表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/37

第7話:第三の捕食者(両親の最期)

電子ロックの金属音が、地下の静寂に奇妙に引き攣って響いた。

三画面モニターの片隅で、地下サーバー室の外周ゲートが「物理的突破」を告げる黄色いアラートを点滅させている。


「……珍しいね。お友達や冴子さんなら、ちゃんと指紋キーを通して入ってくるのに」


ワークチェアに座る俺の背後から、優奈の澄んだ声がした。彼女は俺の肩に顎を乗せ、不機密に点滅するセキュリティモニターを凪いだ瞳で見つめている。


画面に映し出されていたのは、薄汚れたレインコートを羽織り、狂気的な手つきで物理的なパスワードパネルにドライバーを突き立てている、老いた男女の姿だった。

かつて仕立ての良いオーダーメイドのスーツを着こなし、我が物顔で「完璧な教育」を謳っていた、俺の義父・宗方誠一。

そして、美しく整えられた髪を振り乱し、血走った目で監視カメラを睨みつけている、優奈の実母・宗方瑞穂。


かつての「宗方家の気品」など、そこには欠片も存在しなかった。

彼らの手には、ガソリンの入ったポリタンクと、導線がむき出しになった不格好な起爆装置が握られている。


「雅人、優奈……! そこにいるんだろう! 開けろ! 出てこい、この化け物どもめ!」


インターホン越しに、父親の裏返った怒声が地下室に響き渡る。その声は、恐怖と屈辱で完全に錆びついていた。


「お父さん、お母さん。随分とみすぼらしい格好をしているね。あの格式高い宗方家のポートフォリオは、一体どこへ置いてきたんだい?」


俺はマイクのスイッチを入れ、色白の端正な顔に、いつもの「100点満点の笑顔」をゆっくりと貼り付けた。

筋肉の弛緩、声のトーン。どれをとっても、かつて彼らが望んだ「優秀な長男」そのものの完璧な擬態。


「雅人……っ! お前のせいだ! お前があの投資ルートに私の名前をダミーで流したから、会社も、私の大学での地位も、この宗方家のすべてが差し押さえられたんだ! お前のような、下劣な血筋の不良品を拾ってやった恩を忘れて、よくも、よくも私を陥れてくれたな!」


「不良品……。ふふ、懐かしい響きだ。子供の頃、テストで一度でも九十九点を取ると、お父さんは僕をそう呼んで、百科事典で僕の頭を叩いたよね。……でも、お父さん。その不良品が作ったペーパーカンパニーのデータを、お父さんは何一つ見破れずに、喜んで自分の裏金口座として使っていたんだよ? 脳のスペックとしては、お父さんの方がよほど『不良品』なんじゃないかな」


「この、口汚いガキが……っ!」

スピーカー越しに、父親の荒い呼吸が伝わってくる。


「お兄ちゃん、お父さんたち、すごく怒ってるね」

優奈が、俺の耳元でクスリと笑った。

「でも、怒るのも無理ないよ。お父さんたちの会社、明日には私の『ココノエ』に完全に吸収合併されちゃうんだもん。お父さんたち、もう帰るお家もないんだよ」


「優奈……! 優奈、あなたなの!?」

今度は母親が、狂ったようにインターホンに顔を近づけた。スピーカーから、彼女の醜く歪んだ表情の気配が伝わってくる。

「どうして実の親にこんな仕打ちをするの!? 私はあなたを無条件に愛して、何不自由なく育ててあげたじゃない! あの下劣な雅人にそそのかされて、実の親を刑務所に送るなんて、そんなこと許されると思っているの!?」


「お母さん、私は誰にもそそくされてないよ」

優奈は、マイクに向かって、まるで迷子を諭すように優しい声を滑り込ませた。

「私はただ、お母さんたちが、お兄ちゃんをいじめて、我慢させて、自分たちの『完璧な親の役割』に酔いしれているのが、すごく退屈だったの。お母さんたちが私にくれたのは、愛じゃないよ。私を自分たちのプライドを飾るためのお人形にしていただけ」


「黙れ! 恩知らずな子供どもめ! 貴様たちのその薄汚い『システム』さえなくなれば、私たちはまだやり直せるんだ! 警察の捜査も、インサイダーの証拠も、この地下のサーバーごと、全部吹き飛ばしてやる!」


