25
「人間……?」
「みたいやなぁ」
魔王軍の副指揮官は人間の女性だった。身長は高めで、年齢はたぶん大学生ぐらい。
そして、まず間違いなく私たちと同じ日本人。
「やあ、こんにちは」
副指揮官が手を振って挨拶をする。
(美人は美人だけど……)
特徴的な美人だなと、そう思った。
よく美人とは最も平均的な容姿を持つもの――なんて言説を聞くけど、そういう理屈を軽く吹き飛ばような俗世離れした空気を持っていた。
不気味、とも言い換えられるかもしれない。
こちらを見つめる切れ長の目は背中に怖気が走るほどで、口元は冷血な捕食者のような笑みをたたえていた。
日陰でも輝く長い金髪は、毛先にだけ軽くパーマを当てているらしい。白のタートルネックと黒のスキニーパンツは、色気のある曲線をそのまま反映している。
シンプルなのに印象的で、ド派手なのに飾りがない、場違いな存在感。
「私の名前は月村雅、よろしくね」
そんな美人さんが愛想良く挨拶をする。やっぱり少し不気味。
「棚町日向。こっちが詩織で――」
「あ、藤見夜子です」
「日向ちゃんに詩織ちゃんに夜子ちゃんね。私のことは好きに呼んでくれて構わないよ」
「ほんならみやっち……いや、みやびんか」
「なんでタイトル回収みたいに言ったの」
「言った手前悪いけどみやびんは嫌かな。おやびんみたいで三下感出るじゃん」
「そこが可愛いんやけどなぁ」
いや、さすがに私も『みやびん』ナシ派だ。私たちなら『ひなたん』とか『しおりん』とかポップな感じになるけど、それに対して『みやびん』は『び』の響きが絶妙に可愛くない。
「ほいだら、みーやん?」
「それもなんか『兄やん』みたいで嫌じゃない?」
「みぃちゃん!」
「なんとなくですがやめておきましょう」
「じゃあ、なんならええねん⁉」
「雅さんでいいでしょ、変にあだな付けようとしなくて」
「うん、そうしてくれると助かるかな」
「なら最初から好きに呼べとか言わんとってや」
「それに関しては弁明のしようもない、ごめんね」
「分かったんならええねん」
「なんで初手に謝罪させてんの?」
これから交渉しましょうって流れでしたよね。
「まあまあ、ちょっとしたアイスブレイクやんな?」
「あってたまるかそんなアイスブレイク」
氷が溶けるどころか余計に空気が冷たくなってるよ。
「そう怒らないであげてよ、今のは私の方に非があったからね」
「ほんまやで、弁えとけよ」
「おねえちゃん⁉ ちょ、こっち来て‼」
らしくもない強気な発言に、私は慌てて日向を後ろの方に引っ張りながら、ひとまず二人と距離を取る。なんでそんなに喧嘩腰なのさ。
(詩織、交渉事で相手に舐められたら終わりやで)
(それは分かってるけど、険悪になったっていいことないよ)
別に日向の言ってることも間違いじゃない。交渉相手との間に一瞬でも心理的な上下関係ができてしまえば、そのまま一気に押し切られてしまう可能性だってあるだろう。
だからこその先制攻撃というのも理解する。だけどそれは諸刃の剣だ。お互いが意固地になればなるほどに、落とし所というものは見つけ難くなる。
(だから飴と鞭やねん。詩織が飴で、ウチが鞭や)
(うーん……)
なんとなく、日向から雅さんに対する強い敵意を感じる。まあ実際に敵なんだけど、なんなら私たちが死にかけた原因でもあるんだろうけど。それにしたって刺々しい。
本来なら人見知りの私の方がそっち側なんだけど――
(分かったよ。でも、攻めすぎてカウンター喰らわないでよね)
(任しとき)
かなり不安だけど、やると言ったらやるでしょう。一旦深呼吸をしてから、私たちは改めて雅さんに向き直った。
「作戦会議はもういいかな?」
「はい、お待たせしました」
「誰かさんがアポも取らずにいきなり来るからやけどな」
わーお、露骨なまでの悪態。
「確かにね、でも時間を取らせる気はないよ。私から君たちに伝えたいことは一つ――」
そこで雅さんは少し溜めて、不敵な笑みと共に言う。
「今すぐにこの集落から出て行ってほしい」
「……………」
まあ想定内。というか、そうだろうなっていう要求だ。
向こうからしたら得体の知れない私たちの相手なんかしたくないだろうし、どっかに行ってくれるならそれに越したことはないはず。
問題は、相手が私たちのことをどこまで把握しているか。
「知っての通り、私は魔王軍に所属している。つまり、君たちの敵だ」
「えらい簡単に言うんやな」
「事実だからね、立場は明確にしておいた方がいい」
「ほいじゃあ確認、あんたは日本人ってことでええんか?」
「そうだね、半年前は東京の大学生だったよ」
「ケッ、やっぱり東京もんかいな。道理でいけ好かんのや」
「おねえちゃん……」
それじゃあ鞭って言うより都会コンプレックスだよ。
「出身は長崎だけどね」
「オランダかぶれの頭チューリップが、有明海の干潟の泥ぶつけたろか?」
「おねえちゃん、情緒」
さっきからそのキャラはなに?
