第2話 元魔王軍総司令官、人生初の人質になる。
「昨日、私に一撃で負けたばかりなのよ?」
「ああ!だからこそ楽しみだ!」
翌朝。俺はレオナとともに、共同訓練場へ向かっていた。
昨日、冒険者試験に落ちた俺が、基礎から鍛え直すための場所だ。
「何がそんなに楽しいのよ」
「お前の攻撃は全部見えていた。避け方も分かっていた。なのに、一歩も動けなかった!」
「……そうね」
「今日はその一歩を動かせるようになりたい!」
「……あんた、本当に変わったわね」
レオナがため息をついた。
五年前は、顔を合わせれば剣を抜いていた相手だ。
それが今では、こうして並んで歩いている。不思議なものだな。
そのときだった。
「泥棒ォォォッ!!」
市場通りから男が飛び出してきた。手には金貨袋。
「誰か!そいつを捕まえてくれ!」
男は人混みを縫って走る。なかなか速い。
「カイ!危ない!」
「む?」
男が俺とレオナを見比べた。
そして、俺に飛びついた。
「動くなッ!!」
襟首を掴まれ、首筋に短剣を突きつけられる。
「こいつの命が惜しかったら道を空けろ!」
……おぉ。
「俺が人質か!」
「何で嬉しそうなんだよ!?」
無理もない。俺も驚いている。
かつて魔王軍総司令官だったころ、誰も俺を人質にしようなどと思わなかった。
だが、今は簡単に捕まってしまう。これが最弱の身体か!
「レオナ!」
「何よ!」
「人質にされるのは初めてだ!」
「喜んでる場合じゃないでしょ!!」
「……その人を離しなさい」
レオナの声が低くなった。
「近づくな!首を掻っ切るぞ!」
「やめなさい。本当に死ぬわよ」
「……お、俺が?」
男が俺を見た。
「お前、そんなに危険な奴なのか?」
「いや、恐ろしく弱いぞ!」
「嘘つけ!あの女、俺が死ぬって……!」
「ああ。レオナは強いからな!」
「……レオナ?」
男の顔から血の気が引いた。
「まさか……勇者レオナ!?」
「分かったなら離しなさい」
「ひっ!?」
震えた短剣が俺の首筋に触れた。
……まずい。今の俺では、この距離から避けられない。少し手元が狂えば死ぬ。
「待ってくれ」
「な、何だ!?」
「右足を半歩引いた方がいい」
「……は?」
「踵が浮いている。よろけたら俺の首が切れるぞ」
「こ、こうか?」
男が反射的に足を引いた。
「ああ!それでいい!」
「……何で俺がお前の指示に従ってるんだよ!?」
「助かったぞ!」
「礼を言うな!!」
……ふむ。人質というのも、なかなか難しい役割だな。
「……カイ」
「何だ?」
「お願いだから、もう喋らないで」
レオナの顔が険しい。
その間にも、騒ぎを聞きつけた町人たちが集まってきた。
「人質だ!」
「誰か助けてやれ!」
「近づくな!短剣を持ってるぞ!」
強盗は俺を盾にして後ずさる。
だが、正面にはレオナ。背後には町人。左右には露店と荷車。
「囲め!」
三人が前へ出た。
箒を持った男。
縄を持った男。
大きな荷籠を抱えた買い物客。
……その位置はまずい。
「縄の人!半歩左へ!」
「えっ、俺か!?」
「そうだ!そのままでは箒の人とぶつかるぞ!」
男が慌てて移動する。
「箒は振り回すな!正面で横に構えろ!」
「こ、こうか!?」
「ああ!荷籠の人は右側へ!そこなら逃げ道を塞げる!」
「わ、分かった!」
見事な包囲網が完成した!
