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第3話:信徒たちの新しい祈り

地下最深部のガラス張りの部屋。

最新鋭のサーバーラックが静かに吐き出す排熱と、エアコンの冷風が、不気味な均衡を保っていた。

モニターを硬質に照らす青白いブルーライトに負けないほどの冷たさで、俺はキーボードに指を滑らせていた。


ガチャリ、とガラスドアの電子ロックが、この日二度目の解除音を響かせた。


「――お兄ちゃん。私の、大切なお友達を連れてきたよ」


優奈の澄んだ声に、俺はタイピングを止め、ワークチェアをゆっくりと回転させた。


優奈の後ろに立っていたのは、かつて俺がこの手で調律し、破滅の底へと突き落としたはずの三人の少女――美月、麗奈、舞衣だった。

だが、その姿は、俺が最後に見た絶望と泣き叫ぶ泥沼の姿とは、あまりにもかけ離れていた。


美月は、仕立ての良いネイビーのオフィスカジュアルを凛と着こなし、かつての刺々しい「女王蜂」のトゲを削ぎ落としたような、穏やかな知性を湛えている。

麗奈は、黒髪を後ろで綺麗にまとめ、白ブラウスのボタンを上まで留めたクラシカルな姿で、システム監査用のタブレットを胸に抱えていた。

舞衣は、くすんだパーカーではなく、清楚なパステルカラーのワンピースを着て、まるで迷いのない無垢な微笑みを浮かべている。


彼女たちは、今や『プロトコル・ココノエ』を動かす中枢、優奈の帝国の「幹部」だった。


「久しぶりね、雅人くん。……ここで、ちゃんと優奈ちゃんの役に立てているようで安心したわ」

美月が、まるで迷子の子供を見るかのような、静かで哀れみに満ちた笑みを俺に向けた。


「ええ。もう誰かを騙して100点を取る必要なんてないものね、雅人。……優奈ちゃんの檻の中にいる方が、雅人くんもずっと幸せよ」

麗奈も、かつて俺に唇を重ねて震えていた面影を感じさせないほど、平穏な、そして別の狂気に染まりきった瞳で俺を見つめる。


「雅人くん。私、今は毎日がすごく楽しいの。自分の存在を誰も否定しない、優奈ちゃんの作ったこの国を、今度は私たちが支えてあげる番だもんね」

舞衣は優奈の隣に寄り添い、本当に嬉しそうに彼女の手を握りしめた。


俺の胸の奥で、どす黒い失笑が渦巻いた。

なるほど。優奈の『無条件の救済』によって脳を焼かれた信徒たち。彼女たちは、かつて俺が植え付けた恐怖と依存の檻から脱したと思い込み、今度は優奈が用意した「優しく生温かい、永遠のゆりかご」という、より強固な狂気の中に自ら囚われているのだ。


「……僕を憐れみに来たのなら、今すぐ帰ってほしい。ご覧の通り、僕は妹の優秀な『ペット』として、十分に可愛がられているからね」

俺はいつもの「貼り付けた笑顔」を浮かべながら、皮肉混じりの声を投げかけた。


だが、俺のシステムは瞬時に、別の計算を弾き出していた。

彼女たちの脳に、もう一度僕の「悪意のバグ」を植え付ける。

言葉で説得しようとしても、優奈の聖母信仰に染まりきった彼女たちの耳には届かないだろう。ならば――言葉など必要ない。かつて彼女たちの脳髄に直接刻み込んだ「肉体の記憶」を呼び覚まし、瞬時にその主導権を奪う。


俺はゆっくりと立ち上がり、優奈の前に歩み寄った。


「優奈。……ペットにも、時には『自由時間』が必要だ」


「自由時間……? どういうこと、お兄ちゃん」

優奈が凪いだ瞳で俺を見上げる。


「この国家システムの構築には、幹部である彼女たちへの直接の仕様レクチャーが不可欠だ。だが、お前がそばで見張っていると、緊張して正確なキー入力ができない。……少しの間、部屋からお前だけが出ていってくれないか。もちろん、この部屋の監視カメラは、すべてお前が握っている。お前は防弾ガラスの向こう、あるいはモニターの前から、僕をいくらでも監視していればいい」


優奈は、じっと俺の死んだ瞳を見つめ返した。

俺が何かを企んでいることは百も承知のはずだ。だが、優奈の口元に浮かんだのは、圧倒的な「飼い主」の余裕だった。


「いいよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんが、私のお友達にどんな悪いおままごとを教えようとするのか、私、そこのカメラからずーっと、瞬きもしないで見てるからね」


優奈は俺の頬をそっと撫で、それからゆっくりと部屋を出て行った。

重厚なガラスドアが閉まり、電子ロックがガチャンと音を立てる。ガラスの向こう側に回った優奈は、両手を組み、まるで実験室のモルモットを観察する科学者のように、じっとこちらを見つめ始めた。天井の隅にある監視カメラの赤いランプが、不気味に点滅している。


