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第10話:新しい箱庭の王と、真の終焉

「――番号、四〇二番。面会終了だ」


刑務官の無機質な声が、狭い面会室に響いた。

厚いアクリル板の向こう側で、優奈は寂しそうに眉を下げ、それからいつもの、あの濁りのない、澄み切った笑顔を浮かべた。


「また来週来るね、お兄ちゃん。今度は、お兄ちゃんが昔好きだったお店のマドレーヌを差し入れに持ってくるから」


「……ああ、楽しみにしているよ」


俺は、囚人服の袖を軽く整えながら、完璧な、計算され尽くした『100点満点の笑顔』をアクリル板の向こうの妹に返した。


あの日から、三年が経った。

宗方雅人の巨額投資詐欺、およびインサイダー取引事件。メディアはそのニュースを狂ったように報じ、俺が築き上げた裏の帝国は塵一つ残さず解体された。血の繋がらない両親からは、裁判が始まる前に「我が一族の恥」として完全に戸籍を抜かれ、絶縁された。


社会的な死。完全な孤立。

優奈の目論見通り、俺の世界から、俺を評価する人間も、俺にしがみつく女たちも、すべてがいなくなった。


――残されたのは、毎週欠かさず面会に現れる、この最愛の妹だけ。


ガチャン、と重い鉄格子の扉が閉まり、俺は自分の独居房へと戻された。

三畳一間の狭い世界。机の上には、ペンと一冊のノート。俺はベッドに腰掛け、慣れた手つきでノートを開いた。そこには、数式と暗号のような文字列が、びっしりと書き込まれている。


「ふ、ふふ……あははは」


俺は静かに笑った。

優奈は、俺をこの「社会の檻」に閉じ込めることで、自分だけのものにしたと確信している。俺が外の世界で誰かを支配する力を奪い、自分に依存させるための、完璧な箱庭。


だが、彼女は甘い。

俺の頭脳システムは、この灰色の壁の中でも、一秒たりとも停止してなどいない。


「お兄ちゃん、今日もノートに何か書いてるの?」


不意に、独居房の隅、誰もいないはずの闇から、優奈の声が聞こえた気がした。幻聴だ。だが、今の俺にとって、その幻聴こそが唯一の現実だった。


「ああ、書いているとも。お前が作ったこの頑丈な檻を、内側から粉々に爆破するための、新しいプログラムをね」


俺は誰もいない空間に向かって、狂気的な笑みを深めた。


「お前は僕を社会的に殺して、自分の手のひらの上で踊らせているつもりだろう。だが、違う。僕はあえて、お前のその歪んだ愛の計画シナリオに乗ってやったんだ。お前が僕を唯一無二の存在として求め、その全人生と全感情を僕に捧げるその瞬間を、僕はずっと待っていた」


ペンを握る指先に、力がこもる。


「お前は僕を閉じ込めた『王』のつもりかもしれないが、その実、お前は僕というたった一人の囚人のために、一生を面会と差し入れに費やす『奴隷』になったんだよ。優奈。お前が僕を監視し続ける限り、お前の人生の主役は、永遠に僕だ」


優奈が仕掛けた「鏡合わせの箱庭」。

それは、俺を社会から隔離するための檻であったと同時に、優奈自身を「雅人を支配する」という目的から永遠に抜け出せなくする、双方向の監獄だったのだ。


どちらが飼い主で、どちらがペットか。

どちらが支配者で、どちらが操り人形か。


その境界線は、すでに完全に溶けて、反転を繰り返している。


「雅人、出ろ。保釈手続きが完了した。身元引受人が来ている」


突如として、独居房のドアが開いた。刑務官の言葉に、俺は一瞬、耳を疑った。

刑期はまだ残っているはずだ。だが、刑務官の後ろから姿を現したのは――高級な黒いスーツに身を包み、大人の女性としての妖艶さと、底知れない冷徹さを身につけた、現在の優奈だった。


「お兄ちゃん、迎えに来たよ」


優奈はアクリル板のない世界で、俺の前に立ち、そっと手を差し伸べた。


「どういうことだ……。僕の保釈など、通るはずが――」


「ココノエの新しいシステムがね、国のサイバーセキュリティの基幹技術に採用されたの。だから、その開発協力者として、お兄ちゃんの頭脳が必要だって、国の上層部に『お願い』してきたんだ。高松さんや、新しく味方につけた政界の人たちを使ってね」


優奈はクスクスと、あの鈴の鳴るような声で笑った。


「お兄ちゃんを刑務所に入れておくのも退屈になっちゃったから。これからはね、私の会社の地下にある、誰にも見えない秘密の特等席で、私のために働いて。お金も、戸籍も、お兄ちゃんの身分も、全部私が新しく作ってあげたから」


俺は、差し出された優奈の手を見つめた。

その手は、かつて豪雨の夜に俺の頬を包んだ時と同じように、ひどく冷たく、そして抗えないほど甘美な破滅の香りがした。


俺の負けだ。

社会の檻(刑務所)から出された俺を待っていたのは、より強固で、より巨大な、優奈という名の「絶対的な飼育箱」だった。


「……最高だよ、優奈」


俺は彼女の手を取り、力強く引き寄せた。

二人の身体が密着する。耳元で、俺はこれまでで最も狂おしく、最も完璧な『100点満点の笑顔』で囁いた。


「お前の作った新しい檻の中で、僕は何度でもお前を裏切り、何度でもお前の盤面をひっくり返してやる。一生、僕から目を離すなよ。僕の可愛い、捕食者いもうと


「うん。死ぬまでずっと、おままごとを続けようね。お兄ちゃん」


優奈は、世界で一番美しい、空っぽな笑顔で俺を抱きしめた。


実家の呪縛も、過去の栄光も、すべてが消え去った世界。

新しく開かれた箱庭の扉の向こうで、兄と妹の、終わりなき支配と依存のキャルセルが、今度こそ永遠に、狂いながら回り始めるのだった。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!


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