表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/37

第2話:女王の面会、愛人の請求

最新鋭のキーボードが静かに、小気味よい打鍵音を地下室に響かせていた。

モニターの青白い光が、俺の鼻筋の通った色白の横顔を硬質に照らし出す。三画面の巨大なモニターには、国家規模のインフラシステム『プロトコル・ココノエ』の複雑怪奇なソースコードが、無数の神経細胞のように蠢いていた。


カチャリ、と背後で重厚なガラスドアの電子ロックが解除される音がした。


「――お兄ちゃん、お客さまだよ」


優奈の、いつもの鈴を鳴らすような澄んだ声。

俺はタイピングの手を止め、ゆっくりとワークチェアを回転させた。


優奈の隣に立っていたのは、高級なシルクのブラウスにタイトなスリットスカートを纏った、妖艶な美魔女――冴子(沙織)だった。かつて雅人の「資金源」であり、今はその老舗ホテルチェーンを影から動かす実質的な女帝だ。


彼女は、ガラス張りの部屋の洗練された内装を一瞥すると、赤い唇を歪めてクスクスと笑い声をあげた。


「本当に……雅人にふさわしい、完璧に贅沢で悪趣味な檻ね。優奈ちゃん、いい仕事をするじゃない」


「ありがとうございます、冴子さん。お兄ちゃん、拘置所の独居房よりずっと元気そうでしょう?」


優奈は自慢げに微笑み、俺の椅子のすぐ隣まで歩み寄って、その華奢な身体を俺の肩に預けてきた。アクリル板が消え去った今、彼女は隙さえあれば俺の身体に触れ、自らの甘い体温を押し付けてくる。


だが、冴子の狙いは別だった。

彼女は優奈のそんな牽制など意に介さない様子で、ヒールの音を響かせて俺の前に歩み寄ると、ごく自然に俺の前にしゃがみ込んだ。


「久しぶりね、雅人。……少し、痩せたかしら?」


冴子の細く長い指先が、俺の顎をそっとなぞる。

その指先には、高級な香水の香りと、大人の女特有のねっとりとした熱が宿っていた。

俺の、女性受けする甘いフェイス。かつて彼女がベッドの上で狂ったように愛し、執着した、その顔。彼女はその肌の感触を思い出すように、親指の腹で俺の薄い唇を強く押し、なぞり、開かせようとする。


「……何の用だ、冴子さん。僕を憐れみに来たのなら、引き取ってほしい。今の僕は、妹の可愛いペットにすぎないんだ」


俺はいつもの「貼り付けた笑顔」を浮かべながらも、冷ややかな声で応じた。だが、彼女の指先は俺の髪へと滑り込み、黒髪のマッシュヘアを少し乱すように、優しく、同時に逃がさないように掴んだ。


「憐れむ? 冗談。私はあなたを回収しに来たのよ。優奈ちゃんとの協定、忘れたわけじゃないでしょう?」


冴子はそう言って、後ろに立つ優奈へ妖艶な視線を投げかけた。


「優奈ちゃん。約束通り、今日から雅人の『時間』を、私に半分分けてもらうわよ。わが社が今期進めている、外資系ホテルチェーンの買収案件……雅人の冷徹な市場分析と『調律マインドコントロール』がどうしても必要なの。あいつのその綺麗な頭、しばらく私に貸しなさい」


「ええ、もちろんですよ。冴子さん」

優奈は微笑んだまま、俺の背後に回り込み、その首筋に腕を回した。

「でも、お兄ちゃんの『心』は、私のものだからね。お兄ちゃんが冴子さんのために書くプログラミングも、ビジネスの提案書も、全部私のこのキーボードを通じてしか、外には出せないよ」


優奈の腕が、俺の首を優しく、けれど確実に締め付けるように強まる。

二人の女が、俺の身体に直に触れ、その肌の温度と執着をぶつけ合う。

密室の、エアコンの冷えた空気の中で、三人のねっとりとした息遣いだけが異様に近く交錯していた。


「分かっているわよ」

冴子は鼻で笑い、今度は俺の首筋、優奈の手のすぐ近くに、自らの細い指先を這わせた。

「心なんて、安っぽいおままごと、私には必要ないわ。私が欲しいのは、雅人のその完璧な『機能』。そして……」


冴子は俺の顔をぐいと引き寄せ、至近距離でその濡れた瞳を見つめてきた。


「ベッドの上で、私を狂わせてくれた、この身体だけ。……優奈ちゃん。雅人のビジネスの調律には、頭だけじゃなくて、肉体的な充足も必要なの。あいつ、限界まで追い詰められないと、本当に『100点満点』の悪知恵を絞り出さないでしょう?」


「ふふ、お兄ちゃん、言われてるよ。どうする?」

優奈は俺の耳元で、甘く囁いた。その声には、嫉妬など微塵もなかった。ただ、兄を共有されるペットとして完全にコントロールしているという、圧倒的な支配者の愉悦だけがあった。


「お前に拒否権などないだろう、優奈。……冴子さん、僕の時間を買いたいなら、それ相応の対価を払ってもらおうか」


俺は、二人の女に絡め取られながらも、システムを冷酷に稼働させていた。

冴子が持ち込んできた買収案件。その背後にある資金フローと、彼女の会社のシステムの脆弱性。俺はすでに、そのすべてを瞬時に分析し始めていた。


「対価? ええ、いくらでも払うわ。あなたが望むだけの裏金、私のペーパーカンパニー経由で、いつでも用意してあげる。……もちろん、優奈ちゃんの目の届かない、ホテルのスイートルームという名の、別の『檻』の中でね」


冴子はそう言って、俺の鎖骨のあたりに、赤いリップの跡を残すようにそっと唇を押し当てた。

優奈はそれを、ガラスの向こうの実験動物でも見るかのように、凪いだ瞳で見つめている。


「いいよ、お兄ちゃん。冴子さんの会社を、お兄ちゃんの悪意で完璧に『調律』してあげて」

優奈は俺の耳たぶを優しく噛み、それからクスクスと笑った。


「でも、お兄ちゃん。忘れないでね。お兄ちゃんが冴子さんのためにどんな罠を仕掛けても、その罠のスイッチは、全部この地下室の、私の手のひらの上にあるんだから」


二人の女の間で、俺の「時間」と「肉体」が、まるで高価な玩具のように分配されていく。

だが、俺は自嘲気味にフッと笑い、キーボードへと再び指を滑らせた。


(お前たちが僕をシェアし、支配しているつもりなら、それでいい……)


モニターのブルーライトが、俺の死んだ瞳を不気味に青白く照らし出す。

二人の女の、甘く重い執着の温度。その中心で、俺は静かに、世界を、そしてこの二人の女王を根底から腐食させる猛毒のコードを、より深く、深く紡ぎ始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