第13話:敏腕女傑、覚醒したバカ甥の斜め上の暴走に再度頭を抱える
私、マリアンヌ・フォン・ヴィルロワは、王都の一等地にあるヴィルロワ商会本部の執務室で、机の上に山積みにされた「ある報告書」を前に、本日何度目になるか分からない深い溜め息を吐いていた。
こめかみの辺りがズキズキと痛む。マッサージをさせても一向に引かないこの頭痛の原因は、言わずもがな、我が亡き姉の連れ子であり、ブラント伯爵家を若くして牛耳るバカ甥――ルシアン・フォン・ブラントである。
「……ねえ、ハンス。これは一体どういうことかしら。私の聞き間違いでなければ、ブラント伯爵家が王都の最高級建築ギルドを丸ごと一つ、三ヶ月間も独占契約で買い叩いたと書いてあるのだけれど?」
私が冷ややかな声を投げかけると、私の前に直立不動で立っていたブラント家の家令ハンスは、まるで十歳は老け込んだかのような、生気のない顔で深く一礼した。
「マリアンヌ様、お聞きください……。私の胃は、もうすでに限界を迎えております。ルシアン様は、先日の王都調剤展示会から戻られて以降、完全に『別の方角』へと覚醒してしまわれました。あの御方は、マリアンヌ様のお言葉を……恐ろしいほど都合よく、独自の歪んだ解釈で受け止められたのです」
「……聞くのも恐ろしいけれど、一応説明しなさい。一応ね」
私が紅茶を一口すすって覚悟を決めると、ハンスは震える手で一枚の設計図を広げた。
「ルシアン様は『これからは姉上を暗い部屋に閉じ込めるのではない。姉上が調剤を愛し、その才能を世界に証明したいと言うのなら、僕はそのすべてを全肯定し、世界で最も安全で、世界で最も贅沢な、至高の環境を用意するパトロンになる』と宣言されました。……そして、ブラント伯爵邸の広大な敷地のど真ん中に、フィオリーナお嬢様専用の『大調剤魔導神殿(仮称)』の建設を開始されたのです」
「ぶっ……!!」
私は思わず、紅茶を机の上に吹き出しそうになった。
大調剤魔導神殿? なに、その仰々しい名前は。
「建築資材には、魔力を極限まで安定させる『純白の白大理石』を隣国から総重量百トン単位で密輸。床には、お嬢様が万が一にも調剤器具を落として怪我をされないよう、弾力性と魔力吸収性に優れた『最高級の魔獣の毛皮』を敷き詰める予定です。さらに、調剤室の四方には、公爵家直系の最高位防御結界石が二十四個常時配置され、たとえ隣国から禁忌級の攻撃魔法を撃ち込まれようとも、お嬢様の調剤中の前髪一筋すら揺らさない完全無欠の要塞となっております」
「……。……ちょっと待ちなさい。彼女はただ、ちょっとした自分の工房を持って、そこで市井の調剤師として慎ましく自立したいって言っていたのよ? なんで国家防衛レベルの要塞が建ち上がっているのよ」
「ルシアン様曰く、『外の世界の不潔な男どもの視線や、悪徳商人の魔の手から姉上を完璧に守りつつ、その才能を遺憾なく発揮していただくための、これ以上ない最低限の配慮』だそうでございます。ちなみに、総工費はブラント伯爵家の年間予算の三倍に達しておりますが、ルシアン様は『足りない分は、僕が裏の闇オークションで呪物や古代遺物を売却して補填するから問題ない』と爽やかに微笑んでいらっしゃいました」
「問題大有りよ、そのバカ甥……!!」
私は扇子を机に叩きつけ、頭を抱えた。
確かに私は言ったわよ? 「歪んだ情熱を、もっと正しい方向に使いなさい」「彼女が笑顔になれるように支えなさい」って。
けれど、あのバカ甥の頭の構造はどうなっているのかしら。抑圧するヤンデレが、全肯定して甘やかし、過剰な富と権力で逃げ道を完全に塞ぐ超絶過保護ヤンデレに進化してしまっただけじゃない。
やっていることの狂気の濃度は、むしろ前より上がっているわよ。
「フィオリーナはどうしているの?」
「お嬢様は……毎朝、厨房の裏に『たまたま落ちていた』という名目で置かれている、国宝級の超レア薬草の山(※ルシアン様が深夜に隠密組織を動かして他国の聖域から強奪してきたもの)を見ては、『今日も叔母様が、私を応援するためにこっそり差し入れてくれたんだわ……! なんてお優しい方なのかしら!』と、涙ぐんでマリアンヌ様のいらっしゃる方角へ向かって毎日祈りを捧げておられます」
「やめて!! 私を勝手に聖人に仕立て上げないで!! ルシアン、あんた自分の名前でプレゼントしなさいよ!!」
