表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嫌われ義姉の幸福な誤算 〜冷酷な義弟がやたらと構って囲い込もうとしてきます〜  作者: 折若ちい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/12

第7話:小さな開花と、隠せない歓喜

ルシアンによる、奇妙で、そして心臓に悪い「家庭教師」が始まってから、さらに一週間が経過していた。


最初は、私を無能だと嘲笑い、自立する気力を奪うための意地悪な説教だと思っていた。


けれど、毎日午後になると、彼はどんなに忙しくても必ず私の部屋、あるいは裏手の温室に正確な時間で現れる。


お見合いの一件以来、私は彼と目を合わせるのを避けていたけれど、こうして狭い調剤台を挟んで並んでいると、嫌でもお互いの距離が近くなってしまう。


「……違います、フィオリーナ。何度言えば理解するのですか」


私のすぐ隣で、ルシアンが私の手元をじっと見つめながら、低く落ち着いた声で指示を出す。


彼が覗き込んできた拍子に、夜の闇を溶かしたような黒髪が私の肩を微かにかすめた。至近距離から漂う冷涼な冬の空気のような香りに、私はどうしても身を強張らせてしまう。


「トパーズ芋の成分を抽出する際は、魔力を『流す』のではなく、繊維の奥へ『染み込ませる』ように意識するのです。」


ルシアンはなんて事のないそぶりで、魔力を染み込ませていく。


「貴方の魔力は、元々波が穏やかで繊細な性質を持っている。力任せに無理やり魔力を押し込もうとしては、素材の細胞が潰れて不純物が混ざるだけです。だから濁るのですよ」


「そうは言われても……感覚がよく分からないわ」


私はすり鉢の中の、薄茶色に濁ってしまった薬草の液体を見つめて、小さく唇を尖らせた。


これでも、古い教科書に書かれている手順通り、魔力を一定に注ぎ込んでいるつもりなのだ。

けれど、どうしても最後の仕上げの段階で、魔力が反発して液体が濁ってしまう。


やはり、私には魔導薬学の才能なんてないのだろうか。ルシアンに「無能」だと証明されるためだけに、こうして晒し者にされているような気がして、胸の奥がチクリと痛んだ。


「……溜め息を吐かない。もう一度です」


ルシアンは呆れたように言うと、私の背後から回り込むようにして、そっと手を伸ばしてきた。


彼の陶器のように白い、しかし男の子らしい節立った長い指先が、私の右手に重なる。ひやりとした心地よい体温が伝わってきて、私の心臓がドクリと跳ね上がった。


「ル、ルシアン……?」


「動かないでください。……魔力の流れを教えます」


耳元で囁かれた低音に、耳の裏が熱くなる。


ルシアンは私の手を包み込んだまま、そっとすり鉢の器へと意識を向けさせた。彼の体内から、冷たくも極めて強大で、恐ろしいほどに洗練された魔力が、私の体内へと優しく流れ込んでくる。


その濁りのない魔力の波導に導かれるようにして、私の眠っていた微弱な魔力が、呼び覚まされるように動き出した。


「いいですか、ここです。素材の声を聴くように、そっと染み込ませる……」


彼の言葉のタイミングに合わせて、私は自分の体内にある細い魔力の川から、そっと一滴の雫を落とすように、器の中の薬草へと意識を傾けた。


すると、どうしたことだろう。


今まで私がどれだけ試しても濁った茶色にしか仕上がらなかった抽出液が、一瞬にして、一点の曇りもない美しい琥珀色へと変化したのだ。

温室の中に、これまでに嗅いだこともないほど純度の高い、薬草の清涼な香りがふわりと立ち込める。


「できた……! 見て、ルシアン! 濁りが完全に消えたわ!」


私は嬉しさのあまり、彼の隣にいることの恐怖も、ギクシャクしていた関係であることも完全に忘れ、弾んだ声でルシアンの顔を見上げた。


至近距離で、私たちの視線が真っ直ぐに交錯する。


ルシアンは、完璧な琥珀色に染まった液体と、私の満面の笑みを交互に見つめ、一瞬だけ――本当に一瞬だけ、その美しいアイスブルーの瞳を限界まで見開いた。


その直後、彼の喉が、ごくりと大きく鳴る。


いつもなら「これくらいできて当然です」と冷たく切り捨てるはずの彼が、なぜか口元を片手で覆い、ガタッと激しく椅子を鳴らして立ち上がった。


私から二歩、三歩と大きく距離を置き、フイと壁の方を向いてしまう。


「ル、ルシアン……? やっぱり、何かやり方が間違っていたかしら」


急に黙り込んでしまった彼の背中に、私はたちまち不安を覚えた。やっぱり、無能な姉の拙い成功など、彼にとっては目障りなだけだったのだろうか。


せっかく上手くいったと思ったのに、また彼を不快にさせてしまったのかもしれない。私はシュンとして、手元の琥珀色の瓶を見つめた。


「……いいえ」


長い、心臓が痛くなるほどの沈黙の後、ルシアンから返ってきたのは、驚くほど掠れた、しかし酷く押し殺された声だった。


「……完璧です。現代のAランク調剤師であっても、初見でこれほどの純度を持った抽出を行える者は、王都に一握りしかいません。……姉上には、僕の想像を遥かに超える、魔力制御の『天才的な才能』があります」


「え……?」


天才? 私が?


ルシアンの口から出た想定外の絶賛に、私は呆然としてしまった。


だが、私の視界からは見えない位置で、ルシアンは今、凄まじい歓喜と独占欲の嵐に身を焦がしていた。


(ああ、神様……! フィオリーナ、貴方はどうしてこれほどまでに愛らしく、そして素晴らしいんだ……!)


