13.烏黑符
夜深くに静かに動く影が四つ。
玉蘭は金鞘の太刀を持って歩く瓈暁の後に続いて朔夜宮を出ると宮中の外──外朝にまで来ていた。
その後ろでは、やけに沈んだ子梓がずっとぶつぶつと呟いている。怪しげに唱える呪文のように聞こえてくるので気味が悪かった。
耳をすませてみると、「あれをやるのか、考えただけで、うっ……」と謎の言葉を繰り返し、今にも嘔吐しそうな様子だ。
──…⋯これから一体何があるんだ?
あの子梓がこの世の終わりかのような様子に、玉蘭の心は落ち着かない。
後方から意識を逸らすように、前で揺れる金色の尻尾を見つめる。
「なぁ、暁」
一つ気になる事があり、子梓に聞かれて馬鹿にされぬよう声をひそめ、瓈暁に声を掛けた。
瓈暁は足を止めぬまま、こちらに視線を向けた。
いつものように柔らかな表情だったが、どこか焦燥としているように感じた。
「烏黑符とやらに何て書いてあったんだ?文字なんて書いてなかっただろ?」
「いや書いてあったよ。ただ普通には見えないけれど」
「見えない?」
玉蘭は首を傾げた。
瓈暁は、例えば、と言いながら袖から黒い符を取り出すとそれを額に当てた。
「こんな風に黒符を額に当て、伝えたい事を思い浮かべる。すると黒符に文字が焼き刻まれていく仕組みだ。まぁ目には見えないけどね。そして……」
想いを込めた黒符を宙へと投げると、どこからかともなく黒い靄が湧いてきた。靄は黒符を覆い隠し、やがて中から何かが飛び上がった。
──何だ!?
丸くした目で追うと、そこには黒い翼を持つ鳥──烏がはばたいていた。
玉蘭は謎の烏を先程も目にしていたが、改めて見ても驚きを隠せなかった。
黒く尖る嘴も、艶のある黒い毛並みも、羽根を打つ姿も全てが烏そのもので、紙から生まれ出たものとは到底思えない。
そう、まさに生きているのだ。
「黒符を空へ放てば鳥になって、送りたい者へと飛んで行く。そして受け取った者の下で紙へと戻る。玉蘭にはまだ見えないけど、目を凝らすと白い焼字が浮かんで見えんだ。この黒符の名は烏黑符と良い、霊力を持つ者なら誰でも使える、先王が作った便利な伝達符だ」
後で使い方教えてあげるよ、と瓈暁が微笑む。
先ほど突如生まれた烏は、黒夜に紛れて気ままに空を舞い、飛行に満足した後、玉蘭の前にはたはたと舞い降りてきた。
じっと目を凝らして烏を観察していると、もくもくと湧き出した黒い靄に飲まれて、靄の中から黒い紙が落ちてきた。
玉蘭は目の前をひらひらと舞い落ちていく黒紙を慌てて掴んだ。
「いつか烏黑符が読めるようになるまで持っていて」
「何が書いてあるんだ?」
「まぁ、私にとって一番大切なもの、かな?君が読めるようになる時を楽しみ待っているよ」
──大切なもの……ってなんだ?
とても気になったが、じっと目を凝らしても、透かして見ても黒一色にしか見えない。
驚く事ばかりの自分がいつか読める日が来るのか、正直自信はなかった。
しかし瓈暁から贈られたものだ。いつか読める日を祈りながら、今は大事に懐へと仕舞い込んだ。
「先王はすごいものを作ったんだな」
「紅昊は太子の頃、三年ばかり仙の元で修行していたそうだ。中々素質も良かったらしい」
それはすごいな、と返しながらも、
──本当に仙っているのか。
と内心は驚いていた。
瓈暁の出生を疑っている訳ではないが、そういった類とは無縁の日々を送っていた玉蘭はその存在を信じきれていなかった。
妖魔というものも、未だ現実味がない話だった。
「もう少し時間が許されていれば道士になっていたとか」
「時間?」
「紅昊の父王が病で倒れた。それで道士への道は諦め、仕方がなく王位を継ぐ事となった」
「仕方がなくって、すごい人だな」
玉蘭が武官になったのは先王が亡くなった後だった。目にしたことは無かった先の王は、瓈暁の話で『変わった人だった』という印象を抱いた。
「紅昊は玉座で大人しくしているよりも、道士への道を極めて国中を駆け回りたいと思う人だった。この国に溢れかえる異形異類を『全て叩き斬ってやる』と気を吐いていた、らしい」
「それは勇ましいな」
「だけど他に王になれるような、王気を備えたもの者はいなかった。だから仕方なく王になって、王の職権濫用で黯武を作る案を強行した」
「そう言うのは職権濫用とは言わないだろ。民を守る為の組織なら」
小首を傾げる玉蘭き、瓈暁は苦笑いをした。
「そうだね。でも当時それは官吏たちに猛反対されていた。ずっと、仙や道士以外が悪鬼怨霊妖獣に立ち向かう事はなかった。いや出来なかったという方が正しいか。だが、だからと言って放っておいて良い訳じゃない。紅昊は頑として案を通りた。一重に民を守るため。普通では考えつかない行動力だ。これまで誰もやらなかった道を進もうとする……とても偉大な人だったよ」
そう言って、瓈暁は暗い空を見上げた。
「そうか、俺も少し見て見たかったな」
玉蘭は瓈暁の背中を見つめ、ぽつりと呟いた。
異形異類を叩き斬ると考えるなんて、普通の人ならば無謀で果てしなく遠い夢である。
しかし彼はやって退けた上に、組織まで作った。だから、あまりにも珍しくて、面白いと思った。
──どんな男だったんだろう?豪快で厳つい容貌だったりするのか?
頭の中で想像してみるが、やはり見たことがないので想像がつかなかった。