「ルシアン様曰く、『今の僕が直接このような高価なものを贈っては、また姉上を怯えさせてしまう。匿名で贈り、姉上が嬉しそうにその薬草を愛おしそうに撫でている姿を、温室の影から見守るだけで、僕は満足だ』とのことで……」
「気持ち悪いわよ、このバカ甥!!」
本当に、どうして我が公爵家の血筋は、こうも恋愛において極端でストーカー気質な男ばかり生まれるのかしら。私の夫であるヴィルロワ商会の総帥(彼も大概私への愛が重いけれど、実害はないわ)を見習ってほしいものだわ。
「それで、フィオリーナはその『魔導神殿』の計画を知っているの?」
「いえ、ルシアン様が『サプライズにする』と仰って、お嬢様の温室からは死角になる位置に、カモフラージュの巨大な幻影魔法を張って突貫工事を進めております。お嬢様は『なんだか最近、屋敷の裏のほうがやけに地響きがするな……。あ、ルシアンが私のために、可愛い小鳥の巣箱でも作ってくれているのかしら』と、大変可愛らしく勘違いされております」
「巣箱の規模じゃないでしょうが……。地響きがするレベルの巣箱って何よ……」
私は深いため息を吐き、椅子から立ち上がった。
このままでは、あの健気でちょっと(かなり)天然な可愛いフィオリーナが、ルシアンの仕掛けた「全肯定型超高級監禁計画」に気づいたとき、ショックで寝込んでしまうかもしれない。
それに、ヴィルロワ商会の最高大株主であるブラント家が、バカ甥の恋煩いのせいで破産なんてことになったら、私のビジネス的にも大打撃だ。
「ハンス、行くわよ。ブラント伯爵邸へ」
「はっ……! マリアンヌ様、どうか、どうかルシアン様に正気を取り戻させてください……!」
ブラント伯爵邸に到着した私は、ハンスの案内で、現在絶賛建設中だという敷地の裏手へと向かった。
ルシアンが張ったという最高位の幻影魔法を、私の魔力で無理やり退けて一歩踏み入ると――そこには、王都の王宮をも凌ぐのではないかというほど、神々しく、そして禍々しいまでの威容を誇る白い神殿が、ほぼ完成形としてそびえ立っていた。
「……絶句だわ。本当に建ててやがるわ、あのバカ」
思わず口調が素に戻るほどの衝撃を受けていると、建物の正面入り口から、白い上着を優雅に羽織ったルシアンが歩み出てきた。
展示会前までの、あの冷酷で張り詰めた「氷の薔薇」の雰囲気はどこへやら、今の彼の表情は、まるで初恋が実ったばかりの思春期の少年のように、どこか瑞々しく、そして恐ろしいほどの達成感に満ち満ちていた。
「おや、叔母上。わざわざこんな建築現場まで、どうされたのですか?」
「どうされたのですか、じゃないわよルシアン!! あんた、私が『正しい方向に情熱を使え』って言ったのを、どう解釈したらこんな国家転覆レベルの要塞を建てることになるのよ!?」
私が扇子で彼の胸を小突くと、ルシアンはフッと、それはそれは極上な、社交界の令嬢が見たら一瞬で失神するような美しい微笑を浮かべた。
「叔母上、誤解しないでいただきたい。これは要塞ではなく、姉上のための『工房』です。姉上は、僕の作った檻の中では息が詰まると仰った。ならば、世界で最も広く、最も美しく、最も自由な檻……いえ、パラダイスをここに作ればいいと思い至ったのです。ここなら、姉上は誰に気兼ねすることもなく、好きなだけ最高の素材で調剤ができます。もちろん、彼女が作った薬はすべて我が家が買い取りますが、姉上が『どうしても世界に発表したい』と仰るなら、この神殿の前に特設ブースを作り、僕が選別した『姉上に不快な視線を向けない清潔な一般客』のみを入場させて、見せてあげてもいい」
「それを世間では『隔離』って言うのよ、このヤンデレ甥!!」
ルシアンは、私の怒声すらも心地よい風のように受け流し、うっとりとした表情で完成間近の神殿を見上げた。
「見てください、叔母上。あの調剤室の窓からは、姉上の大好きなトパーズ芋の畑が一望できるように設計してあります。姉上が調剤に疲れ、ふと窓の外を見たとき、僕が満面の笑みでトパーズ芋を収穫している姿がいつでも視界に入るよう、僕の常駐位置も計算されているのです。……ああ、姉上が僕の全肯定に包まれて、困惑しながらもあーんと口を開けて肉を食べてくれたあの瞬間から、僕は気づいたのです。冷酷に突き放すよりも、甘やかし、全肯定し、彼女の周囲の環境をすべて僕の色で塗り潰す方が、どれほど効率的に彼女を僕に依存させられるかということに……!」
「依存させる前提じゃないのよ!!」