「随分と嫌われちゃってるみたいだね」
ほら、雅さん苦笑しちゃってるじゃん。
「ええと、雅さんは私たちと同じように神によってこの世界に呼び出されたんですよね?」
私の代わりにヤコさんが訊ねる。
「その通り、君たちも最近になって来た子だよね?」
「私は一年前です」
「ウチらはここ数日やな」
「やっぱり、日向ちゃんたちは表情が擦れてないからそうだと思ったんだよ」
「む」
なんか馬鹿にされているような気配が……いや、どっちかって言うと同情かな?
ブラック企業に入社してきた新入社員を哀れむ先輩みたいな雰囲気を感じる。
というか事実としてそう。雅さんもヤコさんも目ぇ死んでるもん。
「私のこれは日本にいた頃から」
「あ、私もそうです」
「なんやねん」
どういうことなの。
「でも、安心したよ。こっちに来てまだ数日ってことは、別にエルフと仲良しってわけじゃないんだね。君たちがこの集落にとって招かれざる客だったことは私も把握してる」
「なんや、知っとんのかいな」
「驚いたよ、まさか私たち以外に迷いの森を抜けてエルフの集落を見つけられる存在がいたなんてさ。参考までに、どうやったのか聞いてもいいかい?」
「ふっ、ウチのヤコさんにかかれば朝飯前やで」
「え、私ですか⁉」
「実際そうでしょ」
「そうかもしれませんが……」
見つけたって言うより迷い込んだが正しいけど、それを言う必要はない。精々、ヤコさんという戦力を過大評価してくれたまえよ。
「ふーん……」
「ひぃん……」
しげしげとヤコさんを見つめる雅さんと、それに慄くヤコさん。雅さんはしばし観察を続けた後に、ふっと興味を失ったように視線を逸らした。
「まっ、それはいいんだよ。それで、どうする?」
「主語と目的語はハッキリ言わんかい」
「今すぐにここを立ち去ってくれるかって話さ。なんなら、道案内役に捕虜にしたエルフを付けたっていい。君たちだっていきなり異世界に転移させられて、状況を正しく把握する間もなく魔王軍と戦いになるのは嫌だろう?」
「それはそう」
それはそうなんだけど――
「信用できへん。いつ後ろから刺されるかも分からへんやろ」
「それもそう」
魔王軍のことはよく知らないけど、やることが陰湿なのは知っている。
私たちって一応勇者候補なわけだしさ、後顧の憂いを断つためにみたいな理由で殺される可能性だって捨て切れない。
「そこは同郷のよしみでさ」
「東京もんは全員詐欺師や」
「それは極論」
「やとしても、人類裏切って魔王軍に寝返った奴の言うことなんか信用できるかいな」
それについては私も同意見だった。裏切りの前科がある人間をおいそれと信用するわけにはいかない。ましてやここは異世界、その危険度は新宿歌舞伎町を上回るだろう。
東京なんて修学旅行でしか行ったことないけどね!
