第3話 勇者様、本気を出す相手を間違える。
「勇者様だ!」
共同訓練場の門をくぐった途端、歓声が上がった。
「本物のレオナ様だ!」
「五年ぶりじゃないか!?」
「勇者様!握手してください!」
人族も魔族も入り交じり、レオナを取り囲んでいる。
……すごい人気だな!
「レオナ!皆、お前に会えて嬉しそうだぞ!」
「私はあんたの監視についてきただけなんだけど!」
「ありがたいことだ!」
「だから、そういう話じゃなくて!」
だが、歓迎一色というわけではなかった。
「けっ。和平にひよった勇者様じゃねえか」
人垣の後ろで、角の生えた若い魔族が笑った。
「昔は魔王軍をぶっ倒すって息巻いてたくせによ。今じゃ魔族と仲良くお手々つないでんだろ?」
「五年も平和が続けば、剣の振り方も忘れちまうんじゃねえの?」
人族の訓練生まで茶化し始めた。
レオナのこめかみに青筋が浮かぶ。
「……あんたたちねえ」
和平から五年。
まだ昔の戦いにこだわる者もいるらしい。
「おい、お前らァッ!!」
怒号が響いた。
冒険者ギルドの試験官ガルドだ。
訓練場の監督役も兼ねているようだ。
「五年も経って、伝説の勇者様の姿を忘れちまったんじゃねえか!?口ばっかり達者になりやがって!まずは本物の剣をその目に焼き付けてから訓練しやがれ!」
「……ちょっと!?」
「勇者様、一試合だけ手本を見せてもらえねえか!」
「勝手に決めないでよ!」
「お願いします、勇者様!」
「一度でいいから見せてください!」
期待の声が次々に上がる。
「レオナ!俺もぜひ見たいぞ!」
「……あんたまで」
レオナは大きくため息をついた。
「……一試合だけよ」
「よっしゃあ!」
ガルドが拳を突き上げた。
「よし!あとは相手だな!」
その一言で、訓練生たちが一斉に目をそらした。
「……おい。誰かいねえのか?」
「俺、今日は肩が……」
「さっきまで勇者様を茶化してた奴はどうした!」
俺なら喜んで──
「ガルド!それなら俺が!」
「お前はまず、腕立て伏せ十回!」
「……くっ!」
「ったく、誰か……おっ、いたいた!」
ガルドが道場の隅を指さした。
「そこの新入り!大柄のお前!」
壁際にいた魔族の男が顔を上げた。
「……私、ですか?」
「そうだ!お前なら身体も頑丈そうだし、魔族なら多少の打ち込みにも耐えられるだろ!」
「……い、いえ、私は……」
「よし、決まりだ!」
「ちょっ――」
「名前は?」
「……ベリクです」
「よし、ベリク!前へ出ろ!」
ベリクと名乗った男は、なぜか絶望したような顔をしていた。
───
ベリク。
旧魔王軍第三遊撃隊の元精鋭。
昨夜、上官ヴォルグから密命を受けたばかりだった。
『総司令官閣下を監視せよ。ただし接触するな。旧軍の剣技を使うな。元勇者に正体を悟られるな』
だからこそ、目立たないよう訓練場の隅にいた。
それなのに、目の前には元勇者。
周囲には大勢の見物人。
そして。
「頑張れ、ベリク!」
かつて数万の魔族を率いた総司令官カイ・ヴァルグレイヴが、満面の笑みで応援している。
「レオナは強いぞ!気をつけろ!」
……存じております、閣下。
あなたが戦い続けた相手ですから。
「大丈夫?無理なら別の人にするけど」
レオナが声をかけてきた。
……お願いします。
今すぐそうしてください。
「おい、ベリク!勇者様が心配してくださってるぞ!」
ガルドが背中を叩く。
「……だ、大丈夫です」
「よし!その意気だ!」
……言ってしまった。
「せっかくだ!防御訓練の試験も兼ねるぞ!一分間、勇者様の攻撃をしのげば合格!ただし反撃したら失格だ!」
反撃禁止。
……ならば、ひたすら守りに徹すればいい。
ベリクは木剣を握った。
第三遊撃隊で十年。
軍の解散後も五年。
磨き続けた剣術は、もはや身体の一部だ。
それを隠したまま、元勇者の攻撃をしのぐ。
……無理では?
