14.黒い獣
一つ疑問が解決した所で、もう一つの疑問を思い出した。しかし口にする前に、背後から「殿下……」と突然が聞こえ、玉蘭はびくりっと肩を震わせた。
「それで、何故彼らは冱斑にいるんですか?」
子梓はようやく気分も落ち着いたようで、いつもの調子で尋ねてきた。
「瀝繆に行っていた者達が、その後、冱斑から逃げて来た、歳が十前後の幼い少女に会ったそうだ」
──逃げて来た……?
その言葉が引っかかり、玉蘭は訝しげに前を見た。
「服は至る所が破け、靴を履いていない足は擦り切れて真っ赤に染まり、全身は泥まみれ。どうやら山道を駆け抜けてきたそうだ」
「山道と言うのは、きっと瀝繆と冱斑の間にある大きな山──癸雲山の事ですね。ですがあそこは山を迂回する街道がある筈です。何故裸足で獣道を通ろうなんて馬鹿な事を?そもそも、子供は何から逃げていたんですか?」
辺りが張り詰めた空気に包まれて、視線が瓈暁に集まる。
「黒い獣、だと言ったそうだ。服の肩の辺りが赤く染まっていた。腕から血が伝い落ちているから確認すると、丸く刺された傷穴が二つあった」
「──その獣に噛まれた?」
子梓の問いに瓈暁は「そのようだ」と頷いた。
「ただの狼の牙にしては傷跡は太くて深い。少女の顔は血の気がなく、目も虚としている。血が中々止まらないから白符を張ってなんとか止血したらしい」
「そんな状態で山を抜けてくるなんて凄いな。それも子供だろ?辿りつけたのは奇跡だな」
「あぁ。恐ろしいものから逃げなければ、その一心で、必死に駆け抜けたんだろうね」
「黒い獣……妖魔ですね」
子梓は顎に手を当てて鋭い目つきをさらに鋭くさせて言うと瓈暁はもう一度頷いた。
「血が止まらないなんて、触れた邪気がかなり強いという証拠だ。それで瀝繆での任務を中断し、彼らは冱斑へと向かった。するとその村には昔から、ひと月ごとに、山の獣主に生贄を差し出す習わしがあった」
「生贄?まさかその子ども……」
「あぁ、その少女が次の生贄だった」
なんとも悪趣味だな、と玉蘭は眉根を寄せた。
「そんな習わし、今のこの世にも存在しているんですか?なんて時代遅れな村ですか」
「古いも新しいもないさ。常人では妖魔に太刀打ち出来ない。人が怯えるから向こうはつけ上がって支配し続ける。何と言っても無駄に暴れなくとも餌が勝手に来るんだ。だから続く、永遠と……」
珍しい訳でもない、と瓈暁は声を低くして言った。
その声は怒りや悲しみともとれない、どこかやるせなさを感じた。
「それで、そこへ行った者達は?」
「村人は逃げた生贄を激しく責め立てた、と書いてあった。生贄が逃げた事で山の獣主の怒りに触れた、と」
「それはまさか……」
「夜も開けぬ間に、生贄が逃げた責めを負い、明夜生贄を十人用意しろ、と要求してきた。随分と怒りやすくて図々しい性格なようだ」
「短気なんですねそいつ」
ふんっ、と鼻を鳴らす子梓に、玉蘭はただじとりとした目を向けた。
──お前が言うのか。
そう思いながらも口には出さずにいると、
「ふっ……一緒だ」
と微かな声が聞こえた。
──こいつ正気かっ!
玉蘭はその声の主へと疑いの目を向ける。
声の主は、置物のようにずっと黙って付いてきていた黒雨だった。
目だけではなく耳も良いので、その言葉をしっかりと聞いてしまった。
黒雨はこう言った。
『子梓と一緒だ』
そう言って笑ったのだ。
聞き間違いかと思ったが、口元が少し上がっているように見える。
気にしていない子梓の様子を見ると、幸い本人には聞こえなかったようだった。
もし聞こえていたのなら、確実に彼も子梓にぶっ飛ばされていた筈だ。
「烏黑符では言葉を濁していたが、大方村人にお前らが何とかしろと八つ当たりをされて山へと向かったんだろう」
「すごい剣幕で急かされて、烏黑符を送る余裕もなかったんでしょうね。今この時間に至急届いたと言う事はもう彼らは…… 何があってもすぐに烏黑符を使えと言っていたのに」
子梓はなんとも歯がゆいような表情をしている。
もしかすると、その地にいる者たちの事を一番案じているのは彼なのかもしれない。
そう思いながら、玉蘭は前を歩く瓈暁を見ると、こちらを振り返り頷いた。
「烏黑符から感じる霊力はどこか乱れていた──急ごう、よりにもよって今夜は朔夜だ。月の光は届かず、闇が深まり、異形異類は力を増している」
足を早める瓈暁に、玉蘭も嫌な予感に胸が騒いでいた。