「その言い方には少し語弊があるね、君たちは私を誤解している」
「誤解?」
「そもそも私は、人類の味方をした覚えなんか一度もない」
「え」
「私はこの世界に飛ばされてからずっと、自分の意思で魔王軍に味方している。魔王が悪で人類が正義だなんて、いったい誰が決めたんだい?」
「え、そういう感じなん?」
「正義の反対はまた別の正義とか言うタイプの世界?」
そうだとしたらちょっと話が変わってくるぞこの野郎。
「いえ、普通に魔王軍はいきなり現れた上で人類の皆殺しを標榜していますし、捕まえた人間を『なぶる』ことに快楽を見出す輩ばかりですけど……」
「ほな正義とちゃうやないかい!」
「それは元々暮らしていた世界が規定した善悪だろう? 私たちは魔王軍のような振る舞いを悪と定める国家で生まれ育ったからそう考えるだけさ。もしも国が違えば特定の属性に対する殺人が称賛されることもあったろうし、時代が違えば虫を一匹殺すだけでも罪になったかもしれない」
「……おおん?」
「この世界に来たばかりの私は、どの集団にも属しない自由な存在だった。だからこそ私は、私にとっての善と悪を規定した。その結果、私は己の正義に従って魔王軍に入ったんだ。裏切りなんてとんでもない、最初から敵だったのさ」
「う、うーん?」
あんまり話したことのないタイプの人だからよくわかんなくなってきた。
「だったら、あんたの思う善と悪ってなんやねん」
日向が訊ねる。それに雅さんは乾き切った瞳で答えた。
「神を殺すこと、神に与すること」
「神を、殺す……?」
「もちろんこれはかつてこの世界に存在した女神の話じゃない。私たちをこの世界に飛ばしたクソ野郎と、その上にいる奴らのことだよ」
えーっと、つまり雅さんは地球の神を殺そうとしてるってこと?
スケールがデカくない?
「いやまあ、あいつらがクソって部分に関しては異論の余地がないんだけど……」
「だろう? 私は昔から神様って奴が心の底から大嫌いでね。この世界に飛ばされたときなんかそれはもうはらわたが煮えくり返りそうになったものさ」
「そんなに」
苛立たしげに語る雅さんの声音には、並々ならぬ憎悪が籠められていた。
私たちも相当だとは思っていたけど、雅さんのそれとは比べものにならない。
「この世界を滅ぼした後、魔王はきっと他の世界を狙う。そうなればあいつらにとっては最悪の事態だ。私はそのために生きてると言っても過言じゃあない」
「復讐、ということですか?」
「ある意味、そうなのかもしれないね」
なるほど、だいたい分かってきたかもしれない。
雅さんは地球にいた頃、自身の運命を呪うような人生を送っていたのだろう。
その気持ち自体は私にも理解できる。日向やヤコさんだって同じ想いのはずだ。
だからといって、魔王軍とやらに与するかは別の話だ。
「しょーもな」
「おねえちゃん!」
それはちょっとライン越えかも。
「そう言われても仕方ない自覚はあるよ」
空気がピリピリし始めている。ここから交渉とかできるのかね。
とりあえず、押されされっぱなしだからこちらからも要望を出したいところ。
「こちらとしてはこのまま帰ってくれると嬉しいんですけどね。ついでに捕虜の方々も置いてってくれると助かります。アリアナさんから聞いたんですけど、ここから魔王軍の拠点に戻るにはかなりの危険地帯を通る必要があるんでしょう? 余計な荷物は邪魔になるんじゃないかなって」
アリアナさん曰く、聖域の森の北部には凶悪な魔物が跋扈する険しい山脈が存在するとか。
それが大陸北部の魔王が支配する地域と、東部の亜人圏を隔てる壁になっているらしい。
だからこそ、この集落は不意を打たれたってところもあるみたい。
「時間が経てば経つほど、不利になるのは雅さんたちの方でしょう?」
あの大蜥蜴がいない以上、他の集落のエルフたちが集まってくるのは時間の問題だ。
なんなら北の方からものすごく強いエルフが助けに来てくれる可能性もあるとのこと。
そうなれば、戦力の大部分を大蜥蜴に依存していた魔王軍は窮地に追い込まれる。
「損切りも選択肢だと思いますけどね」
というか、損切りしてほしい。今すぐにでも帰ってもらいたい。