「始め!」
───
かんっ!
木剣が打ち合う音が響く。
おお!見事な受けだ!
レオナの上段からの一撃を、ベリクが受け止めた。
続く横薙ぎも、木剣を傾けて受け流す。
「……へえ。初心者にしては、ずいぶん上手いじゃない」
「……た、たまたまです」
「たまたまで、私の剣を受けられるの?」
レオナが左右から斬り込む。
だが、ベリクは半歩ずつ退きながら、すべて受け流してしまった。
あの魔族、かなりの腕前だぞ!
───
……まったく。
レオナは木剣を握り直した。
五年も平和が続けば、剣の振り方を忘れる?
冗談じゃない。
この五年間、どれだけ剣を振ってきたと思ってるのよ。
雪山を越え、砂漠を渡り、世界中の強者を訪ね歩いた。全部、カイに勝つためだ。
……それなのに!
ようやく見つけたあいつは、腕立て伏せ四回で試験に落ちていた。
しかも本人は大喜び!
……何なのよ、もう!
謝ってくれたことは分かってる。
いつかまた勝負するって約束もした。
でも、私が五年間かけて磨いた剣は、いったいどうすればいいのよ!
……本当は、どこかに力を隠してたりしないわけ?
……ないわよね。あいつ、本気で腕立て伏せ十回を目指してるもの。
ああもう!
何か思いっきりぶっ壊したい気分だわ!
かんっ!
振り下ろした木剣が、鮮やかに受け流された。
……あら?
角度を変えて、もう一撃。
かんっ!
また、きれいにいなされた。
……へえ。
苛立ちが、別の感情に変わっていく。
この男、思ったよりずっと強い。
だったら――。
「真正面からだと、いなされちゃうわね」
レオナの口元に笑みが浮かんだ。
「もう少し、速くしてもいいわよね?」
五年間、磨き続けた剣。
今のカイには、まだ振るえない。
でも、目の前には受け止めてくれる相手がいる。
……いいじゃない。
「この訓練場、存分に使わせてもらうわ!」
───
金色の瞳が輝いた。
肩から腕へ、胸から脚へ。
黄金の魔力が全身を駆け巡り、眩い光となって溢れ出す!
……全身の身体強化だ!
今朝は脚に集めた魔力を風に変えて加速していたが、今度は筋力も反応速度も引き上げるつもりか!
「……ちょっと、勇者様?」
ガルドが顔を引きつらせた。
「そこまでやらなくても――」
ドンッ!!
レオナが床を蹴った。
……速い!
壁を駆け上がり、頭上から斬り込む!
かんっ!
ベリクが受けた。
だが、レオナは着地せず、そのまま柱を蹴って方向を変えた。
右!左!背後!
かんっ!かかんっ!
「うおおおっ!?」
見物人たちがどよめいた。
黄金の軌跡が訓練場を縦横無尽に走る。
壁から柱へ、柱から天井へ!
上下左右、あらゆる角度から斬撃が降り注ぐ!
「……くっ!」
ベリクが後退した。
これも受けるのか!
だが、レオナの攻撃は一撃ごとに鋭さを増している。
かんっ!
ベリクの足が滑った。
次の斬撃が肩をかすめ、さらに一撃、膝が沈む。
レオナは威力を抑え、急所も外している。
それでも、あの圧力だ!
「……あはっ!」
レオナが笑った。
「いいじゃない!こんなに受けてくれる相手、久しぶりよ!」
……すっかり楽しくなってしまったらしい。
思い返せば、戦場でもそうだった。
レオナは強い相手を見つけると、嬉しそうに剣の速度を上げていくのだ。
しかし、五年前よりもずっと鋭い。
剣筋にも踏み込みにも、無駄がない。
見事だな!
「まだいけるわよね!」
「……い、いえ、その……!」
「もっと見せて!もっとよ!」
黄金の光が、さらに強まった。
「勇者様ァァッ!!」
ガルドが叫ぶ。
「初心者向けのお手本だぞォォォッ!!」
「分かってるわ!」
……分かってなさそうだ。
レオナが天井を蹴り、急降下した。
かぁんっ!!