三人の動きが互いを邪魔せず、強盗の逃げ道を塞いでいる。
「……おい」
背後の強盗が囁いた。
「何だ?」
「何で人質のお前が俺を捕まえる指示を出してるんだ!?」
「皆が怪我をしないようにな!」
「俺の逃げ道がなくなったじゃねえか!!」
……仕方あるまい。
「……あの人質、何者だ?」
「あんな状況で指示を出せるのかよ……」
町人たちがざわめいている。
「おい!こいつらをどかせ!」
強盗が俺の襟首を強く引いた。
短剣が再び首筋に触れる。
「落ち着いてくれ。この状況を突破する戦術は俺でも思い付かんぞ!」
「うるせえ!少し黙ってろ!」
「分かった!」
今度こそ黙ることにした。命が惜しいからだ。
今の俺は、短剣が首に食い込めば、それだけで死んでしまう身。
「……レオナ」
「何よ!」
「少し困ったことになった」
「最初からよ!!」
そのときだった。
「お前ら全員、下がれッ!!」
強盗が怒鳴り、短剣を町人たちへ向けた。
刃が俺の首から離れる。
レオナの目が変わった。
……来る!
その瞬間、俺には周囲の動きがゆっくりと映り始めた。
レオナの後ろ足に、青白い魔力が集まる。
……ほう。足に纏わせた魔力を、風へ転換しているな。
蹴り出す瞬間に風を後方へ放ち、踏み込みを加速させる。
あれなら一瞬で間合いを詰められる。
だが、昨日とは違う。
俺に仕掛けたときは、視線と重心をずらす二重のフェイントがあった。
今回は、それがない。
なるほど。駆け引きなど不要というわけか。
しかも、俺が人質になっている。
狙うのは敵を斬ることではない。
武器の無力化……!
「カイ!動かないで!」
レオナが地面を蹴った。
バシュッ!
足元で風が弾ける。
次の瞬間、彼女は俺の横を駆け抜け、短剣を持つ腕の外側へ回り込んでいた。
……速い!
俺を剣の軌道から外しながら、抜刀する。
狙いは相手の短剣――!
キィン!
鋭い金属音が響いた。
剣の平が短剣を斜め上へ弾き上げる。
「なっ!?」
強盗が慌てふためく。
レオナはそのまま腕を引き、相手の重心を崩す。
足を払う動きまで、まるで一続きだ。
「ぐあっ!」
おぉ!見事だ!
風による加速。最短の抜刀。刃先を逸らしてからの関節技。
わずか一呼吸で、相手に反撃の機会すら与えなかった。
しかも、俺には傷一つつけていない。
昨日、俺を打ち負かしたときとは違う剣だ。
あれほどの速さで動きながら、人質を巻き込まず、相手を殺さずに制圧する。
……これも勇者の強さか!
「カイ!怪我はない!?」
「ああ!今の踏み込み、見事だったぞ!」
「技の感想はあと!」
そのとき、周囲から歓声が上がった。
「赤い髪に金色の瞳……あの剣技!勇者レオナ様だ!」
「人質に傷一つつけずに救出するなんて!」
五年経っても、レオナの人気は健在らしい。
レオナは慣れた様子で礼を受け、駆けつけた警備兵に強盗を引き渡した。
「後はお願いします」
「はっ!ありがとうございました!」
そのとき、一人の町人が俺を見た。
「ところで、こちらの黒髪黒目の御方は、勇者様の従者でしょうか?」
「……まあ、そんなところです」
「おぉ!俺は従者になったのか!」
「違うわよ!説明が面倒だっただけ!」
……そうなのか。
「カイ。行くわよ」
「ああ!」
レオナに腕を引かれた、そのとき。
「おい、ちょっといいか」
荷車のそばにいた、日に焼けた大柄な男が声をかけてきた。
「さっき、町の連中に指示を出してたのはあんただよな?」
「ああ!」
「ははっ!人質が救出する側を指揮するとはな!」
男は豪快に笑った。
「だが、あんたがいなきゃ怪我人が出てたかもしれねえ。よく周りが見えてたな」
「誰も怪我をせずに済んでよかった!」
「俺は商隊を預かってる。荷車の誘導や道の安全確認には、そういう目が必要なんだ」
「……俺にもできるのか?」
「ああ。あんたの目は、十分仕事になるぞ」
……おぉ!
