第8話:おままごとの終焉
冬の夕暮れ。大学の枠を超えて探し始めた。4人には社会勉強のためと言い、大手の上場企業や非上場の有名企業が集まるパーティーでウェイターをやったり、大学を卒業した先輩の伝手でターゲットを探していた。女性が主催し女性の経営者や役員を集めた会合のウェイターを終え、ワンルームの自室へと帰路についていた。
手元には、実音から「肉じゃが作って待ってるね」という健気なメッセージ。 (ふっ、やはり実音は扱いやすい。あの地味な部屋で、今日も俺の帰りを待っている) 冷たい達成感を覚えながら、俺は部屋の鍵を開けてドアを押し開けた。
「ただいま、実音――」
その瞬間、言葉が喉に張り付いた。
部屋の奥。 実音の作った甘い醤油と出汁の香りが漂うダイニングテーブル。 そこに、エプロンをかけた実音と――並んで座り、楽しそうに麦茶を飲んでいる優奈の姿があった。
「あ、お兄ちゃん, おかえり」
優奈はいつもと変わらない、凪いだ澄んだ瞳で、俺を見てふんわりと微笑んだ。
「ゆ、優奈……どうして、ここに……」
俺の背中に、冷や汗がどっと吹き出す。 実音は俺の動揺に気づき、どこか誇らしげに、しかし少し強張った表情で立ち上がった。
「雅人くん。優奈ちゃんがね、あなたが留守の間に訪ねてきてくれたの。……私、お姉さんとして、ちゃんとおもてなししなきゃって思って」
実音は「本妻」としてのプライドを必死にアピールするように、俺の腕にしがみってきた。 「雅人くんは、実家の料理より私の肉じゃがの方が美味しいって言ってくれるのよ」と、優奈にマウンティングを仕掛ける。
普通の女性なら、ここで不快感を示すか引き下がるだろう。 だが、優奈という「バグ」には、人間のプライドや嫉妬を利用するロジックは一切通用しない。 優奈は肉じゃがをもう一口食べ、「本当に美味しい!」と無邪気に微笑んだ後、そっと箸を置き、実音を悲しそうに見つめた。
「お姉さん、すごくお料理上手。……でも、お兄ちゃんにすごく利用されてるね」
「え……?」
実音の顔から血の気が引いていく。俺は割って入ろうとした。
「優奈、何を勝手なことを――」
「お兄ちゃんね」 優奈は俺の声を無視し、まっすぐに実音を見つめた。 「実家にいたとき、お父さんとお母さんから『完璧な長男』っていうお人形の役割をずっと押し付けられて、我慢させられてたの。だから、今度はお兄ちゃんが、お姉さんに役割を押し付けてるだけ」
優奈は部屋を見回した。親が選んだ地味な本、実家から送られた家具。
「『健気に尽くしてくれる、都合のいい家政婦さん』っていう役割。お兄ちゃん、昔から自分の手を汚さずに、人の役割を決めておままごとをするのが得意だったから。……お姉さんだけが特別なんじゃなくて、お兄ちゃんの作った『おままごと劇団』の配役のひとりにすぎないんだよ」
「違う、私、私は雅人くんの特別なパートナーで、お仕事の書類も私が……!」
実音の声が悲鳴のように裏返る。 その瞬間、実音の脳裏に、これまで頼まれてきた「親への偽装メールの代筆」や「ペーパーカンパニーの怪しい書類整理」の記憶が、鋭い刃となって突き刺さったに違いない。 自分は愛されているのではなく、最も都合よく動く「便利なパーツ」として、この真面目な部屋に配置されていただけではないのか――。
完璧だった彼女の洗脳に、ピキリと決定的な亀裂が入る音が聞こえた気がした。
優奈は立ち上がり、リュックを背負うと、驚愕と恐怖でフリーズしている俺の隣を、すりぬけるように歩いた。 実妹ならではの、 身を切るような非情な優しさ。
「お兄ちゃん、おかえり。お姉さんのご飯、とっても美味しいよ。……お父さんとお母さんには、お兄ちゃんが大学でこんな立派な『劇団の座長』をやってること、内緒にしておいてあげるね」
優奈が去り、ドアが静かに閉まった。
残されたのは、料理の匂いが漂う部屋と、絶望に満ちた目で俺を見つめる実音。 彼女はもう、元のような無条件に尽くす奴隷には戻らない。
「実音、俺が信じられないならもう来なくていい」
あえて俺は彼女を見ながら突き放した。
「私は都合のいい家政婦さんなの?知り合ったあの日も、今までも私を求めなかったのはそういうことなの?」
「そうじゃない、甘えていたことは認める。でも、実音にそう思わせたのは俺が悪かった。実音の作ってくれるこの空気を壊したくなかった」
床を見ながら、後悔を滲ませるように言う。
「君を抱くと全てが壊れそうで怖かった」
「壊れない!私は、全部受け止めるよ!私だけのものになれなんて言わない。でも、他の女の匂いをさせて帰ってくる雅人君を私で上書きぐらいさせてよ、今すぐ家政婦じゃなく雅人君の物にしてよ!」
叫ぶように言いながら実音が胸に抱き着いてくる。下から見上げてくる彼女にキスをし、軽い体を持ち上げ寝室に運んだ。
俺の秘密の城は壊させない。優奈がどれだけ壊しにかかっても。
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