第七回 やり直し
予測資料を提出した。数時間後、神から返事が来た。
〈そうじゃない〉
「そうじゃない、とは……」と藤原が、恐る恐る尋ねる。
〈私が欲しかったのは、売上ではなく、来期の『雰囲気』だ〉
雰囲気。
藤原が、静かに崩れ落ちる気配がした。
「雰囲気……。雰囲気とは、なんでしょう」「わかりません」と私は答えた。「ただ、数字の話ではなかったことは、確かです」
そこから先は、地獄だった。佐藤からは叱責の連絡が三通。神からは追加要望が四通。しかも、すべて矛盾していた。
〈もっと明るく〉〈やはり、慎重に〉〈グラフは要らない〉〈グラフがないと分からない〉
藤原は、そのすべてに「はい」と答え、そのすべてに「すみません」と付け加えた。私は、その横で、ただ見ていることしかできなかった。
矛盾する要望に、正解はない。明るく、しかし慎重に。グラフはなく、しかしグラフで示す。それは、正解を探す作業ではなく、神の気分を、推し量る作業だった。私は、過去の履歴を、もう一度洗った。だが、そこには、気分の法則性など、どこにもなかった。晴れの日もあれば、雨の日もある。ただ、それだけだった。
夜のない職場で、藤原の声は、どんどん小さくなっていった。
「私の力不足です……」「違います」
私は、はっきりと言った。
「原因は、最初に要件を確認しなかったことです。私たちが確認しなかったのではなく、確認できない仕組みだったことです」
「仕組み?」「藤原さん。前世で、私は一つだけ学びました」
私は、言葉を選びながら続けた。
「仕事が壊れるのは、人が悪いからではありません。入口で、何を作るのかが決まっていないからです。決まっていないものを作れと言われて、外れたときに、作った人が責められる。それは、その人の責任ではありません」
藤原は、しばらく黙っていた。
「……でも、確認したら、また怒られます」「怒られるかもしれません。でも、何も確認せずに外し続けるより、確認して怒られるほうが、まだ実りがあります」
私は、そう言いながら、前世の自分を思い出していた。確認する勇気がなくて、何度も、同じ失敗を繰り返した自分を。
あの頃の私には、質問票を作る発想も、確認する権利も、なかった。あったのは、指示を待って、走って、怒られて、また走る、という繰り返しだけだ。だが、今は違う。今の私には、確認を求める上司が、隣にいる。
藤原は、長い沈黙のあと、静かに言った。
「……どうすれば、いいでしょうか」
私は、待っていた、その質問を。
私は、深く息を吸うような気持ちで、答えた。
「まず、要望を受け取った瞬間に、聞くんです。誰が使うのか、いつまでか、何が知りたいのか。三つだけで、いいんです」「三つだけ、ですか」「はい。三つ聞いて、返事がなければ、その旨を記録に残します。返事があれば、そのとおりに作ります。どちらに転んでも、私たちが、暗闇の中で当てずっぽうを撃つ必要はなくなります」
藤原は、じっと聞いていた。
「……それは、神に、逆らうことにはなりませんか」「いいえ。神の意図を、正しく叶えるための、確認です。むしろ、忠実に仕える、ということだと、私は思います」
藤原は、その言葉を、ゆっくりと反芻しているようだった。
「……忠実に、仕える」「はい」
その夜、藤原は、初めて、朝までの時間を、ぼんやりと、何もせずに過ごした。何もしないことが、彼にとっては、どれほど贅沢で、どれほど怖いことだったか。私には、わかっていた。
翌朝、というか、次の稼働サイクルの始まりに、藤原は、少し軽くなった声で言った。「四十七番さん、質問票、作りましょう」。その声には、まだ怯えが混じっていた。けれど、その怯えの下に、確かな芯のようなものが、生まれ始めていた。