「北鉱山方面の運搬補助を商業ギルドで募集してる。興味があれば来てくれ」
「重い荷物は持てなくてもいいのか?」
「誘導役ならな」
「素晴らしい!ぜひ挑戦したい!」
男は笑って荷車へ戻っていった。
俺は自分の両手を見下ろした。
剣さえまともに握れない手だ。
それでも、誰かの役に立てるらしい。
面白い!強かったころには考えたこともなかったな。
───
市場通りを抜けたところで、レオナが足を止めた。
「……カイ。あんた、本当に死ぬところだったのよ」
「ああ!分かっている!」
「……怖くなかったの?」
「怖かったぞ!」
レオナが目を瞬いた。
「……そうなの?」
「ああ!だから強盗の姿勢を直してもらったんだ!」
「……あんたの怖がり方、絶対おかしいわ」
……そうだろうか。
死ぬのは怖い。だが、弱くなったからこそ経験できることもある。
その楽しさまで諦めるつもりはない。
「……それにしても、あんた本当に避けられなかったわね」
「ああ!相手の動きは見えていたんだがな!」
「足だけ動かそうとしたでしょ」
「む?よく分かったな!」
「昨日もそうだったもの。今のあんたは、先に重心を移さないと」
「……なるほど!」
俺はその場で足を開いた。
左足に体重を乗せ、右足を引く。
すっ。
おぉ!動いた!
ほんの半歩。だが、狙ったとおりの半歩だ!
「レオナ!昨日より半歩強くなったぞ!」
「……ただ足を引いただけでしょ」
「ああ!昨日はそれすらできなかったんだ!」
レオナは呆れたように笑った。
「……ほんと、変わらないわね」
「そうか?俺は随分と変わったつもりだが!」
「……はいはい。早く行くわよ」
「ああ!訓練が楽しみだ!」
───
ようやく共同訓練場に到着した。
門の向こうから木剣の打ち合う音と、威勢のいい掛け声が聞こえてくる。
「いい?カイ。まずは基礎訓練からよ」
「もちろんだとも!」
「……それにしても、朝から大変だったわ」
「そうか?俺は随分と勉強になったぞ!」
「……でしょうね」
レオナが疲れた顔で俺を見た。
「まだここでの訓練、一秒も始まってないんだからね!」
「ならば、これからもっと強くなれるな!」
「何でそうなるのよ!!」
俺たちは共同訓練場の門をくぐった。
───
そのころ、訓練場の隅で、一人の大柄な魔族が木剣を握っていた。
ベリク。
旧魔王軍第三遊撃隊の元精鋭である。
昨夜、ヴォルグから密命を受け、初心者冒険者として潜入していた。
任務は、総司令官閣下の様子を探ること。
ただし、接触禁止。
旧軍の剣技禁止。
元勇者に正体を悟られることも禁止。
……問題はない。
目立たず、静かに観察すればいい。
ベリクは初心者らしく木剣を構えた。
……つもりだった。
足運びが、完全に旧第三遊撃隊のものになっている。
……いかん。十五年間の習慣は、そう簡単には抜けないらしい。
まあ、よい。誰とも戦わなければ済む話だ。
ベリクは集団の最後尾へ移動した。
……よし。ここなら目立つまい。
「……なあ、あの魔族、でかくないか?」
「ああ。模擬戦の相手にちょうどよさそうだな」
周囲より頭一つ大きい巨体は、最後尾でも誰より目立っていた。
だが、ベリクは満足していた。
……完璧だ。
そのとき。
「おい、そこの大きい魔族!」
試験官ガルドの声が響いた。
ベリクは動かなかった。
……私のことではあるまい。
「お前だ!前へ出ろ!」
ゆっくり顔を上げる。
ガルドがまっすぐこちらを指差していた。
その向こうには、燃えるような紅髪の女。金色の瞳。
元勇者レオナ。
……私は、まだ何もしていないのだが。