父親が、震える手でポリタンクのキャップを開け、ガソリンをドアの隙間に流し込み始めた。ガソリンの独特な揮発臭が、地下の換気ダクトを通じて、俺たちのいる密室に微かに漂ってくる。


彼らは、物理的にすべてを破壊し、自分たちの過ちを、そして「敗北した」という現実そのものを消し去ろうとしていた。

かつての支配者が、自分の作り上げた檻(子供たち)に逆に支配され、ついに暴力という最も愚かで、最も短絡的な手段にまで身を落としたのだ。


「お兄ちゃん、どうする?」

優奈が、俺の首元に両腕を回したまま、潤んだ瞳で俺を見上げてきた。

「お父さんたち、本当に火をつけちゃうよ。そうしたら、私たちの新しいエデンも、全部真っ黒になっちゃうね」


「……お前の思い通りにはさせないさ、優奈。そして、あの醜悪な観客たち(両親)にもね」


俺は、キーボードの上に指を置いた。

脳内の仮想演算機が、極限の速度で回転を始める。

彼らが持ってきた起爆装置。それは、どこにでもある市販の無線トランシーバーを流用した簡易的な電気信管だ。彼らの薄汚れたレインコートのポケットから覗いている、受信機の型番。その周波数を、俺はモニターのシステムから逆算した。


「お父さん、お母さん。その起爆装置、僕の作ったココノエのWi-Fi電波と、同じ周波数帯を使っているね」


「……何だと?」


「僕がこのエンターキーを押せば、サーバー室の外周に設置された指向性ジャミングアンテナから、超高出力のノイズ電波が放射される。そうすれば、お父さんがその安っぽいスイッチをどれだけ強く押しても、電流は一ミリも流れない。それどころか――」


俺は、最高に美しく、冷酷な笑みを浮かべた。


「その起爆装置の受信ICチップに、高圧の過電流パルスを逆流させて、お父さんの手元で『今すぐ』暴発させることだってできるんだよ。僕の指先一つで、お父さんたちの肉体は、そのガソリンごと一瞬で消し炭になる。……やってみせるかい?」


「ひ、ひぃっ……!」

スピーカーの向こうで、父親が短い悲鳴をあげて、持っていた装置を床に落とした。カラン、と乾いたプラスチックの音が響く。


完璧な計算。

暴力すらも、俺の知性の前にはただの「予測可能なエラー」にすぎない。

俺は、かつて自分を支配していた両親を、自らの指先一つで生殺しにできる全能感に、脳髄が激しく痺れるのを感じていた。


だが、俺の支配は、そこで終わりではなかった。

優奈が、俺の重ねられた手の上から、自らの冷たい手をそっと重ねてきたのだ。

彼女の小さな指先が、キーボードの上の俺の指を優しく包み込み、引き止める。


「お兄ちゃん、壊しちゃダメだよ。お父さんたちを、そんなに簡単に壊しちゃ、お兄ちゃんが可哀想だもん」


「優奈……?」


優奈はマイクのスイッチを握り、スピーカーの向こうの両親に向かって、言葉にできないほど甘く、狂おしいほどの「慈悲」の声を滑り込ませた。


「お父さん、お母さん。もう、そんなに痛くて汚いことをしなくていいんだよ」


「ゆ、優奈……?」

母親の、震える掠れた声が聞こえる。


「お父さんたち、会社も地位もなくなって、世間から泥棒って言われて、すごく寂しくて、死にそうに苦しかったんだよね。お兄ちゃんに意地悪をされて、自分たちの『完璧な100点満点』が崩れちゃって、お家に帰るのも怖かったんだよね」


優奈の声には、皮肉など一滴も混じっていなかった。

それは本物の、底なしの、すべてを優しく窒息させる「聖母の救済(毒)」だった。


「私ね、お父さんたちを恨んでなんかいないよ。お父さんたちが、お兄ちゃんをいじめてくれたから、私、世界で一番格好いいお兄ちゃんを手に入れられたんだもん。だから、お父さんたちに、新しい『箱庭』を用意してあげたよ」