駄目だわ。このバカ甥、前までは「愛してはいけない、触れてはいけない」と自分を抑圧していた反動で、一回ブレーキが壊れたら、今度は「愛を満載した暴走機関車」になって、フィオリーナに向かって超特急で突進しているわ。
「ルシアン、よく聞きなさい。フィオリーナが求めているのは、あんたからの過剰な貢ぎ物でも、この大層な神殿でもないわ。彼女はね、あんたに『一人の人間として、姉として、認められたい』のよ。あんたがそんな風に、神様みたいに彼女を祭り上げて貢ぎ物を続けたら、彼女はいつまで経っても『自分は義弟の重荷になっている』っていう勘違いから抜け出せないわよ?」
私の言葉に、ルシアンはピクリと動きを止めた。
そのアイスブルーの瞳に、ほんの少しだけ、焦りのような色が浮かぶ。
「……重荷? 僕がこれほど姉上を全肯定し、愛しているのに、まだ姉上はそんな勘違いを……?」
「当たり前でしょうが。あんた、展示会の後、彼女にまともに『好きだ』とか『愛しているから側にいてくれ』とか、言葉で伝えたの? 『君の手を労るために肉を運ぶ』とか、わけのわからない全肯定ばかりして、肝心な気持ちを伝えてないんじゃないの?」
「それは……。急にそんな、男としての好意を正面から伝えたら、姉上は僕を『血の繋がらない不気味な男』として拒絶し、今度こそこの家から逃げ出してしまうかもしれない。だから、まずは外堀を……完璧なパトロンとして、彼女が僕なしでは生きられないように……」
「だからそれがストーカーの思考だって言ってるのよ!!」
私はもう、呆れるのを通り越して笑えてきた。
このルシアン・フォン・ブラントという男は、政治や領地経営においては、大人の貴族たちを何人もハメ殺すほどの冷徹な天才だというのに、ことフィオリーナの「恋愛」に関しては、ド素人以下の、ただの臆病なヘタレなのだ。
嫌われるのが怖くて、正面からぶつかることができず、結果として「全肯定」という名の、超高級な包囲網を作ることに逃げている。
「ハァ……。いいわ、ルシアン。あんたがそこまでするなら、私に一つ、良い考えがあるわ」
「……良い考え、ですか?」
ルシアンが怪訝そうに私を見る。
私は扇子で口元を隠し、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。我がヴィルロワ商会を大陸一に押し上げた、稀代の女傑の脳内に、完璧な作戦が閃いたのだ。
「フィオリーナの勘違いを解き、かつ、あんたのその歪んだ全肯定暴走に少しは歯止めをかける方法よ。近々、王都の王立アカデミーで、若き才能を集めた『次世代魔導薬学コンペティション』が開催されるわ。そこに、フィオリーナをブラント伯爵家の正統な代表として、あんたと連名で出場させなさい」
「なっ……! 姉上を、あのような有象無象が集まる危険なコンペに!? 却下です! 姉上の素晴らしい才能を、他の男たちに見せつけるなど――」
「拒否権はないわよ、バカ甥。フィオリーナはね、『ルシアンの役に立ちたい』の。あんたと並んで、伯爵家の代表として世界に認められれば、彼女のコンプレックスは一発で吹き飛ぶわ。そして、あんたがどれほど彼女の才能を必要としているか、嫌でも伝わるはずよ。……それとも何? あんたは、自分の独占欲のために、彼女が本当に望む『義弟との対等な絆』を拒むっていうの?」
私の決定打となる言葉に、ルシアンはぐうの音も出ない様子で、悔しそうに唇を噛み締めた。
彼の脳内で、「独占欲」と「フィオリーナに認められたい欲」が激しくせめぎ合っている。
「……分かりました。そのコンペ、ブラント伯爵家の名にかけて、僕と姉上で圧勝してみせます。……ただし、コンペの会場の全座席の半分は、僕の暗殺者で埋めますが」
「はいはい、座席を埋めるくらいなら許可してあげるわ」
私はようやく、このバカ甥の暴走を「コンペでの勝利」という、一応は建設的な方向へと誘導することに成功した。
あーあ、本当に疲れるわ。
けれど、あの可愛いフィオリーナが、ルシアンと並んで舞台に立ち、自立への本当の一歩を踏み出す姿を見るのは、叔母としても、そして一人の商人としても、今から楽しみで仕方がなかった。
「ハンス、あとは任せたわよ。コンペの手続きを急ぎなさい」
「はっ……! マリアンヌ様、本当に、本当にありがとうございました……!」
涙を流して感謝するハンスを後に、私は優雅に伯爵邸を後にした。
さあ、フィオリーナ。あんたの激重ヤンデレ弟を、今度は公の舞台で、思いっきりのたうち回らせてあげることにしましょう。




