嫌いになったはずの人
夜の自販機の前。
缶コーヒーを落とす音が、やけに大きく響いた。
制服の男は缶を拾い上げ、プルタブを開ける。
ベンチに、女が座っていた。
少し古い形の服。
夜なのに、影が薄い。
「寒くないのか」
女は少し笑った。
「寒いとか、もうよく分かんないの」
男は缶コーヒーを一口飲む。
「……いつからだ」
「三ヶ月くらい前かな」
女はブランコを見る。
「離婚したの」
少し間が空く。
「やっと、自由になったと思った」
誰に言うでもなく、続ける。
「この人と結婚しなきゃよかったって、ずっと思ってたから」
「一人になれて、やっと楽になれるって思ったのに」
女は自分の手を見る。
「離婚届出した日の帰り道で、車にぶつかってさ」
「なんか、笑っちゃった」
男は何も言わない。
「私の人生、何だったんだろって」
「我慢ばっかりして、やっと終わったと思った日に、終わっちゃった」
沈黙。
夜の公園で、風だけが動いている。
男は缶を軽く振る。
「旦那、再婚してないぞ」
女の動きが止まる。
「……え?」
「一人で住んでる」
「……何で?」
「知らねぇ」
男は公園の暗い方を見る。
「でも、毎月一回、墓来てる」
沈黙。
「花、供えてる」
女は何も言わない。
少しして、小さく笑った。
「……バカじゃないの」
笑っているのに、声が少し震えていた。
「私、あんなに嫌いだったのに」
また沈黙。
ブランコが、少しだけ揺れる。
「最後まで、ちゃんと嫌いになれなかったんだな」
男が言う。
女は下を向いたまま、少しだけ笑った。
「……そっか」
その声が、少しずつ遠くなる。
女の輪郭が、夜に溶けていく。
「ありがと」
声だけ残る。
制服の男は、空になった缶をゴミ箱に入れた。
それから、誰もいなくなったベンチを見る。
「嫌いでも、終わりじゃねぇんだよ」
夜は、何もなかったみたいに静かだった。