ルシアンは、フィオリーナに見えないよう、歓喜で歪みそうになる顔を片手で必死に押さえていた。彼の白い耳の尖端は、今や真っ赤に染まっている。


自分の教えを素直に聞き入れ、その通りに見事な才能を開花させてみせた最愛の姉。


その誇らしさと、彼女が自分だけに向けたあの眩しい、太陽のような笑顔の破壊力に、ルシアンの心臓は破裂しそうなほどの爆音を立てていた。


本当なら、今すぐにでも彼女をその場で強く抱きしめ、その美しい亜麻色の髪に何度も口づけを落とし、「よくできました、僕の可愛いフィオリーナ」と甘く囁いてあげたい。


けれど、そんなことをすれば、彼女は自分の異様な熱情に恐怖し、今度こそ本当に逃げ出してしまうだろう。彼は超人的な精神力で、溢れ出そうになる狂愛を心の檻の中に押し込めた。


と同時に、彼の胸の奥から、どろりとした黒い独占欲が鎌首をもたげる。


(これほどの才能があるなら、もう外のどんな有能な薬問屋の男たちも、姉上を『無能』と蔑むことなどできない。……いや、違う。そんな世界に、姉上のこの素晴らしい才能を渡してなるものか。この美しい琥珀色の光も、僕に向けられたあの極上の笑顔も、すべて僕だけのものだ。ブラント家の奥深く、僕の作った安全な檻の中で、一生僕のためだけにその綺麗な手で薬を作っていればいい……!)


ルシアンの脳内では、姉の才能への純粋な賞賛と、それを誰にも見せたくないというヤンデレ包囲網が、同時に最高潮へと達していた。


「……今日の授業は、ここまでにします」


ルシアンは深呼吸を繰り返し、完全に理性をコントロールし終えると、いつもの冷徹な顔に戻って私を振り返った。


「才能があるからと、調子に乗らないことです。貴方のその技術は、ブラント家の徹底した管理と、僕の指導があるからこそ生きるもの。」


「外の有象無象の薬屋などに知られれば、貴方はその技術だけを搾取され、一生薄暗い地下室で薬を作らされる奴隷にされるのがオチです。分かったら、大人しく僕の言う通りにしなさい」


「……ええ、分かったわ」


私はルシアンの冷ややかな言葉を聞きながら、静かに俯いた。


(ルシアンは、私が才能を開花させたのが怖いのね……。私が優秀になって、この家を飛び出していくかもしれないから、わざと『外の世界は恐ろしい奴隷の世界だ』なんて極端な嘘をついて、私をブラント家に縛り付けようとしているんだわ)


やはり彼は、私をこの屋敷の中で、自分の監視下に置いて支配し続けたいのだ。


彼の「大嫌いな姉を絶対に逃がさない」という強固な意志を感じ、私は背筋に冷たいものを覚えた。


「失礼します」


ルシアンはそれだけを言い残し、足早に温室を出ていった。


温室の重厚な扉が閉まった瞬間、廊下に控えていた家令のハンスが、音もなくルシアンの背後に付き従った。


「ルシアン様、お嬢様のご様子は」


ハンスの問いかけに、ルシアンは先ほどまでの冷徹な表情を完全に消し去り、狂気的なまでの愉悦と歪んだ愛に満ちた、恐ろしくも美しい笑みを浮かべた。


「ハンス。姉上は天才だ。僕が少し手ほどきをしただけで、完璧なAランクの抽出を行ってみせた。……やはり、僕の目に狂いはなかった。あの人は、僕の隣にいるべき、世界で最も気高く美しい人だ」


「それは……おめでとうございます。しかし、お嬢様がそれほどの技術をお持ちとなると、外の世界へ自立される可能性がますます高まるのでは?」


ハンスの言葉に、ルシアンのアイスブルーの瞳が、一瞬にして極夜の海のように凍りついた。


「そんなことは、絶対にさせない。ハンス、今すぐ王都にあるすべての薬問屋、調剤師ギルド、それから市井の診療所に至るまで、我が家の情報網を使って徹底的に圧力をかけろ」


「圧力、と申しますと?」


「『ブラント伯爵家の令嬢を一人でも雇う、あるいは技術提供を受けた組織は、明日を限りに王都での商売を一切禁止する』と、裏から脅しをかけろ。」


「それから、姉上が温室で注文しようとする薬草のルートもすべて僕が買い占める。姉上には、この僕が用意した極上の素材だけを使い、この屋敷の中だけで調剤を楽しんでもらう」


ルシアンは完璧に仕組まれた「世界からの隔離計画」を口にしながら、うっとりとした表情で自分の手のひらを見つめた。そこにはまだ、先ほど触れたフィオリーナの、柔らかくて温かい手の感触が残っている。


「姉上は外の世界が恐ろしい奴隷の世界だと怯え、僕の言う通りに屋敷にいてくれればそれでいい……。ああ、早く外堀をすべて埋めて、あの人を僕の作った安全な檻の中に閉じ込めてしまいたいな……」


ハンスは、深く深く頭を下げながら、心の中で胃の痛みに耐えていた。


才能を発揮してしまったがために、ヤンデレ義弟の「世界規模の包囲網」を完全に起動させてしまった健気な姉。


二人の圧倒的なすれ違いは、ルシアンの歪んだ大歓喜とともに、ますます引き返せないところへと進み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