第11話:展示会の奇跡と、氷の微笑
王都調剤展示会の会場は、時間が経つにつれてさらに熱気を帯びていた。
華やかなシャンデリアの光が降り注ぐ中、多くの人々が行き交い、大陸中から集まった珍しい魔導薬や調剤の成果に目を光らせている。
そんな喧騒のただ中で、私の小さなブースの前には、いつの間にか異様なほどの人だかりができていた。
「おい、見たかあの琥珀色の輝きを……。濁りが一切ない。魔力の残留波形が、信じられないほど均一に安定しているぞ!」
「これを作ったのは、あの奥にいる亜麻色の髪の令嬢か? 信じられん、王都のどのギルドにも属していない、無名の調剤師だというのに!」
並べられた私の『最上級魔力回復薬』を見た専門家や大商人のスカウトたちが、驚愕の声をあげながら次々と瓶を手に取っていく。
私は、自分が作った薬がこれほど多くの人に認められるなんて夢にも思っていなくて、緊張と喜びで胸がいっぱいだった。
「……あの、こちらの薬は、幻の霊草『極光の涙』の繊維を、魔力制御によって極限まで均一にほぐして抽出したものです。魔法を使う方の体に負担をかけず、瞬時に魔力を底上げすることができます」
一生懸命に説明すると、目の前にいた初老の高名な魔導師が、感極まったように何度も頷いた。
「素晴らしい! 素晴らしい技術だ! お嬢さん、ぜひ我が魔導研究所の専属調剤師として、国賓扱いで迎え入れたいのだが、どうかね!?」
「えっ、こ、国賓……!?」
予想もしなかった破格の提案に、私は目を丸くした。
もしそのお話を受ければ、私は完璧に自立できる。
ブラント伯爵家に居座って、義弟のルシアンに「目障りな無能」として疎まれる日々からも、完全に卒業できるのだ。
「私のような者でよろしければ、ぜひ前向きに――」
そう言いかけた、まさにその瞬間だった。
ホールの二階、貴賓席の影から、空間そのものが凍りつくかのような、凄まじい「殺気」と「魔圧」が吹き荒れた。
一般のお客さんたちには感じられない微細なものだったが、魔力に敏感な私や、目の前の老魔導師は、背筋に冷たい刃を突きつけられたような恐怖に襲われ、思わず言葉を失ってガタガタと震え出した。
(な、何かしら、この凍りつくような感覚……。まるで、ルシアンが激怒したときのような……)
私が無意識に二階のテラスを見上げようとしたとき、人だかりを割って、一人の洗練された紳士が優雅に歩み出てきた。
……紳士、ではない。
よく見れば、それはマリアンヌ叔母様のヴィルロワ商会で最高幹部を務める、私とも面識のある男性だった。
だが、彼の背後には、なぜか冷や汗をだらだらと流しながら胃を押さえているハンスが張り付いている。
「おっと、そこの魔導師の先生。大変申し訳ありませんが、こちらの調剤師の『全作品』、および彼女の『今後の独占交渉権』に関しましては、我がヴィルロワ商会、および……コホン、我が商会の最高大株主である『ブラント伯爵家』が、すでに国家予算の一年分に匹敵する違約金を担保に、第一優先権を獲得しております」
幹部の男性は、冷や汗を流しながらもプロの笑顔でそう宣言した。
「な、なんだと!? 国家予算の一年分だと!?」
「ブラント伯爵家といえば、あの若き天才当主、ルシアン・フォン・ブラント閣下の……!」
周囲の商人たちが、その桁外れの金額と名前に、一斉に悲鳴のような声をあげて後退していく。
(ルシアン……!? どうしてここで彼の名前が……!?)
私は混乱した。
ルシアンは私の出品を「認めはする」と言っていたけれど、まさか裏でそんな法外な大金を使って、私の自立を物理的に阻止しようとしていたなんて。
やっぱり、彼は私が外の世界でブラント伯爵家の名前を汚すのが許せなくて、こうして権力で私の自由を縛り付けようとしているのだわ。
「……お嬢様、お見事でございます。ルシアン様も、これほどの成果を出されたお嬢様を、誇らしく思っていらっしゃいますよ(色んな意味で、理性が崩壊するほどに……)」
ハンスが私の傍らにすっと寄り添い、死んだ魚のような目で、しかし優しく声をかけてくれた。
その頃、ホールの二階、一般人立ち入り禁止の特設VIPルームでは。
「――っ、はぁ、はぁ……! 姉上にプロポーズ(※専属調剤師の勧誘)をする不届き者が現れるとは……! あの老いぼれ魔導師の研究所ごと、今すぐブラント家の領地から永久追放してやる……! 姉上を国賓として迎えるだと? 姉上を最高待遇で迎えていいのは、僕の敷いた絨毯の上だけだ……!」
ルシアンは、手元のオペラグラスをギリッと握りしめ、あまりの嫉妬と独占欲ゆえに、全身からアイスブルーの魔力をバチバチと放電させていた。
部屋の隅では、彼が裏で雇った最高峰の暗殺者たちが、主人のあまりの剣幕にドン引きし、互いに肩を寄せ合って震えている。
「ルシアン、いい加減にしなさい」
そこへ、優雅に扇子を揺らしたマリアンヌ叔母様が、呆れ果てた様子で部屋に入ってきた。
「叔母上……! なぜ止めなかったのですか! 姉上が、あのような怪しい男たちに笑顔を振り撒き、今にもこの僕の手の届かない遠い世界へ行ってしまいそうだったのですよ!?」
