中で。
二人だけが、違う未来を見ていた。
内通者を探す目は、確実に近づいている。
だがそれもまた、彼の計算のうちだった。
夜は、静かに深くなっていく。
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