ベリクが辛うじて受け流す。
その身体が大きく沈んだ。
「なんだよ、あの速さ……」
「あの魔族も、まだ立ってるぞ……!」
先ほど野次を飛ばした魔族が、隣の男に尋ねた。
「……なあ。和平にひよったって言ったの、誰だ?」
「お前だろ」
「……俺は和平に全面的に賛成だ」
「残り十秒!」
ガルドの声が響いた。
レオナが柱を蹴る。
――ドンッ!!
金色の魔力が弾けた。
今度は真正面!
石床に着地したレオナが、その勢いを殺さず踏み込む。
跳躍の加速を乗せた木剣が、ベリクの頭上へ振り下ろされた!
……おおっ!あれをどう防ぐ!?
ベリクが右足を斜め後ろへ引いた。
木剣を傾け、重心を落とす。
……ん?あの足運びは――。
カァンッ!!
鋭い音が響いた。
いや、違う!ベリクは受け止めていない!
レオナの斬撃を斜めに滑らせ、横へ流したのだ!
さらに、引いた右足を踏み返す。
腰が回り、木剣が跳ね上がる!
防御に徹していた男が、一瞬で攻撃側に回った!
あれは反撃技だ!
相手の斬撃を受け流し、その勢いを利用して一気に踏み込む!
ベリクの木剣が、レオナの脇腹へ走った。
だが、レオナも即座に反応した!
石床についた左足を軸に身体を回し、とっさに木剣を返す。
あの体勢から防ぎにいくか!
いや、感心している場合ではない!
ベリクの反撃には、受け流した勢いが乗っている。
レオナも全身を魔力で強化したまま、咄嗟の防御に入った!
この距離で打ち合えば、どちらかが受け損ねる危険がある!
しかも――反撃は禁止だぞ!?
あと十秒だったのに!
せっかくの挑戦が台無しになってしまう!
二人の木剣が激突しかける。
「攻撃中止ッ!!」
気づけば、俺は叫んでいた。
その瞬間、ベリクの木剣がぴたりと止まった。
「――はっ!!」
即座に剣を引き、背筋を伸ばす。右拳を胸へ。
一糸乱れぬ直立姿勢。
見事な敬礼だ!
ん?それ、昔の魔王軍の敬礼じゃないか?
同時に、レオナも動いていた。
相手が突然構えを解いたと見るや、迫る木剣を強引に引き戻す。
石床を踏みしめ、身体をひねって勢いを殺した。
ギッ――!
靴底が石板を擦り、金色の魔力が火花のように散った。
二人の木剣は、どちらも相手に届いていない。
間に合った!
ベリクも自分の姿勢に気づいたらしい。
慌てて拳を下ろす。
「反撃は禁止だと言っただろうが!!」
ガルドの怒号が飛んだ。
「反撃動作に入った時点で、この模範試合は失格だ!」
「……も、申し訳ありません!」
ベリクが深々と頭を下げる。
惜しい!あれほどの腕前なのに!
失敗を知る者同士、励まし合わねばな!
「ベリク!気を落とすな!俺も昨日、冒険者試験に落ちたんだ!」
「……え?」
「お互い、次は頑張ろう!」
なぜかベリクは、さらに深く頭を下げた。
だが、レオナは笑っていなかった。
木剣を下ろし、ベリクの足元を見つめている。
「……今の動き」
「……は、はい?」
「あんた、どこであの剣術を覚えたの?」
ベリクの肩が跳ねた。
「……ど、独学で……」
「……本当に?」
そのときだった。
「素晴らしいィィィッ!!」
突然、場違いな歓声が響いた。
分厚い本を抱えた丸眼鏡の男が、人垣をかき分けて飛び出してくる。
「今の足運び!あの受け流し!そこから一息で懐へ入る踏み込み!!」
男は興奮した様子で、ベリクの足元を指さした。
「相手の斬撃をただ防ぐのではなく、勢いを利用して攻守を逆転させる!」
「……誰よ、あなた?」
レオナが眉をひそめる。
だが、男は聞いていない。
「ああ!まさか実物をこの目で拝めるとは!!」
「……じ、実物……?」
ベリクの顔から血の気が引いた。
男は満面の笑みを浮かべた。
「間違いありません!」
そして、訓練場中に響き渡る声で断言した。
「まぎれもなく、魔王軍剣術ですな!!」