「怪しい男って、著名な魔導師先生よ。失礼なことを言うんじゃないわ。……それにしても、フィオリーナは本当に見事なものね。ヴィルロワ商会の目利きたちも、全員があの薬の純度に度肝を抜かれていたわ。あんたの教え方が良かったのもあるでしょうけど、彼女のベースにあるブラント伯爵家としての意地と、眠っていた才能が開花したのね」
マリアンヌは、一階のブースで、周囲の賞賛を浴びながら少し照れくさそうに笑っているフィオリーナを見つめ、目を細めた。
血は繋がっていなくとも、フィオリーナは幼い頃から伯爵家の長女として、不器用に、けれど真摯に生きてきた。その努力が、今こうして大輪の花を咲かせているのだ。
だが、そのフィオリーナの笑顔を見たルシアンは、突如として動きを止め、胸を押さえてその場にしゃがみ込んでしまった。
「ルシアン……? どうしたのよ、急に」
「……あ、あの、笑顔です……」
「は?」
「姉上が、あんなに嬉しそうに、誇らしげに笑っている……。僕の作った檻の中では、いつも怯えたように僕の顔色を窺っていたあの人が、外の世界で、僕以外の人間たちの称賛を受けて、あんなに輝くような美しい笑顔を……」
ルシアンの瞳から、先ほどまでのドス黒い殺意がすっと消え失せ、代わりに、底知れない切なさと、圧倒的な敗北感が滲み出していた。
彼は、叔母マリアンヌに言われた言葉を、痛烈に実感していたのだ。
自分が彼女を暗い部屋に閉じ込め、無能だと偽り続けたことは、やはり彼女のこの素晴らしい笑顔を奪う行為でしかなかったのだ、と。
「……僕は、間違っていたのですね」
ルシアンは、ぽつりと呟いた。
その声には、冷徹な伯爵当主の面影はなく、ただただ、最愛の姉を傷つけてしまったことに絶望する、不器用な少年の脆さが剥き出しになっていた。
「あの人が、あんなに幸せそうに笑うのなら……僕は、僕のこの狂いそうな独占欲を、引きちぎってでも抑え込まなければならない。……姉上が自立したいと願い、僕の側から離れることを望むなら、僕はそれを……受け入れるべきなのでしょうか……」
ポタポタと、ルシアンの握りしめた拳から、力が入りすぎて床に血が滴り落ちる。
マリアンヌは、その甥の姿を見て、深く、深く溜め息をついた。
「……本当に、ウチの血筋は、どいつもこいつも恋の仕方が極端なのよ。いい、ルシアン。誰も『彼女を諦めろ』なんて言ってないわ。ただ、『彼女の尊厳を傷つけるような愛し方をするな』と言っているの。あんたが本当に彼女の側にいたいなら、冷酷な仮面で脅すんじゃなくて、その歪んだ情熱を、もっと正しい方向に使いなさい」
「……正しい、方向……?」
ルシアンは、血の滲む手で涙を拭うように顔を上げ、叔母を見つめた。
「そうよ。彼女はね、あんたに嫌われていると思っているの。まずはその、壊滅的なすれ違いを解消することから始めなさい。……ほら、展示会が閉幕するわよ。迎えに行ってあげなさい、ブラント伯爵」
展示会は大盛況のうちに幕を閉じ、私は自分のブースを片付けていた。
結局、私の作った薬はヴィルロワ商会とブラント伯爵家がすべて高値で買い取る形になり、他国からの専属の誘いは断ることになってしまったけれど、私の手元には、これまで見たこともないような額の「正当な報酬」が残された。
(これで、いつでもこの家を出ていけるだけの資金ができた……。ルシアンに迷惑をかけずに、ひっそりと暮らせる街を探さなきゃ)
嬉しさ半分、そしてなぜか、胸を締め付けられるような寂しさ半分。
複雑な気持ちで荷物をまとめていると、背後から、静かな足音が近づいてきた。
「フィオリーナ」
振り返ると、そこには展示会場の喧騒をすべて置き去りにしてきたかのような、圧倒的な美貌を誇る義弟、ルシアンが立っていた。
彼は私を見つめ、ゆっくりと歩み寄ってくる。
いつもなら「無能な姉上」と吐き捨てるはずの彼が、今日は何も言わず、ただじっと、私の顔を見つめていた。
「ルシアン……。あの、私のせいで、ブラント伯爵家の名前が変な風に噂になってしまったらごめんなさい。でも、私は私の力で――」
私が言い訳をしようとした時、ルシアンは、そっと私の前に膝をついた。
……え? 膝を、ついた?
社交界の頂点に立つ、あの傲慢で冷徹なルシアンが、地味な姉である私の足元に、まるで騎士が主君に忠誠を誓うかのように、美しく片膝をついたのだ。
「ル、ルシアン……!? 何をしているの、立ち上がって――」
「お見事でした、フィオリーナ。貴方の作った琥珀色の薬は、この王都の誰よりも、そして僕よりも素晴らしかった」
ルシアンは顔を上げ、そのアイスブルーの瞳に、見たこともないほど優しく、そしてどこか壊れそうなほどに切ない光を宿らせて、私に「氷の微笑」を向けた。
「貴方の才能を、僕の傲慢さゆえに閉じ込めようとしていたことを、どうか許してください。……貴方は、僕が思うよりもずっと、気高く、美しい調剤師です」
そう言って、ルシアンは私の指先に、そっと、熱い唇を落とした。
(え…………えええええええええええっ!?!?)
私の頭の中は、大爆発を起こしたかのように真っ白になった。