密室には、俺と、三人の女たちだけが残された。


「さて……仕様のレクチャーを始めようか、みんな」


俺は、パソコンのデスクから離れ、彼女たちとの距離を詰めた。

美月は警戒する風でもなく、穏やかに俺を見つめている。「雅人くん、もう遅いのよ」とでも言いたげな、救済者の視線。


俺は何も言わず、美月の目の前に立った。

そして、かつて彼女が最も狂おしく、俺からの愛を求めていたあの夜の、まったく同じ角度で、彼女のブラウンの髪にそっと手を伸ばした。


「……! 雅人くん、何を――」


美月が言葉を遮るより早く、俺の細長い指先が、彼女の耳の裏側から首筋にかけて、ねっとりとした熱を持ってなぞり下ろした。

それだけではない。俺は彼女の腰を引き寄せ、耳元に顔を近づけ、ただ、深く、熱い吐息を吹きかけた。


言葉は何もない。ただ、かつて彼女の脳を焼き切るほどに支配した「あの雅人の体温」が、直接肌に伝わる。

「っ、あ……」

美月の喉から、掠れた声が漏れた。

優奈に救われ、平穏を得たはずの肉体が、俺の指先が触れた瞬間、猛烈な「記憶のフラッシュバック」を起こして震え出していた。


俺は美月の視線を奪ったまま、次は隣にいた麗奈に手を伸ばした。

医者の娘として、抑圧されたプライドを俺によってぶち壊された麗奈。俺は彼女のあごを強引に指先で持ち上げると、逃げられない至近距離で、その濡れた瞳を見つめた。

そして、かつてカラオケの薄暗い密室で重ね合わせた、冷たく、だが狂おしいほど貪欲なキスを、彼女の薄い唇に直接、容赦なく押し当てた。


「ん……っ、ま、雅人……」

麗奈の手から、タブレットが滑り落ちそうになる。彼女の身体が、かつての逸脱の快楽を思い出し、拒絶するどころか、俺の首筋に自ら腕を回しそうになるほど熱を帯びていく。


最後に、舞衣。

俺は彼女の細い手首を掴み、その身体を俺の胸元へと強く抱き寄せた。

「雅人くん……私、私は優奈ちゃんに……」

「舞衣。君の本当に帰る場所は、どこだ?」

言葉ではなく、彼女の背中を愛撫する俺の手のひらの、狂おしいほどの強さが、彼女の「承認欲求」をダイレクトに刺激した。俺の身体に触れられた瞬間、舞衣の瞳から、優奈への狂信の光が、急速に「雅人への依存」の熱へと塗り潰されていった。


ガラスの向こう側。

そして監視カメラのレンズの奥。

優奈は、かつて自分が『無条件の愛』で救い出したはずの信徒たちが、雅人の指先ひとつ、唇ひとつで、瞬時に理性を失い、再び「雅人の肉体の奴隷」へと堕ちていく様を、凪いだ、だが微かに揺れる瞳で見つめていた。


俺はカメラのレンズを真っ直ぐに見つめ返し、最悪に美しく、冷酷な笑顔を浮かべた。

『見ろ、優奈。お前がどれだけ彼女たちの精神を救おうとも、彼女たちの肉体は、今でも僕の指先ひとつで狂うように調律されているんだ。お前の聖母の祈りなんて、僕の肉体の暴力(快楽)の前には、一瞬で消え去る砂の城だ』


挑発する俺の視線。

カメラの向こうの優奈の呼吸が、微かに、熱を帯びて引き締まるのが、空間の緊張感で伝わってくる。


「あ……雅人くん……もっと……」

美月が、かつてのトゲを完全に失い、俺のシャツの裾を縋るように掴んできた。

麗奈は、俺の胸元に顔を埋め、狂おしい吐息を漏らしながら、俺の冷たい指先を自分の首筋へと導いている。

舞衣は、俺の身体に直に触れ、その肌の温度と執着をぶつけ合うように、恍惚とした表情で俺を見上げている。


この密室の、三人のねっとりとした息遣いが異様に近く交錯する中で、俺は彼女たちを抱き寄せ、その心身を完全に掌握しながら、最後の一手を静かに実行した。


恍惚とする麗奈の指先をそっと掴み、彼女が落としそうになっていたシステム監査用のタブレットの画面に押し付け、バイオメトリクス(生体認証)を解除させる。

そして、美月と舞衣の身体を愛撫する手の隙間で、俺は冷酷に、彼女たちの持つ管理者権限の端末へ、脳内にシミュレーションしていた「悪意のコード」を、一切の言葉に頼らず、ただ指先の静かな操作だけで瞬時に流し込んだ。


幹部たちの生体認証と特権IDを媒介にして、俺の悪意のウイルスは、優奈の張り巡らせた絶対のシステム『プロトコル・ココノエ』の内側へと、深く、深く侵入していく。


「――お兄ちゃん。そこまでだよ」


ガラスドアのロックが解除され、優奈が再び部屋の中へと入ってきた。

その顔には、隠しきれない嫉妬と、それ以上に、自分のおもちゃ(雅人)が、かつてないほど魅力的な悪魔として輝いていることへの、狂おしいほどの恍惚の笑みが浮かんでいた。


美月、麗奈、舞衣は、優奈の姿を見た瞬間、まるで魔法から解けたように我に返り、頬を赤く染めて身を縮めた。だが、彼女たちの瞳の奥には、もう二度と消えない「雅人の肉体」への渇望が、ふつふつと発火していた。


「お兄ちゃん、お友達をいじめるのはそれくらいにしてね。仕様のレクチャーは、これで十分でしょ?」


「ああ。十分に、仕様の『深いところ』まで理解してもらえたよ。優奈」


俺は、三人の女たちからゆっくりと離れ、再び自分のワークチェアに腰掛けた。

キーボードへと指を滑らせる。

モニターのブルーライトが、俺の死んだ瞳を不気味に青白く照らし出す。


優奈は俺の背後に回り込み、その首筋に腕を回して、自らの甘い体温を押し付けてきた。

ガラスの向こうで、俺の悪意のコードは、すでに彼女の帝国の心臓部へと、血管のように深く、侵入し始めていた。

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