優奈は、モニターのキーをいくつか叩き、両親の目の前の電子パネルに、ある施設の住所と契約書を表示させた。


「都心から遠い、とっても静かな山奥の療養所。そこはね、世界から完全に隔離されていて、誰もお父さんたちの悪口を言わないの。美味しいご飯も、暖かいお布団も、全部私が用意してあげる。お父さんたちは、そこで一生、誰の目も気にしないで、ただの『お父さんとお母さん』として、静かに、おままごとをしていればいいんだよ」


「な……療養所だと……? 私たちを、精神病院に閉じ込める気か!?」

父親が、血を吐くような声をあげた。


「違うよ。お父さんたちを、誰も傷つけない、優しい檻に入れてあげるの。お父さんたちの『社会的信用』は、全部私が綺麗に消し去って、お墓を建ててあげる。お父さんたちの人生のコレクションは、今日ここで、完璧な100点満点のまま、終わらせてあげるね」


優奈の、どこまでも凪いだ、空っぽの瞳。

その言葉は、両親がこれまで生涯をかけて築き上げてきた「プライド」という名の城を、最も残忍に、かつ完璧に解体していた。

彼らが何より恐れていたのは、肉体の死ではない。自分たちが築いた地位を失い、世間から見捨てられ、ただの「惨めな老人」として隔離され、生き恥を晒し続けること。

優奈は、その彼らの最も柔らかい脳髄に、「生涯にわたる徹底的な管理と飼育」という、最も甘美で恐ろしい猛毒を注ぎ込んだのだ。


「あ……あ、ああ……」

母親が、力なくその場に崩れ落ちた。

彼女の瞳から、最後のご都合主義的な光が消え去り、ただの、空虚な廃人のような色に塗り潰されていく。


「嫌だ……嫌だ……! 私は完璧な母親よ……完璧な教育を……雅人を、優奈を、立派に育てたのよ……! どうしてこんな、こんなゴミ捨て場みたいな場所で……!」


「お母さん、もう頑張らなくていいんだよ。おままごとは、これで終わり。……はい、おしまい」


優奈が、マイクのスイッチを静かに切った。


モニターの向こう側。

かつて絶対的な捕食者として雅人を支配していた宗方夫妻は、もはや爆弾を動かす力すら失い、互いに縋り合うようにして、地下室の冷たい床の上で泣き崩れていた。

数分後、優奈の手配した警備員たちによって、彼らは暴れる気力すらなく、泥人形のように静かに連れ去られていった。


これで、完全な決着だった。

宗方雅人を縛り付け、狂わせた張本人たちは、雅人の「冷徹な計算」によって手足を縛られ、優奈の「底なしの善意」によって精神の息の根を止められた。


「あはは……。完璧だよ、優奈。本当にお前は、最悪で、最高に優しい悪魔だな」


俺はワークチェアに深く背を預け、自嘲気味に深く、深く息を吐き出した。

親を屠ったのは、俺の悪意ではない。優奈の、あの狂おしいほどの『全肯定の檻』だったのだ。

俺は、自分の復讐さえも、彼女の「おままごと」の一部として綺麗に処理されてしまったことに、猛烈な屈辱を覚えていた。

だが、それと同時に――この妹と連携して、かつての支配者を完膚なきまでに解体したという事実に、脳髄の芯がゾクゾクとするような、異常なまでの快感が駆け抜けていた。


「お兄ちゃん、お父さんたち、新しいお家で、幸せになれるといいね」


優奈は、俺の首元に顔を埋め、深く、愛おしそうに息を吸い込んだ。

その身体の熱が、俺の心臓の鼓動を、再び正確に「一分間に七十二」へと整えていく。


「……ああ。彼らには、あの静かな地獄で、一生僕たちのことを崇拝して生きていってもらおう」


俺は、キーボードにそっと指を這わせた。

両親という「過去の遺物」を完全に屠った今。

俺と優奈を遮るものは、もう、世界中のどこにも存在しなかった。


だが、暗闇の中で、俺の死んだ魚のような瞳には、再び、冷酷極まりない『次の計算式』が走り始めていた。


(優奈……。親という観客を消し去った今、この盤面に残されたのは、僕とお前だけだ。……次こそは、お前のその『底なしの善意』ごと、この世界を僕の悪意でハッキングしてやるさ)


終わりのない、地獄のエデンの園。

その次の盤面へ向け、俺の脳内システムは、さらなる狂気の演算を再開していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