「まあ、詩織ちゃんの言うことにも一理あるよ。正直なところ、今回の作戦は君たちがグランドレイク――あの大きな蜥蜴のモンスターを倒した時点で破綻している。後背を脅かすことで北方で戦うエルフ族の精鋭部隊を前線から引き剥がす、その目的はもう叶わない」
あ、そんな感じの作戦だったんだ。へー。
蒲田君の名前もグランドレイクだったんだ。
「本来なら、損失の拡大を防ぐことに注力すべきなんだろうね。捕虜も返還すれば、エルフたちも多少は溜飲を下げるだろう。無駄に怒りを買う必要もない」
そうそう、分かってるじゃん。投じたコストが無駄になるのは悲しいことだけど、それはお高い勉強代ってことで。我々はアンチ・コンコルドになるのです。
「でも、それはできないんだ」
「なんで?」
「私たちにも面子がある。せめて集落を一つや二つは潰さないと格好が付かない」
あーはいはい、面子ね。ありましたよそういうの、中学校にも。くだんない。
「格好付けで潰される方はたまったもんやないで」
「それで救われる命もあるんだよ」
「失われる命はそれ以上やっちゅーねん」
「でもその中に君たちは含まれない」
「……………」
「私たちに戦わないという選択肢はない。本拠地へ逃げ帰ったところで待っているのは破滅だからね。しかし、君たちには逃げるという選択肢がある。確かに後味は悪いだろうけど、それでも命のやりとりをするよりはマシなはずだ」
まあ、正論ではある。
「私が信用できないという話もね、冷静に考えてもみてほしい。私たちも君たちの能力に関してある程度予測は立てているけれど、全容は把握できていない。そんな状況で逃げる君たちを追う余裕なんてないし、勝てるかも分からない相手に喧嘩を売るほど愚かじゃない」
愚かじゃないなら帰ってくんないかなーって。言わないけど。
その魔王軍ってやつ、ブラックだから今すぐ辞めた方がいいですよ。
それはさておき、雅さんの言い方的に私たちは監視カメラ的なやつで観察されていたんだと思う。スイッチの説明はアリアナさんにもしていたし、声まで盗み聞きされていたわけではないかな。
傍から見れば創造、もしくは複製系のチートだと考えるはず。確実になんらかの制限があるとしても、能力の限界を見定めるまでは迂闊に手を出しにくい。
その結論を信じるのは、雅さんを信じるよりはいくらか簡単だった。
「それで、出て行ってくれる気にはなったかい?」
「嫌や」
でも、結局のところ答えはこうなる。あんまり交渉の余地なかったな。相手は命が懸かっている以上、引く気は一切ないみたいだし。
「一応、理由を聞いても?」
「エルフさんたちとはもう仲良うなってしもうたけん、今さら見捨てられんわ」
「その結果、詩織ちゃんを危険に晒すとしても?」
「あ」
と、思わず私は声を漏らした。雅さんの言葉に場の空気が一転した。
「……………」
怒ってる。日向がめちゃくちゃ怒ってる。やっばい。
自分で言うのもなんだけど、普段はお調子者で温厚な日向が怒るとき、それは決まって私が危害を加えられそうになったときだった。
それは中学時代、腕っ節の強い日向に喧嘩でコテンパンにされて負けた相手が、報復の対象に私を狙うという事態がそこそこの頻度で発生していたというのが大きい。
言うなれば、日向の地雷は妹である私なのだ。
このときばかりは日向の表情からは笑みが消え、真顔で暴力を振るい続けるキラーマシーンと化すのである。二回攻撃とかするよ。
「やってみりゃええやんけ。ウチの妹に手を出そうもんならぶち殺したるけどな」
滅多に聞くことのない日向のドスの利いた声が、私とヤコさんを震え上がらせる。
しかし、雅さんは涼しい顔でそれを受け流していた。
なんかもう水と油って感じ。
ここから入れる保険とかなさそうですね。
「どうやら交渉は決裂みたいだね」
雅さんは肩をすくめてそう言うと、私たちに背を向ける。
そしてそのまま、何事もなかったかのように来た道を帰っていく。
「それじゃあ、また後で」
肩越しに振り返って最後に告げたそれは、宣戦布告とも取れる言葉だった。
「返り討ちにしたるわボケ」
一方で日向も、一切の敵意を隠すことなくその背中に中指を立てる。
ちょっと下品だけど、それを咎める気にはなれなかった。
「詩織」
「なに、おねえちゃん」
「勝つで」
「うん」




