第12話:極上ヤンデレ弟の全肯定が始まりました
「ル、ルシアン……!? ちょっと、本当にどうしちゃったの!? 頭でも打ったの、それとも悪い薬でも飲んだの……!?」
王都調剤展示会の片付けが終わったブースの裏で、私はパニックに陥っていた。
なにしろ、つい数日前まで私を「無能な姉」と呼び、冷たい視線で射すくめていたはずの義弟ルシアンが、私の目の前で片膝をつき、まるで聖画の聖女を拝むような敬虔な目で私を見上げているのだ。
指先に落とされた彼の唇の熱が、まだ肌に残っていて頭がどうにかなりそうだった。
「悪い薬など飲んでいません。むしろ、今までの僕の目が曇っていたのです」
ルシアンは優雅な動作で立ち上がると、私の手から調剤道具の入った重い木箱を「当然のように」奪い取った。そして、信じられないほど甘く、とろけるような美しい微笑みを私に向ける。
「フィオリーナ。貴方は自分の才能を過小評価しすぎています。貴方が作ったあの琥珀色の回復薬は、王都の最高ギルドの長ですら数年は到達できない奇跡の領域の代物だ。そんな貴方を『無能』などと呼び、この狭い屋敷に縛り付けようとしていた僕は、本当に愚かで、視野の狭い子供でした」
「え、ええ……?」
「ですから、僕は悔い改めました。これからは、ブラント伯爵家の総力を挙げ、そして僕個人のすべてを懸けて、貴方のその輝かしい才能と、貴方という存在そのものを全力でプロデュースし、お守りすることをお誓いします」
ルシアンのアイスブルーの瞳が、きらきらと、しかし同時に奥のほうが底なし沼のようにドロリと深く濁った光を放った。
あまりの圧に私は一歩後退したが、ルシアンは即座にしなやかな足取りで一歩詰め寄り、私の退路をふさぐようにして壁に手を突いた。
「な、何よ、そのプロデュースって……。私はただ、自分の力で立って、あなたの邪魔にならないようにこの家を出ていきたいだけで……」
「家を出る? 何をおっしゃるのですか、フィオリーナ」
ルシアンはふっと笑った。その微笑みは、冷徹な仮面を被っていた頃よりも、何十倍も凶悪で、抗えない魅力を放っている。
「これほど優秀な調剤師を、我がブラント伯爵家が手放すはずがないでしょう。外の世界には、貴方の技術を盗もうとする不埒な輩や、その美貌に目を付ける不潔な男たちが溢れています。ですから、貴方の工房は我が家の敷地内に、王城と同程度の警備を施して新設します。素材の仕入れ、販路の拡大、生活のすべての雑事は、この僕が完璧に管理します。貴方はただ、僕の腕の中で、好きなだけ調剤に没頭していればいいのです」
(……あれ? なんだか言っていることの方向性が、前より不穏になっていないかしら!?)
私が冷や汗を流していると、背後から「おーほっほっほ!」と、これまた華やかで凄まじい笑い声が聞こえてきた。マリアンヌ叔母様である。
「いいじゃない、フィオリーナ! このバカ甥がようやく自分の非を認めて、あんたのパトロンになると言っているのよ。ヴィルロワ商会としても、ブラント家が全面バックアップする貴方の薬を独占販売できるなら、これ以上のビジネスチャンスはないわ!」
「叔母様まで……!」
「さあ、決まりね! 今日は展示会の大成功のお祝いよ。王都の一等地にある我が商会直営の最高級レストランで、盛大なディナーにしましょう!」
こうして私は、マリアンヌ叔母様に連れられ、王都の超一流レストランのVIP個室へとやってきた。
テーブルの上には、見たこともないような豪華絢爛な宮廷料理が並んでいる。展示会での緊張が解けたこともあって、私はお腹がペコペコだった。
「わあ、美味しそう……! 早速いただくわね」
私がフォークを手に取ろうとした、その瞬間だった。
隣に座っていたルシアンが、すっと私のフォークを奪い取った。
「ルシアン……?」
「フィオリーナ。貴方は今日、慣れない展示会で魔力を酷使し、その華奢な指先まで疲弊しているはずです。そんな貴方に、自力で重い銀のフォークを持たせるなど、僕の自尊心が許しません」
ルシアンは真顔でそう言うと、美しくカットされた特製の最高級ステーキを一口大に切り分け、フォークで突き刺した。そして、それを私の口元へと優しく差し出す。
「さあ、あーんです、フィオリーナ」
「は、はあ!? ちょっと、何言ってるのよ! 私、手くらい動かせるわよ!」
「駄目です。これは調剤師としての貴方の手を労るための、最低限のケアです。さあ、遠慮せずに。僕が心を込めて、貴方の口へ運びますから」
ルシアンの顔は、天使のように美しい微笑みに満ちている。しかし、その瞳の奥にある「食べてくれないと、この場で僕の魔力が暴走してレストランごと消し飛びます」という無言の脅迫を、私は敏感に察知してしまった。
背後では、ハンスがハンカチで額の汗を拭いながら、必死に「お嬢様、どうか食べてあげてください、ルシアン様の理性の堤防が崩壊します」とジェスチャーで訴えかけている。
「……ん、んぐ」
恥ずかしさで顔が爆発しそうになりながらも、私はルシアンの手からお肉を口に含んだ。
信じられないほど柔らかくて美味しいお肉だったけれど、恥ずかしさのあまり味が半分もわからない。
「……っ!」
お肉を飲み込んだ瞬間、ルシアンが突如として胸を押さえ、椅子の背もたれに激しくのけぞった。その顔は真っ赤に染まり、アイスブルーの瞳が歓喜で潤んでいる。
「ルシアン!? 大丈夫!?」
「あ、ああ……なんという幸福だ……。僕の切り分けた肉が、姉上の、フィオリーナの聖なる咀嚼によって消費された……。この肉になりたい、いや、僕が姉上の血肉になりたい……。ハンス、今日のこの記念すべき日をブラント家の公式記録に残せ。画家に命じて、今のフィオリーナの『もぐもぐとする愛らしい姿』を、等身大の油絵で百枚描かせるんだ……!」
「ルシアン様、理性を、理性をしっかりお持ちください! あと油絵百枚は予算が、いえ、お嬢様の精神的負担が大きすぎます!」
ハンスが必死にルシアンをなだめる。
向かい側の席では、マリアンヌ叔母様がワイングラスを傾けながら、心底呆れ果てた顔でため息をついていた。
「ルシアン。あんたねぇ、私が『正しい方向に情熱を使いなさい』と言ったのは、そういう意味じゃないわよ。方向性は変わったけれど、結局のところ、やってる変態の濃度が上がってるじゃないの」
「叔母上、変態ではありません。これは『至高の調剤師に対する敬意』です。姉上を世界一の幸せ者にしてみせる。そのためなら、僕はブラント家の全財産をドブに捨てても構わない」
ルシアンは堂々と言い放った。
以前のような、私を部屋に軟禁しようとする「日陰のヤンデレ」から、私のすべてを肯定し、甘やかし、過剰な権力と財力で周囲を囲い込んで合法的に逃げ道をなくす「日向の超絶過保護ヤンデレ」へと、彼は完全にシフトしてしまったのだ。
(私の自立計画……。お金は稼げたはずなのに、なぜか前よりもルシアンの包囲網が強固になって、この家から一歩も出られない気がするのはどうしてかしら……!?)
デザートの高級メロンまでルシアンにスプーンで食べさせられながら、私は自分の明るいはずの未来に、猛烈な冷や汗が止まらないのだった。




